かねてより見たいと思っていた曽原の獅子舞を今日、平成29年1月1日に見せていただきました。松阪市曽原町の獅子舞は、江戸時代から続く伝統行事で、松阪市の無形文化財に指定されており、元日の朝、「曽原獅子舞保存会(坂下昭男会長)」によって同町の天白神社に奉納されます。
神社では大火が焚かれ、保存会の人たちによりおしるこや甘酒が振る舞われます。
この日坂下会長からいろいろなお話を聞かせていただき、また資料をいただきました。
◆起源と沿革
曽原の獅子舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「伊勢大神楽」十二組の宗家の1つ、四日市市安倉川の石川源太夫組の流れを組んでいると伝わっています。
獅子舞の起源は江戸時代中期とか後期と言われていますが、はっきりとした記録はなく、始まった年代は定かでありません。
戦前戦後の混乱期の中断や、保存会結成後の中断があり、保存会結成後は平成18年、19年の中断を経て平成20年復活して現在に至っています。
保存会は「誠友会」から現在の「曽原獅子舞保存会」に受け継がれています。
(坂下昭男会長のあいさつ) (地区の人たちが大勢詰めかけます)
◆現在の定例行事開催状況
昭和三十年代には旧曽原村の村中の家々を廻って舞っており、元日から始めて終わるのが3日の昼頃までかかったということです。
現在は元日の朝、氏神様である天白神社で奉納の舞の後、乳幼児の成長祈願、・厄年の人たちの厄払いの舞を行っており、新築された家の家運隆盛を祈願する舞を執り行っています。
◆雌獅子だけの曽原獅子舞
現在曽原の獅子舞は雌(メス)獅子だけで舞われています。以前は雌雄一対で舞われており、舞によっては雌雄の相舞が行われていたということです。雄獅子は現在の雌獅子より一回り大きかったが、漆が塗られておらず、損傷が激しく、昭和35年頃まで練習に使われていました。坂下会長の話では、子どものころにはもう雄獅子は舞っておらず、練習に使われていた雄獅子は見たことがあるということです。
◆舞の演目
現在行われている舞の種目は、門舞し、跳び鶴の舞、四方の舞、太刀の舞、乱の舞の5つで、笹の舞、扇の舞、神来舞の3つは途絶えています。坂下会長からいただいた「曽原の獅子舞説明」という資料によると舞の内容は次のようで、原文のまま掲載します。
✦門舞し(かどまわし)
右手に御幣、左手に鈴を握り、さやさやと振り鳴らして、天照大神や八百万の神々の御神徳を、各家に授け、悪魔祓いのを行い祓い清める。
✦跳び鶴の舞(とびつるのまい)
疲れて眠っている獅子の脇を、簓(ささら)をすり鳴らして天狗(猿田彦)がはね跳ぶ。獅子は時々目を開けるが、また眠ってしまう。天狗は獅子を起こそうとして、さらにはね跳ぶ。
✦四方の舞(しほうのまい)
鳥兜(とりかぶと)をかぶった天狗(猿田彦)が獅子を誘導し、獅子と一緒になって悪魔を祓う。天地四方を祓い清める舞である。
✦太刀の舞(たちのまい)
獅子の(御頭・おかしら)が宝剣を口にくわえ、同じく宝剣を持った天狗(猿田彦)と共に、天地四方を舞い清めて、宝剣で邪気を切り祓う。悪魔祓いの舞いである。
✦乱の舞(らんのまい)
乱の舞は、天皇様が行幸で目的地に着かれた時や、相撲の勝負がついた時などに舞われたと、古文書に記載されている。締めの舞として執り行われる。
✦笹の舞(ささのまい)⇒昭和30年代半ば迄舞われていたが途絶えている。
笹の枝葉に御幣を付けた忌竹を天狗(猿田彦)が持ち、悪霊や災危が襲って来ないように番をする。ところが天狗がまどろみ、眠ってしまうと隠れて様子をうかがっていた獅子が天狗に戯れかかる。最後に猿田彦は忌竹を左右左に振って祓い清め、獅子もその中を舞い清める。
✦扇の舞(おうぎのまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
猿田彦が扇をひらひらさせて、獅子にじゃれかかる。獅子は扇が欲しくて猿田彦につきまとい。扇に向かって跳びあがったり、かみつこうとしたりするが、なかなか奪うことができない。修練を重ねた獅子に、ついに猿田彦は扇を与えてやる。獅子は大喜びして乱舞する。
✦神来舞(しぐるまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
1年の祓いをするため、一月から十二月までの十二段で構成される。右手に鈴、左手に御幣を持ち、胸のあたりの舞布を巻いて左手中指の先にかけ、尾のほうも後持ちが舞布を巻いて持ち、美しくしっとりと舞う。左右左と清め祓う。
神と旅する太夫さん(北川 央氏 著)より
