(写真は斎王群行の斎王)
三重県明和町の斎宮歴史博物館をメイン会場として、6月3日、4日に、第35回「斎王まつり」が行われました。この祭りは斎王まつり実行委員会が主催し、三重県や明和町などが後援して行われるもので、前夜祭の3日に続き、4日は晴天に恵まれ、家族連れなど多くの人々が来場しました。
斎宮歴史博物館周辺の芝生広場の多くのブースには、食べ物などを売る店が並びました。また会場の特設舞台では、吹奏楽や太鼓、コーラス、ダンス、太極拳などが披露されました。
この祭りのメインイベントの「斎王群行」に先立ち、さいくう平安の杜斎宮寮庁で出発式が行われ、午後1時に群行が出発しました。今回斎王に扮したのは大阪市の中前安薫さんで、行列の両側には多くの見学者であふれ、盛んにカメラのシャッターを切っていました。
群行は上園芝生広場で「禊の儀」を行い、斎王まつり会場に到着しました。
(平安の杜で行われた群行の出発式) (芝生広場のにぎわい)
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斎宮の都は先週の日曜日5月28日に第8回松阪史跡めぐりで見学させていただき、「さいくう平安の杜」、「いつきのみや体験館」、「斎宮歴史博物館」を堪能させていただきました。
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✦斎王とは
斎王は飛鳥時代から南北朝時代にかけて約660年にわたって、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性で、新しい天皇が即位すると、未婚の内親王または女王(内親王ではない皇族女性、主に親王の娘)から卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれました。
制度上最初の斎王は、天武2年(674)に天武天皇に代わって伊勢神宮に仕えた天皇の娘の大来皇女(おおくのこうじょ)で、この斎王の制度が廃止されるのは後醍醐天皇の時代(1330年頃)、その約660年の間に60人余りの斎王の名が記録されています。
選ばれた斎王は親である天皇に別れを告げ、200人の従者に伴われて斎王群行呼ばれる行列で慣れ親しんだ都を後にし、5泊6日の旅で斎宮に赴きました。
斎宮寮は伊勢神宮に仕える斎王の御所で、伊勢神宮から約20㎞離れた現在の三重県多気郡明和町にあり、碁盤目状に整備された137ヘクタールの広大な敷地の中にありました。斎宮の発掘調査は昭和45年(1970)から続けられていますが、まだ調査面積は史跡全体の16%であるということです。
平成元年10月に斎宮跡の調査・保存・活用の拠点として斎宮歴史博物館が開館しました。少し余談ですが、この博物館の建設における地質調査に私が携わりました。建設予定地には斎宮寮の遺構があり、一般の建設工事のように基礎杭は打つことができません。遺構を傷つけるからです。そのため遺構の上に平たくコンクリートで基礎をつくる「べた基礎工法」がとられています。
✦斎宮のストーリーが日本遺産に認定
文化庁が平成27年度新設した「日本遺産(Japan Heritage)」に、斎宮の「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定され、平成27年4月25日に公表されました。日本遺産は国が文化財を、従来の保護一辺倒から積極的に活用していくことを目的とした新しい施策で、この年度には全国83件の提案の中から斎宮など18件が認定されました。三重県では唯一選ばれました。
三重県明和町の斎宮歴史博物館をメイン会場として、6月3日、4日に、第35回「斎王まつり」が行われました。この祭りは斎王まつり実行委員会が主催し、三重県や明和町などが後援して行われるもので、前夜祭の3日に続き、4日は晴天に恵まれ、家族連れなど多くの人々が来場しました。
斎宮歴史博物館周辺の芝生広場の多くのブースには、食べ物などを売る店が並びました。また会場の特設舞台では、吹奏楽や太鼓、コーラス、ダンス、太極拳などが披露されました。
この祭りのメインイベントの「斎王群行」に先立ち、さいくう平安の杜斎宮寮庁で出発式が行われ、午後1時に群行が出発しました。今回斎王に扮したのは大阪市の中前安薫さんで、行列の両側には多くの見学者であふれ、盛んにカメラのシャッターを切っていました。
群行は上園芝生広場で「禊の儀」を行い、斎王まつり会場に到着しました。
(平安の杜で行われた群行の出発式) (芝生広場のにぎわい)
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斎宮の都は先週の日曜日5月28日に第8回松阪史跡めぐりで見学させていただき、「さいくう平安の杜」、「いつきのみや体験館」、「斎宮歴史博物館」を堪能させていただきました。
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✦斎王とは
斎王は飛鳥時代から南北朝時代にかけて約660年にわたって、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性で、新しい天皇が即位すると、未婚の内親王または女王(内親王ではない皇族女性、主に親王の娘)から卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれました。
制度上最初の斎王は、天武2年(674)に天武天皇に代わって伊勢神宮に仕えた天皇の娘の大来皇女(おおくのこうじょ)で、この斎王の制度が廃止されるのは後醍醐天皇の時代(1330年頃)、その約660年の間に60人余りの斎王の名が記録されています。
選ばれた斎王は親である天皇に別れを告げ、200人の従者に伴われて斎王群行呼ばれる行列で慣れ親しんだ都を後にし、5泊6日の旅で斎宮に赴きました。
斎宮寮は伊勢神宮に仕える斎王の御所で、伊勢神宮から約20㎞離れた現在の三重県多気郡明和町にあり、碁盤目状に整備された137ヘクタールの広大な敷地の中にありました。斎宮の発掘調査は昭和45年(1970)から続けられていますが、まだ調査面積は史跡全体の16%であるということです。
平成元年10月に斎宮跡の調査・保存・活用の拠点として斎宮歴史博物館が開館しました。少し余談ですが、この博物館の建設における地質調査に私が携わりました。建設予定地には斎宮寮の遺構があり、一般の建設工事のように基礎杭は打つことができません。遺構を傷つけるからです。そのため遺構の上に平たくコンクリートで基礎をつくる「べた基礎工法」がとられています。
✦斎宮のストーリーが日本遺産に認定
文化庁が平成27年度新設した「日本遺産(Japan Heritage)」に、斎宮の「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定され、平成27年4月25日に公表されました。日本遺産は国が文化財を、従来の保護一辺倒から積極的に活用していくことを目的とした新しい施策で、この年度には全国83件の提案の中から斎宮など18件が認定されました。三重県では唯一選ばれました。
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