川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

検証!山中市政の6年7ヶ月

2015-09-06 09:50:13 | 日記
 山中市長が9月30日をもって退職することになり、昨年12月から続いていた松阪市政の混乱が、ようやく終止符が打たれようとしている。そして何かとごたごたが続いた6年7ヶ月の山中市政も終わろうとしている。ここで一市議の立場で私見を交え山中市政を振り返ってみる。

◆全国最年少の市長として華々しくデビュー
 山中光茂氏は平成21年(2009)2月、任期満了による松阪市長選挙で現職の下村猛市長を破って当選し、全国最年少の市長として華々しくデビューした。下村前市長はこれまで無投票で当選してきて選挙の経験がなかったことや、油断があったのか新人候補に敗れた。このときの山中陣営の草の根選挙が功を奏した。

◆県議選への出馬
 少し時をさかのぼるが、私が山中光茂という青年に始めて会ったのは平成18年ごろだったと思う。彼が森本哲生衆議院議員の秘書をやっている時だった。その時は礼儀正しい青年に思われた。
 その彼が平成19年4月の統一地方選挙の県議会議員選挙に民主党から立候補することになった。大黒田の山中事務所には多くの支援者が集まってきたが、選挙の経験のある人は少なく、まさに烏合の衆であった。私は市議をやっていなかったら選挙本部長を買って出るところであったが、それもできず、もどかしさを感じていた。市議会議員では民主系の私と永作邦夫、林博己の3議員が張り付き、必死で応援した。民主党や連合の応援も得て山中氏は3位で当選した。

◆県議会議員1期途中からの市長選へくら替え
 山中県議が誕生して支援者のみんなはこれからの彼の活躍に期待し、将来は国政まで狙ってほしいと願ったものであった。しかし当選から1年半くらい経った時であったか、山中県議から私の携帯に電話が入り、「今度市長選挙に出ます」と言う。私は言葉を失った。
 当然民主党からも厳しく翻意を促す働きかけがあったが、彼は聞く耳を持たず、市長選への立候補を決めてしまった。
 これまで県議選を支援してきた人達は、引き続き山中氏を支援する人と、山中氏から離れていく人の2つに別れた。県議選の後援会長も、選挙本部の事務局長を務めた人など多くの支援者が彼のもとから去っていった。当然民主党からは勘当され、連合松阪多気地協も彼のもとから去っていった。

 そんな時山中氏から私の所に「川口さん 市長選挙も応援してください」という電話が入った。私は丁重に断った。みんなで応援して当選した県議を1期途中で辞めることもさることながら、自分の行動を正当化するために、これまで世話になった森本代議士の悪口を言って廻っていることが我慢ならなかったのである。
そうしたところ後で山中陣営に参加していた人から聞いた話では「次の市議選で 川口を落とせ」という指令が出たという。それはないだろう。県議選と市長選の2つの選挙をやって、どちらも応援していない人がたくさんいるはずである。少なくとも片方の選挙を応援してもらったら、それだけで御の字ではないか。

 くしくも次の市議選では、山中県議候補を支援した3市議のうち、私と永作氏は際どい当選となったが、林博己さんは次点で落選した。林さんはユーモアのある人格者で私が好きな議員の1人であったが、選挙は気の毒な結果になった。林さんは県議選の時、山中夫人のいずみさんを連れて地元を600戸廻ったという。町中と違って山間地の600戸である。しかし山中県議が市長選にくら替えしたことにより、後援会がばらばらになってしまった。落選後林さんは大病を患い亡くなった。今、山中市長に県議選で大変世話になった林さんへの感謝に気持ちは皆無であろう。
 よく他人をかえりみず出世しようとする者を「人を踏み台にしてのし上がる」という表現がなされるが、山中市長の場合、平気で人を踏みにじっても、のし上がろうとするタイプである。

◆目立ちたがり屋症候群
 世の中には絶えず人から注目を集めていないと不安な人がいる。このような人を「目立ちたがり屋症候群」と呼ぶそうである。市長選に当選してからの山中市長はまさに目立ちたがりでパフォーマンスを得意とした。またマスコミを使うのが得意で絶えず自分の存在を発信していった。
市長は本来、自分は目立たなくても、市職員を前面に押したていろいろな政策を進めるべきであった。しかし山中市長の場合、自分が前面に立ち、市制における政策もじっくりと腰を落ち着け取り組むことでなく、受け狙いの軽さが目についた。

