川口保 のブログ

1市民として市政を眺めつつ、社会のいろいろな出来事を取り上げています。

タイムカプセルが見つからない(3)

2010-01-16 10:10:24 | 日記
 光陰矢の如し。
 松阪市青年連絡協議会(松青協)で昭和46年(1971)に松阪公園の天守閣跡にタイムカプセルを埋設してから、開封する30年後の西暦2000年は驚くほどの速さでやって来ました。二十代から未来に向かっての30年間と、五十代から過ぎ去ったあとをふり返っての30年間は、同じ30年でも半分くらいに感じられるのではないかと思うほど、その年は速くやって来ました。
 
 私たちは当時の松青協メンバーで何ヶ月も前からタイムカプセル開封のための実行委員会を結成して、準備に取りかかりました。私がカプセル埋設時に松青協の会長をさせてもらっていたこともあり、この実行委員会の委員長を仰せつかりました。
 カプセルを掘り起こす日は、予定していた4月4日ではなく、4月16日と決めました。またカプセルを掘り起こした後、松阪公園で記念式典をし、同じ日にフレックスホテルで同窓会をすることになりました。行事の名前は「西暦2000年 松青協タイムカプセルアゲイン」としました。また名古屋テレビの朝の番組「コケコッコー」から取材申しも込みがありました。

 4月16日、天候は晴れ。タイムカプセルを掘り起こす時、私はどうしても別な用事があり、現場に行けませんでした。しかし埋設した場所ははっきり覚えていたので地図を書き、掘り起こしを他の人たちに託しました。しばらくして現場から私に電話が入り、指定した場所からはカプセルが見つからず、ほうぼう掘り起こしているとのことでした。以前に市の方から城跡の石垣の工事をするのでタイムカプセルを別の場所に移動して欲しいという要請があったのですが、その時はそのままになっていました。工事の時、場所を移動されたのか、それとも私の記憶違いか。私が遅れて現場に着くとやっと見つけてくれた時でした。
 
 穴から取り出したタイムカプセルのフタのコンクリートを割って開封しました。青春時代の思い出が30年の眠りから覚めた瞬間でした。中を見ると一部形が残っているものもありましたが、残念ながら紙類はほとんど「わたわた」の状態で、私が入れた手紙も形がありませんでした。防水が完全でなく、どうしても中に湿気が入ったのではないかと思われました。ビニール袋のようなものに入れればよかったのではないかと思いました。

 開封時にみんなで乾杯しようと入れたウイスキーはフタが飛んでいましたが、ビンの中には液体が残っていました。私が「実行委員会を代表して飲んでみるわ」と言うと、「川口さん そんなの飲んだらあかん!」と他の人たちからの止められましたが、意を決してビンの中の液体を飲んでみました。翌朝の東海テレビの生放送コケコッコーのインタビューで「ウイスキーを飲まれたそうですが、味はどうでした?」の質問に「水割りの味がしました」と答えたのを憶えています。
 公園の上での記念式典では実行委員長である私のあいさつ、来賓の三井教育長から祝辞をいただきました。また青年団時代に公民館主事をしてみえて私たちが大変お世話になった森智子先生も来賓としてお招きしました。

 このあと場所をフレックスホテルに移しての「松青協半世紀記念パーティー」には当時の会員をはじめ、連合青年団時代からの歴代団長、会長や現役の松青協の会員なども含めて約80名が参加して思い出話に花を咲かせました。
 現在の私の友人の多くはこの松青協の時代に、ともに青春の血をたぎらせた仲間たちです。青春のよき思い出、いつまでも。