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ミャンマー「軍事クーデター」:その真実・真相 [2月8日時点の見解]

2021-02-08 23:50:00 | 国際
ミャンマーで軍事クーデタ-が発生したが、把握しにくい面があって正しい認識と理解に至る事が容易ではない。この問題についてはジャーナリストの有本香氏と須田慎一郎氏がクリアに解説しているので、その内容を紹介したい。


作家・評論家の石平氏が「今回のクーデターが起きる20日前に中国の王毅外相がミャンマーを訪れてスーチー氏側と接触をすると同時に軍のトップとも会っていた」と伝えている。また、石平氏は「今回の事案を”クーデター”と称しているが、実はその裏には中国の影がある」とも述べている。

これについて、結論的な事を2つ述べる。

一つは、これを「我々がイメージする”クーデター”だと思って見るとやや的外れになる」ということ。

もう一つは、今、日本を含めた国際社会はこれに対してどう対応すべきか、という問題だが、アメリカのバイデン政権がいち早く制裁に言及している。「援助を停止する」、としているのだが、しかしこれはやや拙速だと思われるのだ。

今、日米欧の自由主義諸国がミャンマーに対して最も注意しなければいけないことは「ミャンマーを中国の方に寄せてしまってはいけない」ということである。これが最重要なポイントだ。
ミャンマーは本当に戦略的な要衝であって、特に習近平政権はミャンマーを一帯一路の要衝の一つとしているのである。中国は以前からミャンマーの港を勝手に使ったり(人民解放軍海軍の事実上の軍港として使う)、或いはミャンマーと中国との陸上の国境でパイプラインを引っ張ってミャンマーから資源を収奪するようなことをやってきたのである。これは前の軍事政権の時に欧米がミャンマーを制裁してしまったものだから、ミャンマーが中国の完全な草刈場になってしまった結果としてそうなっているのである。

ミャンマーというのは資源も豊富で位置的にも重要な場所である。スーチー氏側も軍側もどっちも「自分たちとしてはいいとこ取りをしたい」と思っているのだ。つまり、「中国とも喧嘩はすべきでない」のだし、「中国とも取るものは取りたい」。それ以外の国とも仲良くしたい、ということだ。それで、今、軍政から民政移管されていて、アメリカやヨーロッパの資本がどんどん入ってきているのであり、ミャンマーは豊かになっていっているのだ。これも手放したいとは思っていないのである。

なので、「昔の軍政に戻ってしまう」と言っていきなり制裁をかけるとなると、本当に昔の姿に戻ってしまう事になる。これが「最もやってはいけないこと」なのである。


国連では安保理の議長国であるイギリスのウッドワード国連大使は「ウォッチする」というニュアンスで言っているのであり、実は激しい非難はしていないのである。

なぜか。

イギリスはミャンマーの状況を非常によく把握しているからである。そこをまず踏まえておく必要がある。

それでは、今回のこの政変劇はいったい何なのだろうか?

「昔の軍政時の国軍」と「今の国軍」はやはり違うのである。それなりにミャンマーの国益を考えているから、決して無茶苦茶な事をしようという意思は持っていないのだ。スーチー氏だって自宅軟禁させられているとは言うのだが、色々なメッセージを出すことも可能で、かなり自由度は高いと言える。差し迫った緊迫感や切迫感は無いのである。


では、今回、国軍はなぜこのような行動に出たのだろうか?

昨年の11月にミャンマーで総選挙が行われたのだが、これに不正があった、と軍は言っているのである。そもそもミャンマーに於いては一定数の議席が軍からの枠として組み込まれている。

かつての軍政から民政に移管していったが、それはスーチー氏たちが政権を取ったからということではなくて、その前から徐々に民政移管していったのである。その後、前回の選挙でスーチー氏のNLDが勝利した。ところが、スーチー側のNLD政権にも色々な問題が実は存在しており、それが原因で今回の選挙では票を減らすだろうと皆が予想していたのである。少数民族側もそれぞれ政党を持っているし軍の側も党派を持っているので、そうした勢力がある程度は議席を取るであろうと予想されていたのである。

・・・そう思っていて蓋を開けたら前回以上にNLDが圧倒的勝利してしまったのである。それで「これはおかしい」という疑問がずっと巷間言われていたのである。

だが、スーチー氏側は軍などが選挙の再実施を提案しても完全に無視していたのである。まず、そういうことが背景にあるのだ。これが一つ。


ミャンマーの憲法では、そもそも大統領や閣僚クラスの人たちというのは自分の党派の選挙運動をやってはいけないことになっている。圧倒的に有利だからである。ところがNLDはお構いなく選挙運動をやっていたようである。なので、選挙の前からやり方がフェアではない、という指摘があった、ということだ。

そういうこともあって、現在の軍の主張は「今回の選挙は正しくなかったのだから、やりなおそう」ということだ。これでも判るように、それ自体は別に無理筋なことを言っている訳ではないし、暴力的に何もかも排除しようとしているのでもない事は明らかだ。


そしてもう一つは、これも憲法に規定がある案件だが、ミャンマーの場合、一応は民主主義のシステムに則って「選挙に依って政権を担う人を選ぶ」という形にはなっているのだが、依然として軍の力は強いのである。それは国が不安定化しやすいという実情を抱えているからである。民族勢力も多い上に、停戦合意に応じてない人々すら居るのである。

軍は非常事態を宣言することはできる。軍が非常事態宣言を出して全権掌握した場合は一年の間にその事態を収拾させる、という決まりになっているのだ。だから今回、NLDの支持者の中から”軍は無理筋なことを言っている”という非難はあるだろうが、それでも弾圧している訳ではないし、恐らくこの一年という期限を守るのではないかと見られる。だから軍は「1年の間に選挙をもう一度やりなおそう」、と言っているのである。