◆山中市政の間の議案の否決
 山中市政6年7ヶ月の間にいくつかの議案が否決された。
就任間もない平成21年5月議会で山中市長が提出した4つの議案が審議された。この4つの議案のうち「副市長の2人制案」、「教育長の給与削減案」、「常勤の監査委員の給与削減案」が否決され、最大の注目を集めていた「市議会議員の報酬の削減案」は議員側から出された修正案が可決され、市側から出されていた削減案が否決された。
 このうち副市長2人制は、同年9月議会で再び否決され、11月議会でようやく可決された。

 また平成24年2月議会では、山中市長の肝いりで上程されていた3つの議案がいずれも賛成少数で否決された。(詳しくは私のブログ「マニフェスト条例など3つの議案が否決」でご覧下さい)この議案は次の3案で、
「松阪市市民まちづくり基本条例の制定について」は賛成9×反対19、
「松阪市住民投票条例の制定について」は賛成9×反対19、
「松阪市政に係るマニフェスト作成の支援に関する条例の制定について」は賛成4×反対24 のいずれも大差で否決された。
 ベテラン議員に聞いても市から出された議案が本会議で否決されることは今まで記憶にないということである。これらの議案が本会議に先がけ行われた委員会で否決されたのを受けて山中市長は「市議会の機能がまひしている」とコメントしている。

 このうちマニフェスト条例は、市長選挙に立候補する新人候補がマニフェスト作成する時、市政の情報を提供しようとするもので、一見すばらしい条例に見える。しかし新人候補は対戦相手の現職市長に申請書を提出しなければならず、情報公開室でも得られる情報の以上のものは得られないというものであった。またこの条例はマニフェスト選挙の定着を目指すとあるが、山中市長自身は次の選挙でマニフェストを作らないとしており、よく分からない条例であった。可決されれば全国初の条例であったが、大差で否決された。

 また、まちづくり基本条例と住民投票条例は、同年9月議会で再び上程されたが、再度否決された。ここでいうまちづくり基本条例は自治基本条例のようなもので、住民協議会(まちづくり協議会)に関する条例ではない。詳しくは私のブログをご覧ください。

 今回山中市長の辞職の起因となったPFIによる図書館改革は、平成26年9月議会で否決され、同11月議会で再び否決され、そして翌年2月議会で3度目否決された。山中市長の支援者の人達は「3回も否決して」と言われるが、3回も否決したのが異状ではなく、1度否決された同じものを3回も出してくる方が、はるかに異状なのです。

 全国的にも有名な千葉県我孫子の元市長の福嶋浩彦氏は、松阪市主催の講演会など何度か松阪市を訪れたが、その時の講演の中で大変興味ある発言をされている。当時の我孫子市議会でも福嶋市長が提出した議案が否決されることがあったそうです。しかし元市長は「自分が提出した議案が否決されるのは残念だが、それは議会が議会としての機能を果たしているということになり、喜ばしいことである」と述べられた。山中市長の「議会の機能まひ」とは、ちょっと器の大きさが違うようです。

 これまで否決された議案を改めて眺めると、山中市長の思い入ればかりが強くて、自分が目立たんがための議案で、松阪市のための、市民のための議案に程遠いように見える。マニフェスト条例は可決されると全国初の条例であり、住民投票条例はすでに制定されているところもあるが、比較的珍しい条例であった。何か自分の存在感を全国に示するための条例提案に思われた。

◆RDFからの脱退をめぐる山中市長と近隣3町とのトラブル
 山中市長は絶えず周りとトラブルを抱えていた。その1つがRDFからの脱退問題であった。
松阪市の山中市長は平成22年(2010)4月香肌奥伊勢資源化広域連合議会(RDF)の臨時会で、松阪市の新ごみ処理施設の稼働と同時に同連合から離脱をしたい意向を表明した。このときの脱退の条件も松阪市の都合のいいように求めた。松阪市の一方的な申し入れに、RDFを構成する他の多気、大台、大紀の3町は猛反発した。松阪市が離脱すれば残った3町に施設維持の負担が覆い被さってくるからである。
 もともと香肌奥伊勢資源化広域連合は、構成する市町が脱退するという前提で組織されたではない。その組織から脱退しようとするからには、残る3町に対して礼節を持って交渉すべきであった。しかし山中市長は自分の言い分を一方的に押し通して脱退しようとした。そのため連合長である久保多気町長や、尾上大台町長、谷口大紀町長たちと対立を深めていった。
この経緯については私のブログ「RDFからの脱退をめぐる混乱」と「松阪市のRDF脱退の経緯」に詳しく述べた。
 この離脱問題が泥沼化していく中で、山中市長は松阪市が新ごみ処理施設を建設しているのに対し、3町がその準備を進めないことに対して「職務怠慢だ」と暴言を浴びせかけている。この混乱により松阪市と多気町、大台町、明和町との間で結ばれようとしていた定住自立圏構想にストップがかかった。松阪市が信頼できないというのがその理由であった。結局、最終的にはRDF離脱問題は、市議会が中に入り、双方の納得する形で話しをつけた。

