松阪市白粉町の来迎寺(青木孝恵住職)で2月3日節分会が行われ、私も初めて見せていただきました。午後2時から法要が始まり、境内には大火が焚かれ、来場者に甘酒が振る舞われました。午後3時半ごろから節分会の豆撒きがあり、山門の上から豆や餅、お菓子などが撒かれ、大勢の人たちで賑わいました。
寺の境内に掲げられた表示板等によると、来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間(1504~1520)北畠材親(きたばたけ きちか)により松ヶ島城下に創建されました。天正6年(1588)蒲生氏郷の松坂城の築城により現在の白粉町に移されたということです。山号は教主山。院号は無量寿院。本尊は阿弥陀如来。
享保元年(1716)の松阪大火で表門(現在の裏門)を残し消失したが、豪商三井家などが8700両の費用を支援し、再興されました。
同寺に祀る元三大師(がんざんたいし)は僧名を良源大僧正といい、今から約千年前に荒れ果てた比叡山延暦寺を復興した、比叡山中興の祖師で、同寺第十八代の座主です。
その門下には恵心僧都源信和尚を始め法然上人、親鸞聖人、日蓮上人、道元上人などを排出しました。永観三年正月三日に亡くなられたことから元三大師と称されたということです。青木住職は、「来迎寺では命日にあたる正月三日だけではなく、毎月三日に法要を行います」と話されました。
寺の境内に掲げられた表示板等によると、来迎寺は天台真盛宗に属し、永正年間(1504~1520)北畠材親(きたばたけ きちか)により松ヶ島城下に創建されました。天正6年(1588)蒲生氏郷の松坂城の築城により現在の白粉町に移されたということです。山号は教主山。院号は無量寿院。本尊は阿弥陀如来。
享保元年(1716)の松阪大火で表門(現在の裏門)を残し消失したが、豪商三井家などが8700両の費用を支援し、再興されました。
同寺に祀る元三大師(がんざんたいし)は僧名を良源大僧正といい、今から約千年前に荒れ果てた比叡山延暦寺を復興した、比叡山中興の祖師で、同寺第十八代の座主です。
その門下には恵心僧都源信和尚を始め法然上人、親鸞聖人、日蓮上人、道元上人などを排出しました。永観三年正月三日に亡くなられたことから元三大師と称されたということです。青木住職は、「来迎寺では命日にあたる正月三日だけではなく、毎月三日に法要を行います」と話されました。