一方で、1万人近い国際監視団がミャンマーに行って選挙を監視していたのだが、「選挙自体は普通に行われていました」という報告になっている。ところが、軍及び軍周辺の会派が主張しているのは、「そもそもキャンペーンのやり方からして不正がある」・・・という話なのである。

従ってそういう意味で多少の混乱はあっても納得いく落とし所をサイド探す、というプロセスが別にあってもいいのではないか、と思われるのだ。


もう一つ、もっと大前提のことで言えば、例えば東南アジアの国々に於いての話だが、例えば隣のタイである。タイはミャンマーよりも豊かだが、時の政権が「ちょっと腐敗してるな」とか、「どうしようもないな」となってきた場合、いきなり軍が出てきてクーデターを起こすというケースが過去に何度も起きている。ただ、タイの場合は王室というものが存在する。これが大きい。タイの軍隊イコール王様の軍隊なので、要するに王様の意を自分たちが汲んで、どうしようもない政権になってきたら力でそれを排除する、という経緯は何回も繰り返されている。これは日本のような豊かで成熟した民主主義の国において、いきなりクーデターが起きるというような状況とはやはり大きく違う、ということでもある。そもそも土壌が決定的に異なるのである。

ミャンマーの場合は先ほど述べたように、憲法の中でも軍が非常事態を宣言して、そして1年間という期限の中で事態を収拾させる、というそういう決まりもあるのだ。

ミャンマーではそもそも選挙に関しては選挙の投票日以前から「やり方がフェアじゃない」、という指摘がされていたのだ。それに一切耳を貸さなかっったのがスーチー氏なのである。それから少数民族の政党や軍関係の政党も含めて今回はもう少し票を伸ばすだろう、と予想された勢力に全然票がいかない、という事態が起きた。「これはやはり異常だな」と思っている人が相当数居るのだが、また例によって国際メディアがうるさいので、そういうことはなかなか言いづらいという状況にあるようだ。

この問題はあまり単純化して捉えてはいけないものである。「こっちが正義で、あっちが悪」というものではない。「スーチー氏側が圧倒的に正義で軍は完全に悪玉」だという単純な判断をしてはいけない事案なのである。

以前にロヒンギャの問題を取り上げた時も国際メディアが伝えているような「ロヒンギャを弾圧するスーチー政権」という見方も正しくはないのである。

そもそもロヒンギャ問題を引き起こしたのはイギリスである。そうしたそもそも論で捉えると「イギリスが責任を取るべきである」というのが本当は正しいところであると考えられる。


ミャンマー問題は実は複雑である。
最終的に国際社会として最もしてはいけないことは「ミャンマーを中国側に寄せてしまうこと」である。これだけは厳に避けなければならない。

ミャンマーも中国とはそれなりに関係があり、先般も王毅外相がやって来たり、或いは習近平主席とも色々なコネクションがある関係でミャンマー政府も中国とは色々な話をしている。
そんな中で、今回の中国コロナの騒動で「中国がミャンマーに対してワクチンを支援する」、と約束している。すると、それを聞いたインドがすかさずワクチンの現物を持って支援に来たのである。ミャンマーはインドと中国という大国に挟まれている関係上、中印の綱引きに巻き込まれるのだ。要するに中国のワクチン外交の相手にさせられて、そこでまた恩を売られることでミャンマーが中国の影響下に入ってしまう事を最も恐れているのはインドである、ということだ。だからインドは「ミャンマーが中国とワクチンの約束を交わした」と聞いた途端にワクチンの現物を持って飛んできた、という事である。インドのこの姿勢を日本政府はきちんと見て意識するべきなのかもしれない。

日本は…と言えば、かつてのミャンマー軍政の時ですら欧米の制裁には乗らなかったのである。軍政とはちゃんと関係を持っていたのだ。ミャンマー外交だけは日本政府は正しい選択をしていたようである。なので、今回もバイデン政権の「制裁する」とか「民主主義に対する挑戦」などという主張には乗る必要は全然ないのである。


さらにもう一つ・・・反面教師と言うか逆神とも言える事例だが、朝日新聞が2月2日か3日の紙面に於いて「ミャンマー民主化覆す軍の暴挙だ」というタイトルで社説を掲載している。その中で朝日新聞は「先月発足したアメリカのバイデン政権は人権や民主主義を重視し同盟国との協調を重視するものだ」として「日本はこれに同調すべきだ」と説いている。
これは完全に間違いだ。はっきり言ってバイデンと朝日新聞が言ってることには乗らないのが大正解である。

そういうことで、今まで通りミャンマー軍ともスーチー氏側ともまったりと仲良くしておけば良いのである。

ミャンマーには日本の企業も進出していて非常に有望なところである。人的資源も豊富なのであって、そうした基本関係を壊すような的外れなバイデンの主張に乗る必要は全然無いのである。

だが、心配なのは現在の菅総理や官邸の機能が弱まっていることで、方向性がどうもフラフラしている様相を呈していることである。


こうして見てきたミャンマー問題だが、一般的にありがちな話として、ともすると日米欧のような成熟した民主主義国家は、つい自分たちの枠組みや価値観に組み入れて捉えようとする傾向がある。しかし、ミャンマーは成熟への過渡期にあると認識するべきであろう。

成熟する事の大きなポイントは「司法・行政・立法」の「三権分立」である。ところがミャンマーの現状というのは司法制度がかなり未成熟なのである。権威を持って動ける裁判所や警察が無いのだ。その代替としての軍の存在なのである。何かしらの不正や問題が発生した場合、その都度修正を図っていく…という事がミャンマーの憲法を読んでみると判るのだ。問題が発生した時に1年の期限をもって事態を収拾し状態をリセットをする手立てとして…ということだろう。そういう背景があって「国軍が一定枠の議員枠を持っている」ということなのだと推測される。

