
東京都の特別区である23区の中に港区という地域がある。23区の中でも中東部で都心でもあり湾岸も含まれる洒落たイメージのあるエリアだ。
この地域には大企業の本社や高いステータスを誇る企業、今が盛りのIT企業などもあって、ビジネス的に意識高い系の人々が集うと同時に、そのようなハイソサエティかつエグゼクティブな人々に接近して美味しい汁を吸いたい系の連中もまた集まってくる。一般に港区女子と呼称される女性群もまたそんな一団を形成しているのである。
港区女子と言っても必ずしも港区に居住している事を意味するものではなく、居住地域はほぼ首都圏全域にわたるようである。(*1)区外に居住していても港区に仕事場があるケースも多いし、場合によっては自宅も仕事も区外の場合もあるのだが、なにしろ最終的に港区に集まってくる女性群なのだ。
2019年5月3日にNHK総合テレビにてこの港区女子をテーマにした番組「図解デ理解 アイマイカワイイ」が放映された。そこではいわゆる港区女子を定義すべく様々な女性たちにインタビューしてその生態を明らかにしていった。
その結果、判明したのは次のような事である。
彼女たちの目的はハイソでエグゼクティブな男性たちに気に入られること。最終的にそんな男性と結婚してセレブで苦労知らずな生活を手に入れること。それで彼女たちの名誉欲・所有欲・虚栄心などが満たされる事、なのだ。ざっくり言えば、ほぼこれが全てと言って間違いない。(*2)
その目的に向かって彼女たちが日々努力するのは高スペックな男性に気に入られるべく美容に努力し会話力を磨く。容姿とコミュニケーション能力が高いレベルでバランスしているのが港区女子の条件だと言う。なんのことはない、キャバクラ嬢と同じである。これは本当で、六本木のキャバクラ店の採用基準と全く同じだそうだ。
ここ数十年、雇用等における男女同権や女性の自立が声高に主張されて実際にそうした社会に変容してきたという事実がある一方で、港区女子のように高スペック男子に依存し従属する事を目的に生きる女性たちも存在していることがこうして確認されるところである。
いくら男女同権で男性と同じように生き同じように闘うつもりで頑張っても、結局は男性に依存する境遇を女性自身が求めているのはおかしな現象のように思えるが、しかしこれが生物としての本来的な役割分担というか、各々の性に原初的に備わった役割に無意識的に収まろうとする動きだとすれば実に興味深いものがある。
さて、前述のNHKの番組では出演者の一人であるフリーアナの宇垣美里のコメントが的確かつ秀逸であり、しかも至極真っ当で、港区女子を簡潔に喝破していたのが印象的であった。
高スペック男子に接近できた港区女子たちは一様にハイソなポジションに上がってこられない普通の女性たちを見下す。マウンティングである。港区女子いわく、「普通の女子は地上の居酒屋で安いお酒を飲んで合コンしている一方で、私達(港区女子)はホテルやマンションの高層階で素晴らしい都会の夜景を眺めながら美味しい赤肉を食べ高価なワインを飲んでいる」としているが、この時点で一般庶民を上から目線で見下している。それが気持ち良いのだろう。
また、港区では普段はお目にかかれない芸能人や億を稼ぐアスリート達に出会える優越感を持てる、と。また、ファーストクラスでハワイに行けたりF1の観戦に行けたりするし、それを普通にできるハイスペックな男性と出会えるのが港区だ、と言う。
高スペックな男性たちとの交歓の場は港区女子にとっては一種の塾だそうだ。いわく「港区は自分を引き上げてくれる英才教育を受けられる塾」だと。これに対して宇垣美里は
「本当の塾をナメるんじゃない!」
と一喝。
さらに宇垣美里はこう続ける。
「港区は自分を引き上げてくれる?・・・なんとなく、自分の力ではないもので得たものは、本当に自分を引き上げてくれるのかしら?…という気持ちになります」
この言葉で港区女子の評価は充分であろう。これに尽きると思う。
港区女子がハイソな男性に高価な飲食を奢ってもらえる事に関しても宇垣は
「自分で払った方がおいしいけどなぁ…」
と普通に汗水たらして労働した対価として得たお金で得る食事の方が美味しい、という人としての当たり前のスタンスを述べる。これもまた至極真っ当な意見である。
