tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本の覇権機構も同様(コスト高)だった?

2016年11月22日 12時18分21秒 | 経済
日本の覇権機構も同様(コスト高)だった?
 前回、徳川幕府のことにちょっと触れましたが、日本の覇権機構といえば、やっぱり幕府でしょう。

 代々の幕府の命運を見て来ますと、グローバル(世界)でもローカル(日本)でも大きな違いはないのかな、基本要素は共通かな、などと思ってしまいます。

 鎌倉幕府から始まって、江戸幕府の成立までの過程は、武力による覇権争いの結果、覇権の交代が起きたようです。
 信長の天下統一願望、の真意はわかりませんが、秀吉になると、天下を統一して戦のな国を作るという視点が出てきたように、物の本には書いてあるものもあるようです。農民は武士の世界の戦争で苦労した背景があったのでしょうか。

 家康になると、その目標はかなりはっきりしてくるのではないでしょうか。太平の世の中をつくるという目標がかなり鮮明になっているように見受けられます。
 鎖国令はさしづめモンロー主義でしょうか。

 勿論覇権を維持するにはコストがかかります。幕府には各藩に対する徴税能力はありませんから。金(きん)の採れそうなところは天領にしたり、各藩の経済力が強くならないように、何かあるとお国替え、御取り潰し、所領没収などの法度(ルール)を作り、参勤交代で経済力を消耗させ、いろいろな工事を請け負わせて経済負担を強いるなど、かなり綿密に考えているように思えます。

 「入り鉄砲、出女」など言われたように、おひざ元への武器の移動や人質に類する女性の江戸からの脱出は厳しく取り締まるといった様々な知恵を駆使して、幕府の安泰、それによる平和の維持、を徹底しようとしたのでしょう。

 その成果で江戸幕府は長く続くことが出来たのは確かにそうだと思えます。
 しかし時代は移り、細々ながら、次第に外国からの情報も入り、各藩の意識、一般国民、特に下級武士階級などに多様な権利意識などが生まれると次第に幕府の覇権は浸食されてきたのでしょう。
 
 とどめは黒船来航かもしれませんが、経済・財政的にも幕府の相対的な力は落ち、いわゆる雄藩の主張は強まり、ついには大政奉還(覇権返上)になったのでしょう。

 都合の良いこと日本には、大政を奉還する相手がありました。しかし現実には大政を受け取ったのは、天皇ではなく、天皇を「錦の御旗」に掲げる「諸藩(雄藩?)の合議制」という形になったようです。
 徳川に代わる次の幕府ができるという形ではなく、全く新しい近代国家日本の誕生となったのでした。
さて、アメリカが覇権から降りたら、次はどうなるのでしょうか。