立法機関がきちんと仕事をし始めれば法律が整備されていくであろうし、やがてきちんとした司法制度が確立していき、そして徐々に国軍の役割が薄らいでいく・・・現在はそのストーリーの途上にある、ということなのだろう。

それなのに・・・これをいきなり「先進国と同じやり方でやれ」と言うのはそもそも無理筋な話なのである。「これは民主主義に対する暴挙だ」とか「挑戦だ」というのはまったくの筋違いである。(*1) そこを理解せずに「我々が考える民主主義」を押し付けてしまうと、むしろ民主主義とは逆の方向へ追いやってしまう危険な可能性があるのだ。その恐れが大きいのだ。つまり一部の政党のカリスマに依る独裁になってしまう…ということを理解しておくべき、である。

成長途上にある国を自分たちのモノサシで全てを推し量ろうというのは適切とは言えないだろう。それぞれの国にはそれぞれの歴史があるのだし、置かれている特殊な状況があり、仕組みがあるのだから、それを前提にして民主主義を進めていく為にはどうしたらいいか・・・という視点で見ていかなくてはならないのである。



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(*1)
中南米の国でクーデターが起きる時には、だいたい軍側の背後にアメリカがいたりするのだ。アメリカやイギリスがよくやることではある。なので、そこは全くのダブルスタンダード、ということだ。従って、ここでいきなりミャンマーに対して「民主主義に対する冒涜だ」というのはそもそもおかしな話なのだ。



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<2021年3月21日:追記>
当記事が掲載されてからミャンマー情勢は芳しくない方向に推移し状況が悪化した。そうした変化とその背後にあるものを再度解説した記事が下記になる。ぜひご参照いただきたい。

ミャンマーの軍事クーデター激化と日本、そして国際社会


そうだったのか! バイデン政権の真実

2021-02-07 14:35:55 | 国際
バイデン政権が発足したが、バイデン側の主張と実際の現実がどうなのか、について国際政治学者の藤井厳喜氏が解説している。その内容を紹介したい。


「1984年」というジョージ・オーウェルの有名な小説がある。今現在の現実として、「アメリカは1984年の世界に近づいている」と言えるだろう。実際にそのように意見する人がアメリカでも増えてきている。巷では小説「1984年」が久しぶりによく売れているそうだ。

この小説の中に「ニュー・スピーク」という言葉が出てくる。「新言語」というような意味であり、元が英語なので”英語の新しい話法”というか、”新しい慣用法”のようなものであるが、
これは何かと言うと・・・

「全部が逆転してる」

ということなのだ。
・・・どういうことか?

左翼全体主義の社会に於いては
「戦争と言えば平和のこと」であり、
「平和と言えば戦争のこと」である。
「デモクラシーと言えば全体主義のこと」であり、
「全体主義と言えばデモクラシーである」、ということだ。

こうしたニュー・スピーク的発想で読むと、バイデン大統領の就任演説は非常によく理解できるのだ。彼が初めに言ったのは「今日はデモクラシーの日だ」「デモクラシーが勝利した」ということ。そうは言うのだが、実際には「デモクラシー敗北の日」なのである。デモクラシーの根幹である選挙でインチキをやったことで自分が大統領になれた(*1)からである。だから「デモクラシーのお葬式の日」というのが正しいだろう。

そして、バイデン氏は「国民と国家の団結に全霊を捧げる」「団結が大事だ」と言ったのだが、これはどういうことなのだろうか?

今、アメリカではもの凄い言論弾圧が起きている。大手メディア・オールドメディアなどは全社スクラム組んで「不正選挙などは一切なかった」という論調で統一している。今回は4年前の選挙と違ってネット上のSNSも全てマスメディアと同じ論調で統一されている。「不正選挙があった」と主張するアカウントは全部BAN(削除・剥奪)してしまう暴挙が平然と為されているのだ。(*1)

この動きは活字出版の方にも押し寄せている。ホーリー上院議員(共和党)は勇気を持って「不正選挙があった」と発言している。彼はアメリカの大手出版社と出版契約していたのにも関わらず、出版社の方が一方的に契約破棄して出せなくなったとのことである。言論弾圧が明らかに活字の方にまで来ている事を示す事実だ。

上記の通り、バイデン氏は「ユニティ(団結)」と言っている。「団結が大事だ」、と言うのだ。これはどういう事か言うと、「言論を全部統制する」、ということである。自分と意見の違う勢力や国民に言論の自由は許さない、ということを意味している。言論の自由は(当然のように)弾圧する…、全ては権力者の意志によって国民の意見を全体主義的に管理統制する…そういうことなのである。(*1)


バイデン氏がもしも本当に”国民融和・団結が必要だ”と思うのならそれを簡単に可能にする方法がある。それは実は大統領になる前にやっておくべきだった事でもある。「不正選挙だ」と指摘されて彼は「難癖をつけられた」と嘯くのだが、もし「本当に勝ったのだ」と言いたいのなら実は簡単な話である。「問題になっている各州で票の点検をしましょう」、と言えば良い。そして「本当に有効な票だけ数え直しましょう」「ドミニオン集計機のシステムも全部公開して調べましょう」「両陣営から専門家を出して公開の場でやろうじゃないか」と宣言してその通りに実行できれば堂々たるものである。公平公正な票の点検をして、それでバイデン勝利が確かなものであればトランプ陣営も率直に負けを認めざるを得ない。これはトランプ氏も明言していたことである。しかしバイデン陣営はそうした事は何もせず説明もせず言い訳すらせずに全部ホッカムリして通り過ぎたのである。これでは真っ黒である。

