川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

松阪の地名を訪ねて(3)~「津」の付く地名~

2011-01-13 20:54:41 | 日記

◆「津」は港に付く地名

 松阪市内の地名の由来を訪ねています。今回は「津」の付く地名です。日本で「津」の付く地名は木更津、沼津、焼津、直江津、泉大津、唐津などがあり、海辺の町に多く付いています。津はもともと港や船着き場に付く地名であり、これらの地名は海の港です。また滋賀県の大津は琵琶湖の港です。

 

◆三重県内の津の付く地名

三重県内では津、伊倉津、雲出(元は雲津)などがあります。これらの地名は海岸近くにあり、海の港です。

 三重県の津の付く地名のうち、旧美杉村(現在津市)の雲出川沿いに比津や奥津がありますが、今この付近には海も湖もありません。昔この付近が海であったとき付いた地名であるという説もあります。たしかに昔には伊勢湾と瀬戸内海がつながっており、今の三重県の南半分が島状になっていた時代がありました。津市榊原の貝石山のように三重県の内陸部から貝の化石が多く出土するのはこのためです。しかしこれは日本語のルーツよりはるか昔のことと思われます。以前に、この奥津は雲出川から材木を筏として流した場所だという話しを聞いたことがあります。今の雲出川は水は少ないが、昔は水がもっと多くて、船着き場として付いた地名である方が、説得力があるような気がします。

 

◆松阪市内の津の付く町名

松阪市内で「津」の付く町名は石津、大津、郷津、小津、矢津、勢津、保津の7つの町です。このうち『小津』は三渡川の河口付近にあり、『石津(元は市津)』、『郷津(元は江津)』、『保津』は比較的海岸線に近いことから、以前の海岸線がこの付近にあった時の港であると考えられます。

 

◆郷津は江津

この内、郷津については『町内の歴史民俗の物語 郷津は江津であった』(油利木萬明著 平成10年2月発行)の冊子に地名の由来が次のように示されています。

郷津は昔大口の海が入り込んだ「江津浦」と呼ばれる海岸の村で、江津、石津、船江が海岸でつながっていたと考えられる。郷津(ごうづ)の由来ははっきりしないが、郷津の前が江津、その前が「国津」と書かれ、「こくづ」が訛って「ごうづ」になったという説と、この里は河副(かわぞい)にあり「かわぞい」が訛って「ごうづ」になったという説があるということです。なお江津から郷津には明治以降に変わりました。また近くの『高町』は海抜0m地帯を埋め立ててでき村で、せめて地名だけでも高いようにと名付けられたということです。

 

◆大津は櫛田川の船着き場?海岸の港?

『大津』は現在の海岸線よりかなり内陸に入っています。櫛田川は昔「上川」と呼ばれ、もう少し市街地よりを流れていた時代がありました。今のように堅固な堤防などがない時代、川は大水が出る毎に勝手気ままに流れを変え、現在の大津付近を流れていた時代もあったと考えられます。大津の地名の由来としては、この時の上川の渡し船の船着き場ではなかったかという仮説を立てました。

大津町の渡辺喜代造氏が昭和63年11月に書かれた『大津の歴史』という冊子があります。これによると大津地内では地中4・5m位掘ると貝殻片がたくさん出るところがあり、また「湧早崎」、幸生の「浜田の浜」、「前沢の沢」など海岸を表す地名があり、弥生時代(約2000年前)は、この付近まで海がきていたのではないかとしています。大津はこの時の海の港ではないかという方が正しいのではないかと思います。

 

◆矢津、勢津は

『矢津』や『勢津』の付近には大きな川が無く、船着き場としての地名ではないようです。山間地の湿地を表す言葉に谷津(やつ)があり、矢津はこれが語源と思われます。勢津はもともと矢津と同じ村内でしたが分離して勢津という地名が付けられましたが、なぜ勢津となったのかはよく分かりません。今後研究していきたいと思います。

 なお湊町は伊勢の大湊から移ってきた人たちが住んだ所です。  


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