港区女子の中には高スペックな男性から依頼を受けて容姿の優れた女性たちを手配する幹事役も居るのだという。一般から募集して写真審査及び面接を通過してはじめてハイソな会合に参加できるそうだ。幹事役などと言っているが実態はもはや女衒(ぜげん)である。
宇垣美里はこう言う。
「ご飯食べるのに写真審査かぁ・・・って思っちゃいますね」
溜息をつくのも当然である。宇垣のリアクションは人として当然なものだ。
ならば、女性を写真審査して格付けする男性の方はどうなんだと言えば、起業したりエグゼクティブのポジションであったりして例外なく超が付く高収入である。男性側は年収額で格付けされているのだ。(*3)
こうして港区女子がハイソ男子から高いレベルに引き上げてもらっていると思いこんでいても実際は男性に媚びて従属することを夢見ているのが実情であり、お金持ちの男性に囲われて守られるポジションに理想を見ているだけの姿が真の実態なのである。
また、港区女子の中にも厳しい格差やランクが存在しているようで、女衒にアピールして審査で何度落とされてもチャレンジし続ける下層の港区女子の姿はもはや哀れとしか言いようがない。自分がいま置かれている状況に早く気づいて、と願うところである。どうでもいいが。(蔑笑)
港区女子がハイソ男性から高価な飲食を奢ってもらい、種々の知識や知的情報を得る一方で港区女子はハイソ男性に何をお返しできるのだろうか。港区女子いわく、それは「感謝」なのだそうだ。爆笑である。噴飯ものである。結局何も返せるものがなく、容姿の美しさだけで中味が何もないのが港区女子なのである。
ちなみに、港区女子の中には「自分を引き上げてもらう」目的ではなく単純に「お金を得る」事が目的の場合も多々あるそうだ。飲食代に交通費等々…これなどはもはや売春と同じ発想と言えるだろう。何をか言わんや、である。(虚笑)
港区女子の実態は書けば書くほど情けなくなって気持ちも曇ってくる。結局この程度の人たちなのである。先述の宇垣美里のコメントが港区女子の全てを簡潔に言い表している、と言えよう。それがすべてである。
最後に宇垣美里はこう発言した。
「私は性格が反骨精神の塊みたいなところがあって、もしも相手(高スペック男子)に『これだけ美味しいご飯を』のように言われたら、『働いたら私だって払えますから』とか『一ヶ月間、塩と水だけで全然生きていけるんで、自分で払います』みたいなのを多分しちゃうんですよ」
とした上で
「だから最終的に喧嘩して帰ってきそう」
・・・と、このように述べて相手の男性に単純に依存や従属はできないし、その意味で
「(自分には)可愛げがない」
とも言う…のだが、実はこれが人間としての至極真っ当な姿勢と言えるのではないだろうか。
宇垣美里の意見・人生に対する筋の通った姿勢には全面的に賛成である。
(文中敬称略)
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【追 記】
男性が好む女性としての魅力を持つ港区女子を呼んで楽しむ高スペックな男性たちもいかがなものだろうか。結局は男性の性的趣向に合致した女性を呼び寄せて遊びの道具にしているだけ、といった印象もある。そういう事にお金をかけて贅を尽くして遊ぶのだとするなら、いくら社会的成功を得たとしても人としての程度はどうなのだろうか、と疑うところである。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
(*1)
ただ、港区女子に強い憧れの気持ちを持ち、港区女子であることの自意識が過剰になりがちなのは区外または都外から来る人々に多いような印象はある。
(*2)
中には「仕事上の繋がりを求めて」という真面目な動機も見られなくはないが、その場合は別に港区でなくても良い訳で、多数派を占めるタイプの港区女子とは微妙に異なるように思える。
港区女子が求める人脈の中にはテレビ局の部長も含まれるそうだが、これに対して宇垣美里は
「テレビ局の部長に果たして力なんてあるのか・・?」
と発言。前職が前職だけに生々しい証言といえる。
(*3)
女性の側に「自分を引き上げてくれる」とか「自分磨き」といった意識があったとしても、実際には写真審査で選ばれた女性のみが参加できるという事実が示しているものは、ハイスペック男子たちが求めているのは女性の「女性的な魅力」つまり「セクシャリティ」にまつわる部分なのであって、その時点でインテリジェンスというよりは生き物としての人間、そのオスとしての本能的な欲動によって無意識的に突き動かされている実態が見て取れるのである。