バイデン陣営は「不正選挙」ということに対して説明も言い訳も何もしていない。個々の事案についても同じだ。息子のハンターバイデンが中国から1千万円単位でお金を投資してもらっていた事実についても「息子は別人格だから」と言って一切無かった事にしているのである。この問題ではハンターのものとされるノートPCが出てきて悪事の裏付けとなる証拠が明らかにされている。しかしそれに対しても一切反論はない。全然ない。


バイデン大統領がもし本当に国民融和を進めたいのなら、比較的簡単な方法がある。それはトランプ大統領弾劾裁判をやめることである。そもそもそれ自体が憲法違反の所業なのである。大統領を退任した人を弾劾するなどあり得ないである。バイデン側の不正選挙・選挙違反がそもそも憲法違反であり民主主義への冒涜であり否定である。だが、トランプ氏がまた力を持つとバイデン側の悪行がバレる可能性がある。それでは困るので憲法違反の弾劾裁判で自分の政敵を徹底的に叩き潰すつもりなのである。そもそも「退任した人は弾劾できない」ので矛盾があるし憲法を無視する暴挙でもある。この愚行を「止める」と宣言すれば、それである程度の国民融和は進むであろう。しかしそれはやらないのだ。だから「言ってる事とやってる事が全く逆」なのである。

バイデン側は「憲法とデモクラシー、米国を守ると誓う」と言うが、これはアメリカを守らない。実際にバイデン側がやったのは「中国共産党と共謀してでも権力を手に入れる」ということであり「憲法とデモクラシーを破壊した」ということである。「個人の利益ではなく公益の為に尽くす」と彼は言うのだが、要するに「公益などどうでもよくて、個人の利益のために権力を掴んだんだよ」、と言っているのである。これが真実だ。


「ニュー・スピーク」で逆に読めば、そこに真実が見えてくるのである。「全てが逆さま」・・・そういう政権である、ということなのだ。



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(*1)
まるで独裁国家・中国のようである。





走り出したバイデン政権:その実態

2021-02-03 11:11:11 | 国際
バイデン政権がスタートしたとはいえ、現時点でトップが決まっていない省庁もあるようで、未だ本格稼働とはなっていないようである。これはこれで一種の異常事態だが…。

目につくのは滅多矢鱈に大統領令を乱発しているところか。既に史上最多の大統領令が出ている。トランプ+オバマ+ブッシュJr.の3人分合わせたよりも多くの大統領令を出している。正に「乱発」という言葉が似合う無節操な動きに見える。これは悪口ではなく、実態に即した評価である。

なぜそう言えるのか?

下記リンク先を参照されたい。

Did Biden Get Caught Saying 'I Don't Know What I'm Signing' Before Signing Executive Order?

次から次へと大統領令にサインしながらバイデンは呟く。
「何に署名しているのかわからない…」
と。(笑)

要するにカマラ・ハリス副大統領(*1)が「とにかくサインして」と促すシーンがカメラに捉えられたのである。政権の実質的な舵取りが(認知症の疑いがある)ジョー・バイデン氏ではなく既にカマラ・ハリス氏によって為されている事を象徴するシーンであろう。このシーンが象徴するのはそれだけではない。ジョー・バイデン氏が「嘘つき」である事を雄弁に物語る証拠でもある点だ。立法措置を取るには時間がかかるので必要なことをすぐにやれるという意味で大統領令が活用されるのだが・・・しかし、バイデン氏自身は「大統領令を出すことで政治をやるのは良くない」と堂々と言っていた人物なのである。「立法措置を回避して大統領令で政治をやるというのは良くない」、と、そう言っていた人物なのだ。「それは民主政治・デモクラシーの否定だ」とまで堂々と言い切っていた人物、それがバイデン氏である。その同じ人物が己の発言を裏切って節操なく数多の大統領令を乱発しているのだ。これが「嘘つき」でなくして何だというのか?

バイデン氏は言葉が一切信用できない人物だと言える。平然と嘘を付く人物・・・これが彼の実像なのである。

相方のカマラ・ハリス氏は元々極左活動家でありジョー・バイデンよりもさらに極左思考が強い。弁護士である夫は中国とも関係の深い人物だ。上記の通り、乱発される大統領令はジョー・バイデン個人の意思ではなく「極左のカマラ・ハリス副大統領にやらされている」ものである、という事実。出される大統領令は例えば不法移民に対して市民権を付与する方向へもってゆく為のものだったり、全て左翼的政策である。アメリカ国民はバイデン・ハリス政権が繰り出す極左志向の政策をどこまで受け止められるのだろうか。注目したい。

また、元ニューヨーク市長であるジュリアーニ弁護士が中国に依るウィグル自治区の弾圧を「 ホロコースト以来で更に多い大量投獄」と指摘している。さらに続けて「 42本に及ぶ大統領令はバイデン氏がアメリカ・ファーストではなくチャイナ・ファーストとして政策実行する事を示している」とも述べている。乱発された史上最多の大統領令ではあるが、今現在”地獄で助けを待っているウィグル人”に呼応するような内容の大統領令は1本も無い。無いったら無い。当然だろう、だってバイデンだもの。(み○を)


ジュリアーニ弁護士のツイート


バイデン大統領の就任式も異様であった。いくら中国ウィルス蔓延の最中であっても新しい大統領に対する人気や熱気くらいはどこかに感じられる筈である。だが、それは無かった。人は集まらなかったのである。就任式だけではない。バイデン氏の集会には毎回人が集まらなくて閑散としている場合が多い。これは事実であり、端的に人気がない事をストレートに現した現象だと思われる。ここがトランプ氏とは大きく違う。トランプ氏の集会は毎回多くの人が集まり熱気に満ちている。これも事実だ。

