京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

入院4日目、『歴史ドリームチーム金閣寺の謎に挑む』

2013-09-12 12:40:24 | 定年後生活


入院4日、明日手術です。内心落ち着きません。
気を紛らすため、SDカードに保存していた画像をもとに記事を書きます。

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1カ月以上も前の放送ですが、非常に面白い番組がありました。
NHKの「歴史ドリーム」という番組です。
この番組の趣旨は、従来の歴史学では迫りきれなかった歴史上のミステリーを解き明かすべく、異なる分野のスペ シャリストが結集、知と技の限りをつくして謎に立ち向かう。それが「歴史ドリームチー ム」という訳です。

私が興味をそそられたのは、金閣寺には創建時、もうひとつ別の建物があったということです。それは、文献から『天鏡閣』というものです。

現在の金閣寺




現在我々が知る金閣の光景ですが、創建当時は大きく異なっていました。
室町時代の僧侶の日記臥雲日件録には、金閣の北 に、天鏡閣とよばれる二階達の建物があり、空中廊下 廊下でつながれていたという 記述があります。
当時の様子がどのような ものであったのかについて学習院大学の島尾新教授が迫ります。



天鏡閣とはどんな建物だったのか。同時代の記録には、15間もの会所があると書かれています。会所とは奈良吉野に ある吉水神社を参考にすると、人をもてなすための場所で鎌倉時代の終わりごろから造られるようになった場所です。
天鏡閣は金閣の北側にあったとされています。

天鏡閣の姿を伝える資料は存在していないのですが、外観を探る際に最も役立つのは金閣そのものの姿だといいます。
金閣は1階から3 階まで全て違う様式で建築されています。これをヒントに3つのモデルを制作し、CGで合成してみました。
金閣寺が建築されたのは14世紀末ですが、この頃の義満は明と 貿易を行う事に心を砕いていました。



当時明の使節を招いていたが、比類なき建築で実力を示そうとしていたとの結論に、30畳ある会所は一階にあり、外観はフォーマルな場所に合う和風で、2階は眺望を楽しむための中国風のものではないかと推測します。
会所内部の様子は北山殿行幸記という資料から推測が行なわれました。
様々な考察の後、600年前の鹿苑寺金閣と天鏡閣の様子をCGで再現します。
2つの建物は空中廊下でつながれており、天鏡 閣ないの会所には中国美術の傑作が飾られる贅沢な空海でした。

天鏡閣再現図


金閣寺と渡り廊下でつながっています。




天鏡閣内部再現図




なかなか面白い番組でした。