この地域には大企業の本社や高いステータスを誇る企業、今が盛りのIT企業などもあって、ビジネス的に意識高い系の人々が集うと同時に、そのようなハイソサエティかつエグゼクティブな人々に接近して美味しい汁を吸いたい系の連中もまた集まってくる。一般に港区女子と呼称される女性群もまたそんな一団を形成しているのである。
港区女子と言っても必ずしも港区に居住している事を意味するものではなく、居住地域はほぼ首都圏全域にわたるようである。(*1)区外に居住していても港区に仕事場があるケースも多いし、場合によっては自宅も仕事も区外の場合もあるのだが、なにしろ最終的に港区に集まってくる女性群なのだ。
2019年5月3日にNHK総合テレビにてこの港区女子をテーマにした番組「図解デ理解 アイマイカワイイ」が放映された。そこではいわゆる港区女子を定義すべく様々な女性たちにインタビューしてその生態を明らかにしていった。
その結果、判明したのは次のような事である。
彼女たちの目的はハイソでエグゼクティブな男性たちに気に入られること。最終的にそんな男性と結婚してセレブで苦労知らずな生活を手に入れること。それで彼女たちの名誉欲・所有欲・虚栄心などが満たされる事、なのだ。ざっくり言えば、ほぼこれが全てと言って間違いない。(*2)
その目的に向かって彼女たちが日々努力するのは高スペックな男性に気に入られるべく美容に努力し会話力を磨く。容姿とコミュニケーション能力が高いレベルでバランスしているのが港区女子の条件だと言う。なんのことはない、キャバクラ嬢と同じである。これは本当で、六本木のキャバクラ店の採用基準と全く同じだそうだ。
ここ数十年、雇用等における男女同権や女性の自立が声高に主張されて実際にそうした社会に変容してきたという事実がある一方で、港区女子のように高スペック男子に依存し従属する事を目的に生きる女性たちも存在していることがこうして確認されるところである。
いくら男女同権で男性と同じように生き同じように闘うつもりで頑張っても、結局は男性に依存する境遇を女性自身が求めているのはおかしな現象のように思えるが、しかしこれが生物としての本来的な役割分担というか、各々の性に原初的に備わった役割に無意識的に収まろうとする動きだとすれば実に興味深いものがある。
さて、前述のNHKの番組では出演者の一人であるフリーアナの宇垣美里のコメントが的確かつ秀逸であり、しかも至極真っ当で、港区女子を簡潔に喝破していたのが印象的であった。
高スペック男子に接近できた港区女子たちは一様にハイソなポジションに上がってこられない普通の女性たちを見下す。マウンティングである。港区女子いわく、「普通の女子は地上の居酒屋で安いお酒を飲んで合コンしている一方で、私達(港区女子)はホテルやマンションの高層階で素晴らしい都会の夜景を眺めながら美味しい赤肉を食べ高価なワインを飲んでいる」としているが、この時点で一般庶民を上から目線で見下している。それが気持ち良いのだろう。
また、港区では普段はお目にかかれない芸能人や億を稼ぐアスリート達に出会える優越感を持てる、と。また、ファーストクラスでハワイに行けたりF1の観戦に行けたりするし、それを普通にできるハイスペックな男性と出会えるのが港区だ、と言う。
高スペックな男性たちとの交歓の場は港区女子にとっては一種の塾だそうだ。いわく「港区は自分を引き上げてくれる英才教育を受けられる塾」だと。これに対して宇垣美里は
「本当の塾をナメるんじゃない!」
と一喝。
さらに宇垣美里はこう続ける。
「港区は自分を引き上げてくれる?・・・なんとなく、自分の力ではないもので得たものは、本当に自分を引き上げてくれるのかしら?…という気持ちになります」
この言葉で港区女子の評価は充分であろう。これに尽きると思う。
港区女子がハイソな男性に高価な飲食を奢ってもらえる事に関しても宇垣は
「自分で払った方がおいしいけどなぁ…」
と普通に汗水たらして労働した対価として得たお金で得る食事の方が美味しい、という人としての当たり前のスタンスを述べる。これもまた至極真っ当な意見である。
港区女子の中には高スペックな男性から依頼を受けて容姿の優れた女性たちを手配する幹事役も居るのだという。一般から募集して写真審査及び面接を通過してはじめてハイソな会合に参加できるそうだ。幹事役などと言っているが実態はもはや女衒(ぜげん)である。
