今日は大学病院の定期診察日、不安な気持ちで行ったが数値に異常なく一安心
難病の一つである「原発性アルドステロン症」と診断されて以来、岡山大学病院で定期的に診察してもらっている。このところ、2~3ヵ月に一回のペースだ。
この「原発性アルドステロン症」はカリウムの低下と高血圧の二つが特徴となる。血圧については、毎日朝晩計っていて、時に130を超えることがあるものの、最高血圧が120台(最低血圧は70台)で推移していて、問題はない。問題となるのはカリウムの数値だ。そのため、採血をして血液検査の結果が出てから、診察室に呼ばれることとなる。
岡大病院では、予約患者のコンピューターによる受付が始まるのが、朝7時30分。できればその前に8時から始まる採血の順番(早いもの順に席に座って待つ)を確保しておきたいと思い、だいたい朝7時に自宅を出発する。
今日は朝の濃霧のため、病院到着した時には7時30分を少しだけ回っていた。それ故、採血の順番は22番となった。採血の終わったら、もう8時30分前となっていた。それでも、まだたくさんの方々が採血の順番を待っていた。
食事をしないで採血をした方が数値がいいかなと思って、毎回食事抜きで病院に行き、採血を終えると楽しみにしている「スターバックス」(因みに、国立病院はドトールコーヒーだ)へ直行だ。オーダーは、いつものようにコーヒー&シナモンロールだ。そのスターバックスはもうクリスマスモードに入っている。
ここで、9時過ぎまでを本を読んで過ごし、主治医の診察室の前に移動する。診察室の前にある電光掲示板に、番号が示されると部屋の中にお入りくださいとなる。
ところで、この岡大病院での診察が近づくと、異常はないだろうかと不安になる自分がいる。格別やり残したこと、やりたいことがあるわけではないが、それでも動けなくなることや死に対して恐れがある。
ともあれ、カリウムが3.3と少しだけ低かったものの、その他では今日も格別の異常はなかった。いつも心配しているγ-GTPも80台と次第に正常値に近づいている。一度でいいから、60以下になってみたいものだ。
次回診察は年を越すので、少し早いが主治医の先生に「今年一年お世話になりました。良いお年を」と感謝のご挨拶をして、診察室を出た。顔が心持ちほころんでいるのが、自分でもわかる。
館と利用者で地域の方々をお迎えして開催される「東公民館館遊会」に参加した
昨日は、東公民館の「館遊会」に参加させてもらった。私が館で働かせていただいていた頃に始まった「館遊会」。失礼ながら陛下がご招待する「園遊会」にもじったネーミングだ。あちらは招待、こちらはみんなが主役で楽しむとの違いはあるが、同じ桜を楽しむことから出発した。
「東公民館館遊会」の出発は、公民館の中庭に咲く桜を利用者のみでなく、地域の方々にも楽しんでもらい、そのことを通じて公民館を広くみなさんに知っていただき、ひいては利用していただこうとの思いから計画されたものだ。
地域の方々をお迎えするために、中庭の桜だけでなく公民館クラブの方々も日頃の学びの成果を披露していただくなど工夫を凝らした。また、地域のお店にも参加していただこうと、人気のパン屋「ショパン」さんや「おおもり農園」さんの水栽培イチゴ等を格安で販売していただいた。また、幡多学区婦人会さんが、赤飯の販売もしていただいた。また、我が家の近くにある「花水車」さんにお願いして、山野草の苗やお花のタネを無料で来館される方々にプレゼントをした。
こうして、初めての「東公民館館遊会」はたくさんの方々で賑わい、その後は「桜を楽しむ春の館遊会」とともに、公民館の中庭に山野草を植えていて、「山野草を楽しむ秋の館遊会」(幡多学区愛育委員会の「健康21」の催しと併催)と年二回の開催となり、それは今も引き続いて開催されている。
そんな「館遊会」が、昨日開催され、私も参加させてもらった。あかれんがクラブの喫茶も開店し、篠笛やオカリナ、そして尺八の演奏もありのんびりゆっくりさせてもらった。
また愛育委員会さんのコーナーには、市の保健師さんや地域包括センターからもかけつけて、健康チェックや介護相談などもあった。私は脳トレにもチャレンジした。
来館者にはフジバカマ、ホトトギス、シュウメイギクやセリンセなどの花の苗やタネがプレゼントされ、大変に喜ばれていた。
