川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

斎王まつりを久し振りに見学

2015-06-07 16:10:51 | 日記
 

                      (写真は斎王群行の斎王)

 三重県明和町の「斎宮歴史博物館」と「いつきののみや歴史体験館」周辺を中心として、6月6日、7日に行われた第33回三重県明和町「斎王まつり」を久し振りにぶりに見せていただきました。
 この前この祭りを見たのは、まだこの祭りが始まって間もない、20数年前でした。その時に比べると祭りの規模も大きくなり、たくさんの人達が来場していました。
 7日にはこの祭りのメインイベント「禊ぎの儀・斎王群行」が行われました。今回斎王に扮したのは明和町の前田彩乃さんで、行列の両側には多くの見学者であふれ、盛んにカメラのシャッターを切っていました。

 斎王は飛鳥時代から南北朝時代にかけて約660年にわたって、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた未婚の皇族女性で、新しい天皇が即位すると、未婚の内親王または女王(内親王ではない皇族女性、主に親王の娘)から卜定(ぼくじょう)と呼ばれる占いの儀式で選ばれました。

 
       (多くの人達で賑わう会場)                  (斎宮歴史博物館)

 制度上最初の斎王は、天武2年(674)に天武天皇に代わって伊勢神宮に仕えた天皇の娘の大来皇女(おおくのこうじょ)で、この斎王の制度が廃止されるのは後醍醐天皇の時代(1330年頃)、その約660年の間に60人余りの斎王の名が記録されています。
 選ばれた斎王は親である天皇に別れを告げ、200人の従者に伴われて斎王群行呼ばれる行列で慣れ親しんだ都を後にし、5泊6日の旅で斎宮に赴きました。

 斎宮寮は伊勢神宮に仕える斎王の御所で、伊勢神宮から約20㎞離れた現在の三重県多気郡明和町にあり、碁盤目状に整備された137ヘクタールの広大な敷地の中にありました。
 斎宮の発掘調査は昭和45年(1970)から続けられていますが、まだ調査面積は史跡全体の十数%であるということです。
 
 平成元年10月に斎宮跡の調査・保存・活用の拠点として斎宮歴史博物館が開館しました。少し余談ですが、この博物館の建設における地質調査に私が携わりました。建設予定地には斎宮寮の遺構があり、一般の建設工事のように基礎杭は打つことができません。遺構を傷つけるからです。そのため遺構の上に平たくコンクリートで基礎をつくる「べた基礎工法」がとられています。今日は博物館の中も見せていただきました。
 心配された雨も降らず、家族連れなど多くの人達が祭りを楽しみました。

斎宮のストーリーが日本遺産に認定
 文化庁が今年度新設した「日本遺産(Japan Heritage)」に、斎宮の「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」が認定され、4月25日に公表されました。日本遺産は国が文化財を、従来の保護一辺倒から積極的に活用していくことを目的とした新しい施策で、今年度は全国83件の提案の中から斎宮など18件が認定されました。三重県では唯一選ばれました。

                    
コメント
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