そしてバイデン大統領の就任式には州兵を25,000人も集めたのである。異常な人数だ。州兵をなぜ25000人集めたのかといえば、自分が不正選挙で大統領になった”やましさ”があるからである。投票で多数を取ってない自覚があるから怖いのである。怖いから多くの州兵を集めたのだ。バイデン氏は誰が怖いのだろうか? それは国民である。アメリカ国民が怖いのである。不正選挙で勝った事を国民から抗議されるのが怖いのだ。だから兵隊を集めて自分たちを守ることにしたのだ。これはバイデン氏だけでなく、民主党の政治家は多くがそう感じていた筈である。これが何を意味するのか? それは「25,000人の兵隊の銃口は国民に向けられていた」ということである。これはバイデン政権のあり方を象徴するものであろう。

まだある。

なんと(未確認情報ではあるが)下院議長のナンシー・ペロシ氏(民主党)は兵隊に向けて「機関銃を持たせろ」と言った のだ。しかも台座を付けて打つタイプの重機関銃である。戦車も止められるような重火器である。それほど国民を怖がっていたのだ、バイデン側は。だがさすがにそれは過剰警備だろうということで重火器の配備まではしなかったようだが、しかし兵隊全員がしっかり武装はしていたのである。本来ならハレの喜びの日である就任式にこの重々しさだ。

繰り返すが、バイデン氏はアメリカ国民が怖いのである。不正に依って勝利した自覚があるから、だから怖いのだ。これほどやましさに満ち溢れた政権が生まれてしまった・・・これが現実なのである。(*2)

大統領就任式会場には国民を入れる代わりに数多のアメリカ国旗をずらっと並べていたのだが、おかげで会場があたかも墓地のような様相を呈していた。それは様にアメリカの民主主義のお葬式をやっているようにも見えたが、それは正に今のアメリカを象徴する光景であった。


***


アメリカ歴代政権は必ず一度は戦争を起こしてきた。だが、トランプ大統領の時代にはアメリカは全く戦争をしなかった(仕掛けなかった)。実はこんな大統領は今までいなかったのである。

どういうことか。

ジョー・バイデンのような古いタイプの歴代大統領はたいがい軍産複合体との癒着がある。利権のしがらみである。武器商人は武器が売れれば儲かる。売れるためには戦争をやってもらわねばならない。・・・それで歴代大統領は何らかの戦争に関わっていたのだ。これが現実である。一方で中国にとっても中国版GPSの北斗システムと連動して動くドローン兵器やミサイルを売りさばく機会が到来したということだ。アメリカと中国は直接の戦争はしないだろうが、それ以外の国同士が戦争させられる危険性が高まってきたと言えよう。

その危険は当然ながら日本にも及ぶことになる。
米国とロシアは新戦略兵器削減条約(新START)の5年間延長で合意したが、中国の核戦力を大国間の軍備管理の枠組みに取り込む試みは当面棚上げされることになった。「中国の核」はそのまんまということになる。これは日本にとって深刻な脅威である。今回の新START延長は日本にとっては非常にまずい事態でありバイデンによってはしごを外されたようなもの、と言えよう。

バイデン政権になって早速日本が危険に晒される事態に突入しようとしている。大統領選で(不正に依って)バイデン勝利が見えた時に拳を上げて「よしっ!」と喜んだ坂上忍君たちタレントさん(*3)らはこのように日本が危険に晒される事がお望みなのだろうか?これが嬉しいのだろうか?これは紛れもなくバイデンが招いた危機なのだが…。

日本にとっての危険・危機ということではまず尖閣諸島の件がある。
中国で最近可決された海警法は中国の海警に武器使用権限を与えるどころか“主権的海域内の島嶼環礁”に建造・構造物を造ったり海域に固定装置や浮動装置を敷設した場合は除去・強制解体できる、とする身勝手極まりない法律である。尖閣諸島に建造物を造れば破壊し、漁船相手に銃撃可能になり、機雷を敷設するなら強制撤去できる内容になっているのだ。アメリカが親中バイデン政権になったことで中国は「キャッホー!」とばかりにやりたい放題なのである。それに対してバイデン政権のサキ報道官は「中国にはオバマ時代と同じく“戦略的忍耐で臨む”」と発言している。予想通りでありにわかに東アジアに暗雲が垂れ込めてきている。日本が無作為を続けている間にどんどん状況が厳しくなってゆくのである。相手は日本が弱腰と見ればますますやり方をエスカレートさせるのだ。ハードルをわざわざ高くしているのは日本自身である。この件で日本は世界に恥を晒している。日本の政治家と官僚のだらしなさに強い怒りを感じる。中国の侵略はもうそこまで来ているのだ。そして駄目押しにバイデン政権になったことで日本はさらに危険なポジションに立たされることになった。繰り返すが、坂上忍君たちタレントさんらはこのように日本が危険に晒される事がお望みなのだろうか?これが嬉しいのだろうか?バイデンを推した結果がこれなのだ。坂上君に理解できるだろうか?