ただ、昨日の雨模様のお天気の中で、演奏が屋内になり人気の餅つきが中止になったり、例年より少しだけ参加が寂しかったことは残念だ。開催の趣旨を再確認し、来年の春には無満開の桜の下で、よりたくさんの方々の参加で盛大に開催されることを、今から願ったりもした。
「里山はワンダーランド!」、市毛良枝と柳生真吾のステキなトークに聞き惚れた
今日は、「水と緑のアートプロジェクト」事業の一つとして開催された「もっと見つめて!身近な緑といきものたち 里山はワンダーランド」と題する催しに参加させてもらった。
女優で、「40歳から始めた登山が趣味であることでも知られ、1993年にはキリマンジャロに登頂している」(チラシより)市毛良枝と八ヶ岳に父・柳生博とともに雑木林をつくり、その雑木林を解放して「八ヶ岳倶楽部」を家族で運営している園芸家の柳生真吾を講師に迎えてのトークだ。司会は、NHK岡山放送局の濱本梨沙だ。
市毛良枝は私の結構好きな女優だが、彼女の山好きは知らなかった。ま、松たか子が何が好きかも全く知らないので、不思議はないが・・・。
トークでは柳生真吾が持参した八ヶ岳の四季の写真や花々には、何とも魅せられた。そして二人が語る自然との付き合い方は、とても豊かだと実感した。素晴らしいトークだった。
生きていることは素晴らしい、明日からも元気で生きていこうと思わせてくれた催しだった。感謝。(市毛良枝と八ヶ岳の画像はネットから拝借した、感謝)
児童文学者・坪田譲治の生家跡へ「心の詩碑」建設へ、実行委員会が動き出す
坪田譲治は日本を代表する児童文学者・作家であり、岡山市の名誉市民である。その坪田譲治の生家の保存を望む声は生かされず、1987年に取り壊されている。今は「生家跡」の碑が残っているのみである。
坪田譲治を顕彰するために、坪田譲治の地元岡山では「坪田譲治を顕彰する会」や「善太と三平の会」などが、岡山で豊かに展開されている。そうした方々、とりわけ「善太と三平の会」の加藤章三会長などは、生家跡へ坪田譲治の「心の遠きところ花静かなる田園あり」の詩碑を建立したい、という強く熱い思いを強い思いをもっておられる。
「坪田譲治『心の詩碑』建設実行委員会準備会」が昨日開催され、そんな加藤会長を始めとする方々の思いが、行政・岡山市や地元町内会、さらには地元議員さんなどのご尽力もあり、生家跡の地権者のご理解もいただき、今実現へ向けて動き出そうとしている。
昨日の「実行委準備会」では、来年の坪田譲治の命日である7月7日に、「心の詩碑」の除幕式の開催を目指して、募金活動を展開することとなった。そして、そのために「坪田譲治『心の詩碑』建設実行委員会・結成会」を、坪田譲治が卒業した石井小学校の図書館を会場に、11月20日(日)に開催することを決定した。
ところで、昨日の「実行委準備会」も石井小学校で開催されたが、その校庭や校内には坪田譲治関連のものがたくさんある。1961卒業記念のモニメントや創立100周年記念碑も建立されている。
今回の募金活動を通じて、坪田譲治の作品がもっともっと読まれることも期待している。ともあれ、みなさんの長年の夢に向かって動き出した。募金活動が動き出したあかつきには、是非ともよろしくお願いする。
松たか子のCM図書カード、ファンクラブ「club.M」会員プレゼントに外れた
松たか子ファンクラブの「club.M」の、「松たか子がCF出演を行っている「パナホーム」の特製図書カードのプレゼント」企画に応募していた。昨日、その発表が「club.M」のHP上であり、私の会員番号は載っていなかった。つまり、抽選に外れたと言うこと。
ま、30名へのプレゼントであり、当選することは不可能に近い。それでも、やはり外れると切ない。販売してくれたらいいのにと思ってしまう。
そう言えば過日、「めざましTV」で、「女性が男性の部屋に行ってどん引きするのはどんなこと」との問いがあり、「部屋にアイドルなどのポスターが貼ってある」というのが、とても高い数字だった。
我が部屋にも、松たか子のポスター(パネル)が何枚もある。そうか、それは「どん引き」することなのだろうかと思ったりもした。
ともあれ、そろそろ松たか子関連のグッズの収集から、整理(手放す)方向へと転換が必要なのではと思ったりもする。
毎日が自由人の身は土・日が忙しい、今日も「柿育て隊総会」等3ラウンドと多忙
「時間豊か自由人」の身となって、最近思うのは平日よりも土・日に行事がたくさん入っていることが多い。今日も、朝から忙しかった。まずは午前中は東公民館のクラブ登録をしている「沢田の柿育て隊」の総会兼収穫祭が開催され、私も参加した。