平成24年(2012年)12月25日
曽原の獅子舞は私のブログ「松阪市のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。
神社では大火が焚かれ、保存会の人たちによりおしるこや甘酒が振る舞われます。
この日坂下会長からいろいろなお話を聞かせていただき、また資料をいただきました。
◆起源と沿革
曽原の獅子舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されている「伊勢大神楽」十二組の宗家の1つ、四日市市安倉川の石川源太夫組の流れを組んでいると伝わっています。
獅子舞の起源は江戸時代中期とか後期と言われていますが、はっきりとした記録はなく、始まった年代は定かでありません。
戦前戦後の混乱期の中断や、保存会結成後の中断があり、保存会結成後は平成18年、19年の中断を経て平成20年復活して現在に至っています。
保存会は「誠友会」から現在の「曽原獅子舞保存会」に受け継がれています。
(坂下昭男会長のあいさつ) (地区の人たちが大勢詰めかけます)
◆現在の定例行事開催状況
昭和三十年代には旧曽原村の村中の家々を廻って舞っており、元日から始めて終わるのが3日の昼頃までかかったということです。
現在は元日の朝、氏神様である天白神社で奉納の舞の後、乳幼児の成長祈願、・厄年の人たちの厄払いの舞を行っており、新築された家の家運隆盛を祈願する舞を執り行っています。
◆雌獅子だけの曽原獅子舞
現在曽原の獅子舞は雌(メス)獅子だけで舞われています。以前は雌雄一対で舞われており、舞によっては雌雄の相舞が行われていたということです。雄獅子は現在の雌獅子より一回り大きかったが、漆が塗られておらず、損傷が激しく、昭和35年頃まで練習に使われていました。坂下会長の話では、子どものころにはもう雄獅子は舞っておらず、練習に使われていた雄獅子は見たことがあるということです。
◆舞の演目
現在行われている舞の種目は、門舞し、跳び鶴の舞、四方の舞、太刀の舞、乱の舞の5つで、笹の舞、扇の舞、神来舞の3つは途絶えています。坂下会長からいただいた「曽原の獅子舞説明」という資料によると舞の内容は次のようで、原文のまま掲載します。
✦門舞し(かどまわし)
右手に御幣、左手に鈴を握り、さやさやと振り鳴らして、天照大神や八百万の神々の御神徳を、各家に授け、悪魔祓いのを行い祓い清める。
✦跳び鶴の舞(とびつるのまい)
疲れて眠っている獅子の脇を、簓(ささら)をすり鳴らして天狗(猿田彦)がはね跳ぶ。獅子は時々目を開けるが、また眠ってしまう。天狗は獅子を起こそうとして、さらにはね跳ぶ。
✦四方の舞(しほうのまい)
鳥兜(とりかぶと)をかぶった天狗(猿田彦)が獅子を誘導し、獅子と一緒になって悪魔を祓う。天地四方を祓い清める舞である。
✦太刀の舞(たちのまい)
獅子の(御頭・おかしら)が宝剣を口にくわえ、同じく宝剣を持った天狗(猿田彦)と共に、天地四方を舞い清めて、宝剣で邪気を切り祓う。悪魔祓いの舞いである。
✦乱の舞(らんのまい)
乱の舞は、天皇様が行幸で目的地に着かれた時や、相撲の勝負がついた時などに舞われたと、古文書に記載されている。締めの舞として執り行われる。
✦笹の舞(ささのまい)⇒昭和30年代半ば迄舞われていたが途絶えている。
笹の枝葉に御幣を付けた忌竹を天狗(猿田彦)が持ち、悪霊や災危が襲って来ないように番をする。ところが天狗がまどろみ、眠ってしまうと隠れて様子をうかがっていた獅子が天狗に戯れかかる。最後に猿田彦は忌竹を左右左に振って祓い清め、獅子もその中を舞い清める。
✦扇の舞(おうぎのまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
猿田彦が扇をひらひらさせて、獅子にじゃれかかる。獅子は扇が欲しくて猿田彦につきまとい。扇に向かって跳びあがったり、かみつこうとしたりするが、なかなか奪うことができない。修練を重ねた獅子に、ついに猿田彦は扇を与えてやる。獅子は大喜びして乱舞する。
✦神来舞(しぐるまい)⇒85歳の古老も覚えがないほど長期途絶えている。
1年の祓いをするため、一月から十二月までの十二段で構成される。右手に鈴、左手に御幣を持ち、胸のあたりの舞布を巻いて左手中指の先にかけ、尾のほうも後持ちが舞布を巻いて持ち、美しくしっとりと舞う。左右左と清め祓う。
神と旅する太夫さん(北川 央氏 著)より
平成24年(2012年)12月25日
曽原の獅子舞は私のブログ「松阪市のまつり、祭り、祭100選」に掲載してあります。