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(*1)
カマラ・ハリス氏は上院議員だった。普通なら大統領選挙で当選が決まったらすぐに上院議員を辞職するものだが、カマラ・ハリス氏は1月20日の政権発足まで上院議員を辞職しなかった。なぜか。その理由は今回の大統領選挙に民主党側が仕組んだ不正があり、それが既に多数明らかになっていて証拠が盛りだくさんな状態(*1a)だったことで”明らかなやましさ”があったからである。なので確実に副大統領に就任できる時まで上院議員を辞職することはできなかったのである。彼女が「やましさを抱いていた証拠」と言えよう。

(*1a)
不正選挙の明らかな証拠も確たる証言も多数あった。それは厳然たる事実だ。それらがきちんと審理されてしかるべき正当な判断が下されていれば大統領選の結果は間違いなく逆転していた筈である。左翼は「不正はなかった」と言い張っているが、司法も議会もそれを審理する作業に入ることすらしなかった、というのが事実なのである。審理して正当な判断が下されていればトランプサイドの主張が正しい事が立証されるからである。だから審理することすら拒否したのだ。なぜか。左翼…つまり中国がアメリカの中枢部にまで深く深く侵食していたから…ということだ。戦慄する事態である。

(*2)
これは中国と全く同じ構図だ。中国共産党もまた中国国民が怖いのである。独裁に依る圧政で中国国民の本心は共産党に憎悪の感情を持っている。だからこそ中国共産党は国民を圧倒的な力で押さえつけ一切の反抗を許さないのである。逆にそれをしないと共産党は国民に依って倒されてしまい共産党幹部も殺される事になる。

(*3)
タレントさん達は基本的に無知であり新聞やテレビが流す偏向報道のみで情報を得ている。なのですっかり左翼目線でしか社会や世界を見られない形に洗脳されてしまっているのだ。哀れである。そもそもテレビ屋から仕事を請け負っている立場では左翼メディアであるテレビ屋のいいなりになるしか生きる道は無いのかもしれないが。ますます哀れである。



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<2021年3月11日:追記>
つい先日、「選挙権法」が米下院を通過した。これは「広範囲な郵便投票を恒久化し、オンライン有権者登録、当日有権者登録を認める」もので、要するに「不正投票の恒久化」を可能にするものである。同法には多数派を握る民主党議員が全員賛成する一方で共和党は反対した。そりゃ当然だ。先般の大統領選挙であからさまに行われたあらゆる不正手段が大手を振ってやれるようになるのだから。投票にあたっての本人確認は困難になる。本来なら「郵便投票を廃止して、アメリカ全州に於いてIDカードによる本人確認の義務化を実施する」のが筋であるが、現実は完全に真逆の方向に動いている。民主党のやりたい放題になることは、すなわちアメリカが中国流の全体主義に覆われる、ということを意味しているのだ。暗黒の未来である。




ウェイン・ショーターとウェザー・リポート

2021-02-02 17:30:00 | 音楽
↑写真は黄金期のウェザー・リポート
ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーター、
ジャコ・パストリアス、ピーター・アースキン



テレビの音楽番組にせよビデオのパッケージソフトにせよ、ミュージシャンや音楽グループのコンサートを映像で記録してリリースしてくれることは、そのミュージシャンに関心を持つ人々からみればありがたいことである。ただ、そのミュージシャンの「どの時代」を記録してくれるか、は大問題である。結論から言えば、そのミュージシャンの「最も旬な時期」の記録を取って欲しいのだ。だが、映像屋さんには「いつがその演奏家の旬なのか」が判らないのだ。そもそも音楽をよく知らない人たちだから仕方ない?…では済まない気がするのだが・・・。つまり映像ソフトは商品でもあるが音楽文化の貴重な記録でもあるからだ。

今でも思い出すが、昔、毎年夏に開催されるライブ・アンダー・ザ・スカイという野外のジャズフェスティバルがあった。これを数年間だけだが日本テレビが収録して放送していた時期があった。…とは言っても数日間に及ぶライブ全体を45~60分程度にまとめた(しかもCMが入るからさらに短くなる)番組なので各ミュージシャンの演奏はほんのさわりだけしか視られない(聴けない)事になる。酷いのは日テレのポストプロダクション(撮影後の映像編集・加工処理)である。こちらは純粋に音楽家が演奏している様を視たい(聴きたい)のに映像屋は余計な特殊効果を入れることでライブ映像の価値を台無しにしてしまうのである。言うなれば映像屋のマスターベーションだ。「こんな特殊効果もできるんだぞ」という(音楽と無関係の)子供の自慢程度の処理であり、それがかえって音楽の価値をぶち壊している事に全く気が付かない阿呆な連中なのである。テレビ屋のレベルというのはこんなものだ。実に腹立たしい。

最初から話がずれている。
閑話休題。

これ↑を話の枕にしたのは他でもない、ウェイン・ショーターが大きく活躍したウェザー・リポートというバンドの最も旬な時期、最も音楽の最高到達点に達した時期の映像記録がほぼ無いからである。TV屋さん映像屋さんには判らないのだろう。実に残念なことだ。

ウェザー・リポートは結成された1970年以降、数回来日しているのだが、1972年の初来日時も非常に音楽的に素晴らしい時期だったにも関わらず映像記録は無い。(オーディオ記録はある。「ライブ・イン・トーキョー」というライブアルバムが出ている)また、ジャコ・パストリアスが加入して以後の1976年以降は数回来日しているが、このジャコが在籍していた当時のバンドとして最も最高レベルに到達した時期の映像記録もほぼ無い。映像屋さんには音楽は判らないのだ。(*0)

ここからが本題で、このジャコ在籍時の1980年に来日したウェザー・リポートの東京公演(数回あった)を筆者は全て聴きに(見に)行った。これはもう群を抜いて素晴らしかった。オープニングはジョー・ザヴィヌル(kbd)とジャコ・パストリアス(b)の二人だけで演奏する「8:30」だった。但しジャコはベースではなくドラムを演奏した。同名タイトルのアルバムでも同じくドラムを演奏している。(ちなみにアルバム「ヘヴィーウェザー」内の「ティーンタウン」でもドラムを演奏している。ジャコはドラム奏者でもある)