そして、コーヒーブレイクは広榮堂とした。そして午後からも二つの会議に参加した。まずは「前進座を観る会」実行委員会への参加だ。この日は、来年2月の岡山公演の一つの演目である「水沢の一夜」の高野長英役(主役)を演じる嵐芳三郎さんが東京から参加していただき、ステキなお話を聞かせていただいた。
そしてその後に参加したのは、坪田譲治「心の詩碑」建設実行委員会準備会だ。私も準備委員に名を連ねており参加させていただいた。午後からの二つの会については、また機会があれば報告させていただくが、まずは「柿育て隊」の総会兼収穫祭について、少しだけ書かせていただく。
今年の沢田の柿は、全体としては不作だが、私たちの「柿育て隊」のメンバーの中の幾人かは、そんなに悪くない方も少なくなかった。総会ではそんな感想も出し合いながら、二年続けて不作だったので、来年は豊作となることを信じて頑張ろうと誓い合った。
そして、収穫祭では、手打ちうどんを楽しむ企画だ。うどんの生地だけはメンバーのご夫妻がつくってきていただいた。それを自分自身で伸ばして切った。これがなかなかに難しい。さながら「手作りうどん教室」が開催されているような賑わいだった。釜揚げうどんを基本に天ぷらうどんなど、各自が楽しんだ。あまりに美味しくて、おかわりもしてしまった。
それにしても、今年は「柿育て隊」のメンバーの幾人かは、私も含めて手術するなどの大病をした。来年はみんな元気で、美味しい沢田の柿が育てられるようにと願いながら、今年の総会兼収穫祭を終えた。
朝夕の冷え込みと夜露で沢田の柿も黄色く色づいてきた、昨日は収穫に行った
昨日、沢田の柿山に収穫に行った。今日行く予定としていたのだが、天気予報では今日・土曜日は雨となっていたので、昨日行った。
前回行ったのは18日だった。その時には、まだ柿は青いままだった。それから10日、朝夕はめっきり寒くなり、夜露もしっかり降りる頃となり、前回に比べて柿はずいぶんと色づいていた。少しだけ柿山が黄色くなっていた。
ところで、過日「沢田の柿生産組合」の組合長さんとお話しする機会があったが、「落ち葉病にやられて今年は昨年の半分くらいではないか。こんな悪いのは初めてだ」と言われていた。昨年も「こんなに悪いのは初めてだ」と言われていたような気がする。
昨年の「沢田の柿まつり」では、人気の赤袋はすぐに売り切れた。いつもはテントに山積みされている赤袋が、昨年は前年の2/3程度だったような気がするが、すぐに売り切れた。今年はそれより悪いというのだから、「柿まつり」がとても心配だ。
さてその「沢田の柿選果場」での赤袋販売は、11月は1日、4日、9日、11日、13日と続いて、11月20日(日)の「柿まつり」となる。
さてその沢田の柿の木は、落果の激しい柿の木では、これから収穫の季節なのに、もう既に収穫が終わったかのようになっている。我がオーナー木も、ほぼ同様だ。ただ数が少ないだけに、大きな実がなっていた。ほんの少しだけど。
そんな壊滅的状態の中で、我が友人のオーナー木の内の一本は、摘果作業が不十分で鈴なり状態だ。また、昨日収穫にこられていた柿育て隊のメンバーのお一人のオーナー木は、とても見事に大きな柿が実っている。
ところで、18日に行った際にあった蜘蛛の巣は、同じ所にまだはりめぐらされていた。何だかとても凄いことのように思った。みんな頑張っている。
秋が深まる中で、柿はずいぶんと黄色く色づいている。私は柿が大好物、とても楽しみな季節だ。
水落理医師の「米寿と出版記念を祝う会」が、全日空ホテルで盛大に開かれた
水落理医師が米寿を迎えられた。先生が岡山医療生協の理事長時代に、私もその半分以上の期間を理事として、運営に参加させてもらった。その後も親しくさせていただいたご縁もあり、昨晩開催された「米寿と出版記念を祝う会」に出席させていただいた。
会場は全日空ホテルで、その北側には協立病院駅元診療所がある。その協立病院のHPには、次のように書かれている。
「いつも身近に、気がねなく安心して診てもらえる医療機関があったら・・・地域の人々のそんな切実な願いから設立されたのが岡山医療生協。1952年、組合員(300人)の知恵と力を集めて、初めて誕生した医療機関が大衆診療所(今の駅元診療所)でした」。
その大衆診療所の初代所長として赴任されたのが水落理先生だ。その後先生は岡山医療生協理事長として、24年間ご尽力・奮闘をされた。そのほとんどの時期は協立病院の院長でもあった。
