以前から読みたいと思っていた「いろは歌の謎」という本を昨年知人から借り、今年の正月に読みました。この本は篠原央憲著で三笠書房から発行されており、「いろはにほへと」いわゆる「いろは歌」の47文字に隠された多くの謎を解きほぐしていくもので、興味深く読ませていただきました。
現在の日常生活の中で、仮名は「あいうえお かきくけこ ・・・」の並べ方が多く用いられています。しかし、いろは歌も1000年以上も前に作られたとされる歌ですが、今も私たち日本人の生活に根強く残っています。
歌舞伎の題目に「仮名手本忠臣蔵」というのがあります。わたしも若いときは何とへんな題目だなあという感じがありました。いろは歌は仮名の習字の手本に用いられ、いろは歌が四十七文字、忠臣蔵の赤穂浪士も四十七士であることから、この2つをかけて「仮名手本」と名付けられたということです。
いろは歌は、仮名47文字全部使い、もちろん同じ文字は2回使わず、1つの文章になっています。実際にやってみるとかなり難しい作業です。初めはいいのですが、最後の方になってくると、どうしても余る文字が出てきたり、また同じ文字を2回使わないと文章として成り立たないことになってきます。このいろは歌はこのような厳しい条件の中で1つの歌となっています。しかもこの歌の中に仏教の教えが織り込まれています。
『いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならむ うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす(色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ 有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔いひもせず)』
意味としては『この世に、花やかな歓楽や生活があっても、それはやがて散り、滅ぶものである。この世は、はかなく、無常なものである。この非常なはかなさを乗り越え、脱するには、浅はかな人生の栄華を夢みたり、それに酔ってはならない』というものです。
この歌の作者は不明ですが、この様な限られた条件の中で、その歌に仏教の教えを織り込むことができるのは昔の超人です。昔の超人といえば空海(弘法大師)が挙げられ、いろは歌は空海の作ではないかという説があります。しかしこの本の中で著者は、いろは歌は柿本人麻呂の作ではないかとしています。
柿本人麻呂は後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれたり、また松尾芭蕉と並ぶ日本の二大詩人と言われていますが、謎の多い歌人です。彼がいつどこで生まれたかは分かりませんが、660年頃から720年頃の飛鳥時代の人物です。人麻呂は中央政権の役人でしたが、その地位についてもいろいろな説があります。この本の中ではかなりの高官であったのではないかと推理しています。当時藤原不比等を中心とする藤原氏が中央政界に勢力を伸ばしてきた時代、不比等は自分の娘を天皇夫人にしようとしたのです。当時は天皇が亡くなると皇后が天皇になることがありました。もしそうなると天皇家とは血筋のつながっていない者が天皇になってしまう。このことに人麻呂が反対したため、失脚して流刑にあい、流刑先の牢獄の中でこのいろは歌を作ったのではないかというものです。
いろは歌を7文字並べで書いてみると
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
となり、列の最後の文字を並べると『とかなくてしす(咎なくて死す)』いう言葉が表れます。「咎」は罪ということ。「自分は罪がないのに死ななくてはならない」という意味になります。流刑人である人麻呂は迫る死(処刑)の中で、自分の思いをストレートに表現することができずに、このいろは歌の中に暗号として残したのではないかということです。
そして『いろは歌の謎』の著者は、この歌の中の第二の暗号探しに必死で取り組むのでした。日本最古の歌集『万葉集』、また、いろは歌と同じように仮名を1文字ずつ使って作られた『あめつち』などがからみ、面白く読ませていただきました。
柿本人麻呂に関しては、梅原猛著の『水底の歌-柿本人麻呂論』があります。この本は私も持っていますが、人麻呂の辞世の歌『鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも知らねと妹が待ちつつあるらむ』にある「鴨山」の場所の特定、彼の終焉の地をめぐる論争が描かれています。また人気推理小説作家の井沢元彦のデビュー作で、江戸川乱歩賞を受賞した『猿丸幻視行』でも人麻呂が描かれています。
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