伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

梅雨期のウオーク 「大室高原歩こう会」

2011年06月17日 | 「大室高原歩こう会」

6月16日(木)/

伊豆の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が源氏再興の旗揚げをした石橋山の合戦に敗れ、土肥実平の手引きで隠れたという「しとどの窟」をメインに、土肥城址(城山)に登り近くの広場「ピックニックランド」昼食、その後はひたすら長い下り坂を歩いて湯河原までのコース。

午前中は曇りだったが、午後に入ってからは小雨模様となった。なにしろいまは梅雨期なのだからこれは致し方ないことである。

総歩数はなんと16729歩。

これは「山歩き」の指導を受けてきたMr.ITの教えに従い坂道を歩幅を小さくしてZ状に歩いたためでもある。この歩き方だと確かに疲れは少ないが、なにしろ湯河原までの下り坂があまりにも長く。そのため歩数が伸びたのであろう。

しかし、いずれにせよ私の脚はこの辺が限界である。最近の「歩こう会」ではいつも最後尾の群れに入ってしまっていることに気付く。
まだ膝を痛めたり呼吸困難になったりすることはないが、脚の筋肉疲労は著しい。

加齢により否応なく脚力の衰えを自覚させられるようになったからには、残念ながらぼつぼつ「歩こう会」を退会する時期があ近付いているように思える。

それに雨と汗でしとど濡れた肌着のままバスに乗ったからなにやら肌寒く、帰宅時間は早かったものの今回の「歩こう会」はえらく疲れた。


「しとどの窟」までは下りと上りの急坂が続く。狭い坂道の両側には延々と石燈籠と石仏が並んでいる。


「しとどの窟」へ


「しとどの窟」(戦いに敗れた頼朝が土肥実平に護られ5日間隠れ潜んだところ)


土肥城址


土肥城址(城山)からの展望。ここから見ると「真鶴半島」が鶴の形をしていることがよく分かる。


湯河原駅ちかくの土肥一族の菩提寺「城願寺」の「七騎堂」


「七騎堂内部」 石橋山合戦に敗れ安房に向かった頼朝に従った「七騎」
源頼朝・土肥実平・安達盛長・岡崎義実・新開忠氏・土屋宗遠・田代信綱を祀る。

 城願寺のびゃくしん

 

 

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