同時に、社会活動にも積極的に参加されている。水島の公害を鋭く告発し、人間裁判・朝日訴訟や森永ヒ素ミルク事件では極めて大きな役割を果たされている。主催者や来賓の方々から、こうした活動が詳しく語られた。偉大な方である。
そんな水落先生が、自らの過ぎこし人生を振り返って執筆され、二冊のご本を出版された。まず昨年には、少年時代と医学生時代を書き記して出版した、『丹波物語 併録「難民敗残医学生日記」「岡山医科大学金光学生寮」』(2010年2月 星雲社刊)を出された。ワクワクしながら読ませていただいた。
そしてその続編として、インターン時代から今日までを書かれた『なつめ』を、この度出版された。昨日の「会」は、そのお祝いを兼ねて催された。昨日いただいたので、これからゆっくりと読ませていただこうと思う。
余談だが、水落先生は医師であるが、名エッセイストでもある。1988年には既に、『聴診器 いのちのうたが聞こえる』(手帖社刊)を、既に刊行されている。
ところで、昨日の「会」は、珍しく立食のパーティではなく、座席が指定されていた。久しぶりのコース料理を楽しませてもらった(オードブルとデザートのみ、写真を貼らせていただく)。会場も19階の「宙」で、夜景が美しく、ステキな時間を過ごさせていただい
さて、昨日の「会」では、親しくされているお医者さんから、「岡山の日野原たれ」(日野原先生は現在100歳だ)との激励も飛んでいた。水落理先生は「老人ホーム」等では、まだ診察もされていると聞く。いつまでも、お元気でお過ごしいただきたいと思う。
そして、私も見習って、当面70歳までは元気でいたいと思った。元気をもらった「祝う会」だった。
晩秋の昨日の寒さは戻って今日は暖かい1日だった、季節は確実に冬へ向かっている
今の季節は晩秋というのだろう。小津安二郎の映画の題名に「晩春」というのがある。原田康子は「晩歌」という小説を書いている。私が思い出すのはその程度だ。何と貧弱の知識だろうと、我ながら呆れてしまう。
さて、今多くの方のブログでつるし柿づくり(干し柿)作りをしていることを書かれている。かく言う私も、つるし柿を作っている。
今日行った「広榮堂藤原店」には菊の花が飾られ、柿がたくさん吊されている。お店ではおはぎが売られている。
我が家のサツマイモも、それなりの大きさが実っていた。ただし、一本のツルに一つか二つしかサツマイモはついていない。もう少しだけ多く、サツマイモがついていてくれたら嬉しいのに。
ともあれ、秋は終わりを告げようとしている。冬はもうそこまで来ている、と言ったら言い過ぎだろうか。
「濡れ落ち葉」から「老害」へ、私もそう言われないようにと願うばかりだ
「他山の石」とか「人の振り見て我が身を直せ」の言葉があるが、私自身が“老害の人”と呼ばれるのだけは避けたいと思っている。そんなこともあり、グループわいふ/佐藤ゆかり著『老害 子ども世代は逃げられない』(ミネルヴァ書房刊)を読んだ。
この本のカバー裏には、「高齢者だって生まれつきの性格にしたがって生きている。ただし、若い時よりも強い個性となって-。高齢者が増えるとともに、多くの家庭を襲う『老害』はもはや『年を取れば頑固になるから』『当事者でないとわからない』などの一般論ではすませられなくなっている。本書は、インタヴューで得た8つのエピソードから『老害』の諸相を描いた話題作」と書かれている。
そして本文の中では、「年金もあれば、それなりの財産もある。介護が必要なわけでも、認知症でもない。自分のことは自分でできるはずの大人が“老害の人”になってしまう。その筆頭は定年退職した夫かもしれない」との指摘もありドキッとした。
「年金もあれば、それなりの財産もある」の部分はそうではないが、その後の条件設定は当てはまり、「定年退職とした夫」にはピンポイントで該当するからだ。
実際、私も定年退職に際して、パートナーから二つの提案がなされた。一つは朝から「お昼は何?」と聞かないこと。もう一つは私には私の楽しみがあるので邪魔をしないこと、だった。
渡辺淳一の著書『孤舟』からきた「孤舟族」のように、定年退職後なにをすることもなく、所謂「濡れ落ち葉」的にパートナーにつきまとって「老害」を示してしまう存在も少なくない。
ともあれ、人生の最後まで「老害」を曝さず、子どもたちにも迷惑をかけずに、旅立てることを願うのみだ。