tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

マネー経済と勤労感謝:マネーにならない勤労にも感謝を

2017年11月28日 12時31分47秒 | 社会
マネー経済と勤労感謝:マネーにならない勤労にも感謝を
 先日、勤労感謝の日に、人類は発生以来豊穣を求めていて、豊穣(豊かさと快適さ)を実現するのは「勤労」だという事を経験から知り、勤労、働くことを大切にしてきたのだろう、そしてそれが勤労感謝の日につながっているのでしょうと書きました。

 あの時、書こうと思っていて、多少趣旨が違うのでまたの機会と思っていたのが、勤労とおカネの関係です。おカネにならない勤労も沢山あるからです。
 
 現政権の「一億層活躍」などと言うのもそうですが、勤労とか働くという事は収入につながらないと「経済計算」には乗ってきません。
 家事労働を経済価値に表したら、GDPはうんと大きくなるなどとは昔から言われますし、専業主婦でも財産は分与されますが、経済的な価格評価はされません。

 現実の社会では、出来るだけ報酬のある仕事について、家事、育児、介護などは、専門業者に外部委託という形が進んでいます。確かにその方がGDPは増えます。
 自分の家族の弁当を作っても「一億層活躍」には入らず、お弁当屋さんで働いて、他人の弁当を作れば「一応総活躍」の中に入るという事になっています。

 こういう計算になるのも、勤労という事をすべてカネで測るのがマネー経済だからでしょう。
 おカネ、マネーが一般的でなかったときには、物々交換で等価値と判断する物と物との交換をし、また「一宿一飯の恩義」ではありませんが、勤労と等価値と判断する「働きと物の交換」や「働きと働きの交換」などが一般的だったのでしょう。

 こういう世界は実は価値判断が曖昧で、等価値という判断はいい加減だったでしょうが、マネー経済では、市場で価格が決まるので、その点では大変便利です。

 そういう意味ではマネー経済は明らかにより合理的で、大変便利です。しかし人間というのは不思議なもので、合理的と判断しながらも、何かそれにプラスアルファの要素があると、何かほっとするという所があるようです。

 これは「取引と贈与」などという形で言われますが、マネーの合理性と、贈与という人間の気持ちに働き掛ける価値とを、どこかで、うまく組み合わせているのでしょう。

 ボランティアも英語ですが、欧米には「寄付」の文化があります。取引中心の世界に、何か人間の心を持ち込むためでしょうか。
 
 経済学ではマネーがすべての仕切り役ですが、現実の人間の経済社会にはそれでは計りきれない潜在的経済価値が沢山あります。

 「内助の功」などと言う言葉もありますが、こうした潜在的な経済価値の計測は難しいとしても、そうした価値も積極的に認めて、大事にするような雰囲気の社会の方が、マネー経済の価値判断すべて整理しようという社会よりも何か暖かく、良いような気がするのですが・・・。