tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

本当の「持続可能性」とは何なのでしょう

2018年12月03日 15時33分10秒 | 国際経済
本当の「持続可能性」とは何なのでしょう
 昨日のブログで、今回のブエノスアイレスG20サミットで最も重視された言葉は「持続可能」だったと書きました。

 振り返ってみれば、人類は、持続可能でないものを持続可能だと思い違いをして、随分と失敗を繰り返してきたようです。
今、トランプさんは、赤字になったアメリカ経済を保護貿易政策で持続的成長を取り戻せると思っているのかもしれませんが、これは思い違いで、保護政策はアメリカ経済衰退への道でしょう。

 また今日本では、ゼロ金利が持続的成長への政策だということになっているようですが、これも思い違いでしょう。
また、財政政策でも、相変わらず国債残高を増やし続けていますが、財政テコ入れが持続的成長への道だという認識も、全くの思い違いでしょう。
 
 かつて日本では賃金インフレが続く時代があり、石油危機で限界が露呈しました。また、地価高騰が続く時代もありましたが、バブル崩壊で終わりを告げました。

アメリカでも、住宅価格を長期にわたって上昇させた金融工学、マネーゲーム全盛の時代がありましたが、リーマンショックで深刻な破綻になりました。
パリ協定を離脱したアメリカですが、異常気象でハリケーンの巨大化や、異常旱魃でカリフォルニアの巨大山火事など、すでに不吉な前兆が出てきているように思われます。

領土を拡大すれば経済の持続的成長が可能なるとか、軍事力を増強することが、持続的成長につながるとか、まだまだいろいろな思い違いが、いろいろな所であるようですが、人類はどうしてこんな思い違いを繰り返すのでしょうか。

G20サミットなどは、世界の主要国のトップクラスの頭脳に支えられたリーダーたちの集まりです。そうした思い違いに気付いているリーダーも何人もいるはずです。
しかし、現実は、なかなかうまく行かないもののようです。

 恐らくは、長期的には巧く行かないことは解っていても、短期的には自分や自国の利益になると考えたり、世の中は合理性よりも「力(軍事力)」で動くものだといった旧態依然の意識が残っていたりするからしょう。

 そして最後には、国レベルの「エゴ」が判断を誤らせているのでしょう。しかし地球は狭くなっているのです。他国の犠牲の上に自国の持続的成長をと考えても、歴史は常にそれを否定してきているようです。
 「持続可能」という事は、最終的には、「地球人類全体の持続可能性」という所に繋がらないと、結局は「持続不可能」という事になってしまうのではないでしょうか。