その「8:30」がエンディングに突入し、まだ音楽が鳴っている内に舞台が暗転して、その間に残りの3人(ウェイン・ショーターとピーター・アースキン(ds)、ボビー・トーマス・Jr(perc))が登場して次の「Sightseeing」に突入する。疾走感のある速い4ビートの曲である。ウェインの作曲だが、アドリブ区間は調性を設定せず(ソロイスト交代時に一部の取り決めがある以外は特に設定はない)に全員が即興で演奏する。その瞬間にその場で自由に音楽を作り上げていく正にジャズの醍醐味そのものが怒涛の勢いで展開されたのであった。

参考までに、このような演奏である。↓
Weather Report - Sightseeing Live 1980

↑これはカリフォルニアのサンタクルーズでの演奏だが、東京公演のそれは”これの2倍は凄かった”、と断言できる。その記録が無い事が悔やまれて仕方がない。テレビ屋やビデオ映像屋に対して「なぜこの時の公演を記録しなかったんだっ?!」と怒鳴りつけたいほど・・なのだ。(笑)

この記事のテーマであるウェイン・ショーターの演奏も非常にクリエイティブで”楽器の鳴り”も非常に良い時期だったのである。上記の東京公演の演奏もあまりに凄すぎて、もはやウェザー・リポートではなくウェイン・ショーター・クインテットではないか、と思えるほどであった。

そのウェザー・リポートだが、Wikiの説明に依ると「ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターの2人が中心になり」結成された旨が記されているが、これはやや違う。この2人にベースのミロスラフ・ヴィトウス(*1)を加えた3人が中心になって結成されている。当時の音楽メディアも「トロイカ体制」という言葉でこの3人を表現していたくらいである。ただ、演奏活動が進行してゆく内にジョー・ザヴィヌルの発言力が大きくなってきたこととバンドの音楽が次第にエレクトリックサウンドやファンクリズムに彩られるようになってきたことでアコースティック・ベース中心に演奏するミロスラフの居心地が悪くなってきた。なお、ミロスラフはエレクトリック・ベースも演奏はする。

ミロスラフ・ヴィトウスが脱退した後は正にジョーとウェインの二人が中心のグループになったのだが、ジョー・ザヴィヌルという人物の個性の強さはウェザー・リポートにとってメリットとデメリットをもたらした、とも言える。メリットはジョーがグループ全体のサウンドデザインを含めてプロデューサーとして貢献できたことであり、デメリットはその個性の強さ故についついジョー・ザヴィヌル色が色濃く出てしまう点であった。この辺の事情は下記のリンク先の記事に詳しいので参照されたい。

ウェザーリポートとは誰のバンドだったのか?

リンク先記事の筆者さんは1970年代後半に於いてジョー・ザヴィヌルの影響力が大きくなり、相対的にウェインの活躍度合いが減っている旨説明されているが、それには訳があるのである。これはもう音楽の話ではなくなるが…ウェインと当時の奥さんの間にはイスカという名前の小さなお子様(娘さん)が居たのだが脳に深い障害があったことで、その娘さんの子育てが尋常でなく大変だったのである。かなり壮絶だったようだ。私生活の事であるとはいえ、その状態で存分にクリエイティブな創作活動を両立させるのは相当に困難があったものと容易に推察できるのである。そういう背景があったことでこの時期はジョー・ザヴィヌルに多くを預けていた…のかもしれない…と想像されるのだ。


ところで、あまりご存じない人たちからは「ウェザー・リポートはフュージョン・ミュージックのグループ」であると認識されているが、それは間違いである。ウェザー・リポートは完全にジャズのグループだ。それもモダンジャズの最高到達点の一つとして認識されるべきバンドだ。

誤解を恐れずに言うならばロックや狭義のフュージョンは書かれた(作曲された)ものを決まったとおりに演奏する事が中心になるが、ウェザー・リポートの場合は書かれたもの(作曲された部分)は単なるモチーフ(ある種の手がかり)でしかなく、ライブで実際に演奏される内容はその時その場の考えや気分で自由に変わってゆくのである。前述の「Sightseeing」の演奏をお聴きいただいても判ると思うが、即興要素の非常に多い音楽である。もちろんその度合は曲に依って異なる訳で、「バードランド」のようなポップスのリスナーにも聴き心地の良いナンバーもある。しかしライブでの演奏は非常にジャズを感じさせるものがあり、スリリングな展開が魅力的だったのである。ちなみに1982年のプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルではこの曲でコーラスグループのマンハッタン・トランスファーと後にも先にもたった一度だけの共演をしている。下記を参照されたい。

Birdland Weather Report Manhattan Transfer

一度ウェザー・リポートだけで「バードランド」のハイライトたる後半部分だけ演奏し一回終了する。しかし直後に再び「バードランド」のイントロが始まり、ステージ袖からマンハッタン・トランスファーの4人が登場し共演が始まる。およそあり得ない共演が現実になったことで聴衆は心底喫驚したことだろう。驚天動地の心境だ。高山一実(乃木坂46)さんなら「アメイジング!」と叫ぶところだ。それはさておき、この時期にはウェザー・リポートはこの曲をシャッフル・リズムで演奏していたが、歌唱するマンハッタン・トランスファーの為に(オリジナルのイーブンな)8ビートで演奏しているのが興味深いところだ。但し後半のリフレインのパートはシャッフル・リズムになる。このリフレインだけならシャッフルでもマンハッタン・トランスファーも対応可能だからだ。ちなみにこの時期のウェザー・リポートのドラムはオマー・ハキムである。(*2) 後にマドンナやスティングのバックバンドでも演奏した彼だ。実に音楽的にドラムを演奏できる秀逸なドラマーの一人である。


