まさに「目からウロコ」、下村健一著『マスコミは何を伝えないか』を読んだ
小説以外の本は、公民館経由で市立図書館から借りているが、人気の本はなかなか届かない。「こんな本を予約していたっけ」みたいな、もう予約してことを忘れている本も少なくない。
そんな市立図書館から借りる本だが、「おねがい」と書かれた、黄色い用紙が挟まれていることがある。「この資料は、次の人がまっています。必ず2週間以内にお返しください。」とある。
最近読んだ下村健一著『マスコミは何を伝えないか メディア社会の賢い生き方』(2010年9月、岩波書店刊)にも、黄色い用紙が挟めてあった。今人気の本で、私も読んでみようという気になった本だ。この本は、「メディア社会をどう生きるか」と題された4回の連続講座の講演に加筆して、出版されたものだ。4回の講演を、4章の構成としている。
この本は、まさに「目からウロコ」だった。私自身手家美の報道番組はよく見ている方だと思うし、興味のある週刊誌の記事などは立ち読みをしている。そんな情報の受け止め方も含めて、とてもわかりやすく書かれている。
筆者は書いている。「情報のキャッチボールというのは、もう現代社会では呼吸のようなものです。息を吸う・吐くのと同じようにして、情報を受信する・発信する。呼吸不全を起こしたら、もうこの社会は立ちゆかないんです」。
この本の第一章「報道被害はなぜなくならないのか? -悪意なき《見えざる手》」で、いろいろな呼吸不全(報道被害)の症例が示されている。読んでいて、少しだけ的確ではない表現だとは思うが、ワクワクしながら読み進めた。「なるほど」と、まさに「目からウロコ」だった。マスコミなどの報道についての、見方を学ぶことが出来た。
そして、この本では第4章で、「メディア社会を賢く生きるために メディアリテラシーを養う」が用意されている。「メディアリテラシー」(リテラシー=読み書きの能力のこと)を身につける、要は「情報のキャッチボールで、エラーせずに捕球し、暴投せずに投球できる能力を身につけましょう」ということのようだ。
氾濫する情報の洪水の中で、マスコミの創り出す悪意なき《見えざる手》をしっかりと見抜きながら、情報を受信したいと考える。とてもいい本を読むことが出来たと、少しだけ嬉しくなっている。