◆県や国とのトラブル
 山中市長は東日本大震災の災害ごみの処理を巡って三重県の鈴木知事と対立し、瓦れきのセシウムの問題で鈴木知事に対して、「勉強不足」と発言している。また山中市長は民主党政権時代に市議会の答弁で、菅直人総理に対して「あほな総理」と発言したり、民主党の政策を激しく批判し、国からの補助金などのパイプが絶たれた。このときは市議会の議長・副議長が国に赴きパイプ役を果たしている。またその後の自民党政権でも、松阪市のごみ処理施設の補助金の問題でも、議会が国とのパイプ役を果たしている。
 議会は黒子に徹するべきで、普段あまり「あれもしました これもしました」などと言わないが、結構山中市長が発する暴言の後始末をしているのである。

◆山中市政で評価できる施策
 山中市政の間に取り組まれた新しい取り組みの中で、誰が市長になってもできることや、誰が市長になってもしなくてはならないものは別として、山中市長であればこそ実現できたのではないかと思われるものがある。
一つは大黒田町のいわく付きの燈籠の撤去である。国道166号沿いに立つ燈籠は、交通の傷害になることから地元や通行人から撤去を求める声が出ていた。しかしさわると祟りがあるといわれ、歴代市長は誰も動かすことができなかった。山中市長はこの燈籠の撤去を含む道路拡幅の工事を発注し、今すっきりと広くなった道路は通行がしやすくなった。この件に関しては実際の工事に当たった施行業者の皆さんと共に山中市長を評価したい。

 もう一つは市内全地域に住民協議会(まちづくり協議会)を設立したことである。住民協議会は下村市長の時代から取り組みが始まっており、いくつかの地域で先進的に設立されていたが、取り組みが全く行われていない地域も多くて、このままでは全地域にできるのはいつのことになるかわからなかった。山中市長は期限を決め、全地域に結成を呼びかけた。その結果市内43の全ての地域で住民協議会が結成され、平成24年4月から活動が開始された。これは山中市政の功績の1つとして記録してもいいだろう。

◆困った山中市長の「辞める 辞める病」
 山中市長は昨年12月に辞めると言ってから、この9ヶ月の間にいったい何度「辞める」という言葉を発したのだろうか。16万都市の市長が任期途中で辞めるということは大変なことで、初めは新聞やテレビなどのマスコミも大きく取り上げたが、その後は一部を除きマスコミは見向きもしたくなった、山中市長の「辞める」という言葉は日常茶万事の出来事でニュースにならなくなった。

 山中市長としては、辞めるということで、市民の同情を買い、市議会に対する批判を煽り、終盤にはリコールを有利に導こうとするなど緻密な計算があっただろう。しかし外部から、あるいは高所からその姿を見ていると「市議会のみんなが 寄ってたかって 僕をいじめるのやに」という駄々っ子のような姿に映っただろう。

 この9ヶ月の間に実に多くの市民から「山中市長は辞めるんですか」「山中市長はいつ辞めるんですか」という質問を受けた。16万都市のリーダーがいつ辞めるのかも、辞めるか辞めないのかも分からない状態で、当然市制は混乱と停滞を極めた。市の職員も大変だったと思うし、市議会としても、いつやめるかも分からない山中市長の思い入れの深い施策を通していいものか、議論を呼んだ。そして、当然対外的にも松阪市は信用をおとしていった。
 辞めるという言葉は何度もいうものではない。辞めるときに1回言えばよい。

◆議会のリコール(解職)運動
 リコールは国民に与えられた権利で、誰もが自分達の「論理」でもって行うことができる。今回は松阪市議会解散請求のリコールであったが、議員は比較的冷静であった。勿論数字は気になっていたが、市議会として何も悪いことはしていない、二元代表制のもと、議会の役割を粛々と果たしているという自負があったからです。今回の松阪市議会の解散請求のリコールの有効署名の4万余は多かったと思う。暑い中、第1線で署名集めをされた皆様には敬意を表したい。