ウェイン・ショーター個人の話に戻す。

ウェザー・リポート時代のウェインはジョー・ザヴィヌルの創造性と協調する形で音楽を作ってきたのだが、1980年代の半ば近くになってくるとウェイン自身が創造したいものが具体的な形になってきて、それはウェザー・リポートの路線とは異なるものだったようである。それが一つの形として結実したのが1985年の「Atlantis」である。ここではウェザー・リポートの音楽とそう遠くはないのだがしかし非常にモダンでウェインらしい人間的な音楽を創っていると言えよう。その流れは1990年代まで続く。1980年代後半はウェインの長い音楽人生の中でも初めての自身のリーダー・グループを編成してツアーに出ている。(*3) この時に日本にも来ていて、筆者は当時の六本木ピットインとコンサートホールで2回聴いたが素晴らしい内容であった。1988年にはカルロス・サンタナとの双頭バンドでツアーに出ている。モントルー・ジャズ・フェスティバルでの演奏が下記のリンクにあるので参照されたい。

Wayne Shorter & Santana - Elegant People (Live at Montreux 1988)

ウェインとカルロス・サンタナは互いにリスペクトし合う仲であり、音楽的にも精神的にも認め合っている。サンタナ曰く「ウェインは音楽に於けるピカソだ」と。
上記の演奏者はウェイン側のメンバーとサンタナ側のメンバーがほぼ半分ずつ参加した特別編成のバンドである。レオン・チャンスラー(ds)とアルフォンソ・ジョンソン(b)はウェザー・リポート中期頃の仲間だった演奏者だ。曲はウェインがウェザー・リポート時代に書いた「Elegant People」である。

ウェイン自身のバンドでのモントルーのライブ(1996年)もある。下記を参照されたい。

Wayne Shorter - Endangered Species, Montreux 1996

ベースはアルフォンソ・ジョンソンである。ドラムの若きロドニー・ホームズが強力なグルーヴ感をプッシュしている。

ウェインの1980年代後半~1990年代はこうしたエレクトリック・サウンドとグルーヴするリズムに支えられたモダンな音楽で自身の個性と音楽の中に普遍的な価値を構築していたのだが、やがてウェインは「より即興演奏に帰依するスタイル」に変貌してゆく。アドリブを最重視した演奏であり、かつバンドのスタイル自体がアドリブを基本とするものである。サウンド面もアコースティックになり、電気楽器は姿を消した。サックス・ピアノ・ベース・ドラムに依るアコースティック・カルテットを自身のホームグラウンドとしたのだ。これが2000年のことである。下記のリンクを参照されたい。

Wayne Shorter Quartet - Live In Paris 2012

ダニーロ・ペレス(p)、ジョン・パティトゥッチ(b)、ブライアン・ブレイド(ds)がリズム・セクションを務めるカルテットはウェインが求める高い音楽性と即興演奏の能力を兼ね備えたメンバー達である。ベースのジョン・パティトゥッチはチック・コリアのアコースティック・バンドやエレクトリック・バンドでもお馴染みの名手だ。このバンドでウェインは非常に難しいテーマをバンドに与えている。それは一度作曲された曲を解体しながら同時に再構築してゆく、というものだ。楽器の演奏能力以外に豊かな即興対応能力とセンス、そして音楽を多彩に解釈できる力などが求められるのだ。突き詰めれば深い精神性という領域にも関わるものであろう。晩年のウェインが辿り着いた世界がここなのである。

グラミー賞を6回受賞しジャズ音楽家として極めて評価が高くレジェンド的な存在のウェインだが、2021年現在、病気療養中で演奏活動はしていない。2019年にはサンフランシスコのSFJAZZでカルテットでの演奏が予定されていたが、ウェインの病気によってキャンセルになった。この事態を受けた盟友のハービー・ハンコックがウェインの医療費を集めるためにトリビュート・コンサートを企画し計4回の公演を実施している。


早期の治癒・回復と音楽活動への復帰を衷心から願うものである。




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(*0)
余談だが、この1976年のニューポート・ジャズ・フェスティバルの一環としてカーネギーホールで「ハービー・ハンコックの追想」という企画のコンサートがあった。この中で”マイルス・デイビスの60年代の黄金クインテットを1回だけ復活させる”という目玉企画があり話題になった。マイルス自身は出演しなかったが代わりにフレディ・ハバード(tp)が加わってマイルス時代の黄金クインテットの演奏が再現された。メンバーはハービー(p)、フレディ(tp)の他にウェイン・ショーター(ts,ss)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)である。この夜の演奏は正に歴史的なもの(V.S.O.P.と銘打たれた)でありライブアルバムは出たのだが映像記録は筆者が知る限りでは無い。そして、1977年にはこの同じメンバーで来日している。有名なV.S.O.P.クインテットである。東京では田園コロシアムで演奏したのだが、その歴史的なライブに対しても映像記録は無いのだ。(ライブアルバムは出たが)これは本当に映像で残しておいてほしかった。映像屋もテレビ屋も真に価値のある音楽が判らないのだろう。だからこんな貴重な機会をみすみす逃しているのだ。

(*1)
ミロスラフ・ヴィトウスはチェコ出身のベーシストである。十代の時に音楽コンテストで入賞した事があるが、その時の審査員にジョー・ザヴィヌルが居た。

(*2)
当時アメリカで放送されていた夜の音楽番組「NIGHT MUSIC」でもデビッド・サンボーンらと共にハウスバンドのメンバーとしても活躍した。

(*3)
ウェイン・ショーターの長い楽歴の中でも初めてリーダーバンドを結成したのがこの時である。それまでのウェインは、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズでの音楽監督、マイルス・デイビス・クインテット(*3a)での活躍(一部音楽監督も兼ねる)、そしてウェザー・リポート等々、その存在感の大きさで知られてはいたが、自身のリーダーバンドは持っていなかったのである。

(*3a)
マイルスの楽歴の中でも最高位に位置する、俗に言う「黄金のクインテット」である。現代ジャズの最高到達点として群を抜いてハイレベルなバンドであった。