宇垣美里はこう言う。
「ご飯食べるのに写真審査かぁ・・・って思っちゃいますね」
溜息をつくのも当然である。宇垣のリアクションは人として当然なものだ。
ならば、女性を写真審査して格付けする男性の方はどうなんだと言えば、起業したりエグゼクティブのポジションであったりして例外なく超が付く高収入である。男性側は年収額で格付けされているのだ。(*3)
こうして港区女子がハイソ男子から高いレベルに引き上げてもらっていると思いこんでいても実際は男性に媚びて従属することを夢見ているのが実情であり、お金持ちの男性に囲われて守られるポジションに理想を見ているだけの姿が真の実態なのである。
また、港区女子の中にも厳しい格差やランクが存在しているようで、女衒にアピールして審査で何度落とされてもチャレンジし続ける下層の港区女子の姿はもはや哀れとしか言いようがない。自分がいま置かれている状況に早く気づいて、と願うところである。どうでもいいが。(蔑笑)
港区女子がハイソ男性から高価な飲食を奢ってもらい、種々の知識や知的情報を得る一方で港区女子はハイソ男性に何をお返しできるのだろうか。港区女子いわく、それは「感謝」なのだそうだ。爆笑である。噴飯ものである。結局何も返せるものがなく、容姿の美しさだけで中味が何もないのが港区女子なのである。
ちなみに、港区女子の中には「自分を引き上げてもらう」目的ではなく単純に「お金を得る」事が目的の場合も多々あるそうだ。飲食代に交通費等々…これなどはもはや売春と同じ発想と言えるだろう。何をか言わんや、である。(虚笑)
港区女子の実態は書けば書くほど情けなくなって気持ちも曇ってくる。結局この程度の人たちなのである。先述の宇垣美里のコメントが港区女子の全てを簡潔に言い表している、と言えよう。それがすべてである。
最後に宇垣美里はこう発言した。
「私は性格が反骨精神の塊みたいなところがあって、もしも相手(高スペック男子)に『これだけ美味しいご飯を』のように言われたら、『働いたら私だって払えますから』とか『一ヶ月間、塩と水だけで全然生きていけるんで、自分で払います』みたいなのを多分しちゃうんですよ」
とした上で
「だから最終的に喧嘩して帰ってきそう」
・・・と、このように述べて相手の男性に単純に依存や従属はできないし、その意味で
「(自分には)可愛げがない」
とも言う…のだが、実はこれが人間としての至極真っ当な姿勢と言えるのではないだろうか。
宇垣美里の意見・人生に対する筋の通った姿勢には全面的に賛成である。
(文中敬称略)
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【追 記】
男性が好む女性としての魅力を持つ港区女子を呼んで楽しむ高スペックな男性たちもいかがなものだろうか。結局は男性の性的趣向に合致した女性を呼び寄せて遊びの道具にしているだけ、といった印象もある。そういう事にお金をかけて贅を尽くして遊ぶのだとするなら、いくら社会的成功を得たとしても人としての程度はどうなのだろうか、と疑うところである。
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(*1)
ただ、港区女子に強い憧れの気持ちを持ち、港区女子であることの自意識が過剰になりがちなのは区外または都外から来る人々に多いような印象はある。
(*2)
中には「仕事上の繋がりを求めて」という真面目な動機も見られなくはないが、その場合は別に港区でなくても良い訳で、多数派を占めるタイプの港区女子とは微妙に異なるように思える。
港区女子が求める人脈の中にはテレビ局の部長も含まれるそうだが、これに対して宇垣美里は
「テレビ局の部長に果たして力なんてあるのか・・?」
と発言。前職が前職だけに生々しい証言といえる。
(*3)
女性の側に「自分を引き上げてくれる」とか「自分磨き」といった意識があったとしても、実際には写真審査で選ばれた女性のみが参加できるという事実が示しているものは、ハイスペック男子たちが求めているのは女性の「女性的な魅力」つまり「セクシャリティ」にまつわる部分なのであって、その時点でインテリジェンスというよりは生き物としての人間、そのオスとしての本能的な欲動によって無意識的に突き動かされている実態が見て取れるのである。