 今回のリコールは、あくまで市議会を解散して市議会議員を辞めさせるためのものであり、「市議会議員を辞めさせるために署名お願いします」と言うべきである。ところが署名したという私の知人の多くは、「これに署名すると山中市長は辞めなくてすむのです」ということで、山中市長を辞めさせないために署名したという。ちょっと違うのではないか。4万の署名のうち本来の趣旨である市議会解散のために署名した人がどれだけあるのか、山中市長を辞めさせないために署名した人も多かったのでは。

◆鉄槌は山中市長に下された
 山中市長はリコールの有効署名数が発表されたときに、「市議会に鉄槌が下された」という発言をしている。何をもって鉄槌が下されたというのか、市議会の何に対して鉄槌が下されたのかよく分からない。
 もしそれを言うなら、リコールの必要署名数が集まって、解散の是非を問う住民投票でリコールが成立したときに「市議会に鉄槌が下された」というべきであろう。今回のリコールが山中市長を辞めさせないために行われたものなら、そしてそれが必要数に足りなかったなら、鉄槌は山中市長に下されたのではないか。

◆山中市長は二元代表制の理解せず
 「松阪市議会は地に落ちた」「議会は勉強不足で無責任」「無責任の否決」「議員は行動が軽率」「市議会の機能がまひしている」 これらは山中市長から市議会に対して発せられた暴言の一部である。市議会をいつも「悪者」に仕立て、自分は正義の味方で拍手喝采。この図式が6年続いた。市議会議員もこれまでよく我慢してきたものと思う。
市議会だけではない。山中市長は絶えず周辺の団体や人達と対立し、辛辣な言葉をあびせている。国に対して、県に対しても、そして周辺の町に対しても。

 中日新聞の8月15日に掲載された、地方自治に詳しい名城大都市情報学部の昇秀樹教授のインタビュー「市長 二元代表制理解せず」の内容は、私が今までこのブログで述べてきたこととピッタシであり、市議会の気持ちを代弁してくれた。

 市長(行政)と議会はよく車の両輪に例えられる。双方の仲が良すぎてベタベタでもいけない。行政をチェックする議会の役割が果たせないからである。一方離れすぎても行けない。くっつきすぎず離れすぎず、適度の緊張を保ちながら市民の幸せという同じ目的地に向かって走っていくもの。それが二元代表制のもとでの市長と議会の関係である。議案を提案する市長、それを審議する議会、否決はどこの自治体の議会でも起こりうるものである。山中市長がこのことを理解していれば、辞めなくてもよかったのではないかと思う。

◆リーダーには何より誠実さが必要
 山中市長は、6月27日に行われたJA松阪の総代会の挨拶で8月末をもって辞めると言っている。また広報まつさかの8月号で「私は8月末をもって辞職しますと」言っている。しかし実際に辞めるのは9月30日である。JAの総代会は松阪市内の全農業者の代表で構成され、広報まつさかは全市民に配布される。辞める日だけでも全農業者の代表に、全市民に嘘をついたことになる。なぜこんな事が起きるのか理解できない。

 そして辞職が9月30日になって、9月7日から始まっている松阪市議会9月議会が全国的にみても前代未聞の状況におかれている。詳しくは私のブログ「困った変則的な9月議会」に書いたが、議会会期中に市長が退職し、市長選挙と市議会議員の補選が行われ、議会途中で新市長や補選で当選した新人議員が議会に登場することになる。

 山中市長はリーダーとして必要な行動力、決断力をそなえ、フットワークが軽く、何より頭の回転が速い。しかし一方、リーダーとして何より大事な誠実さ、謙虚さに欠けると思う。彼は政界からの引退を表明しているが、今後どのような世界で生きていくにして誠実さ、謙虚さ、そして今まで世話になった人達に感謝する気持ちは必要であろう。そして自分の周辺の人達を口汚く罵り、敵をつくることはやめた方よいだろう。

◆おわりに
 このブログは山中市長の退職後に出そうかと思っていましたが、市長在任中に出さないと意味がないと言われ、この時期に出しました。「大人げない」というコメントもいただきました、また少し感情的になったかところもあったと思いますが、私も積もり積もったものがありました。
 このブログに書かなかったことも、書けなかったこともたくさんあります。山中夫人のいずみさんのことも個人的なことなので控えました。ただ、彼女が傷心のまま松阪を立つとき、松阪駅で見送った私の友人は「いずみさんが可哀想であった」と言っていました。これだけは書かせていただきます。
 私のブログの内容に反する意見も含めて、ご意見を歓迎します。皆様からいただいたコメントは、よほどのことがない限り削除しません。

                                          川口 保
                                     

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