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恵庭の神社-4,柏木・北柏木・柏陽地区が祀る 「柏木神社」

2015-02-02 10:58:28 | 恵庭散歩<記念碑・野外彫像・神社仏閣・歴史>

恵庭散歩-「神社」の章

旧国道36号線に面して鳥居が建っている。奥には小さな神殿が見える。境内には柏木中央会館があり,境内の広場は駐車場を兼ねている。市内を横切る旧国道の交通量は減少したとはいえ,かなりの車両が門前を行き交っている。

柏木神社に参拝したのは,日中に溶けた雪が寒波で凍りついた冬の朝だった。柏木神社の境内は一面池のように凍っていた。慣れないスケート靴を履いた幼児のように歩を進めて,神社に詣でた(写真は2015.1.28撮影)。

 

4. 柏木神社(かしわぎじんじゃ)

柏木神社,昭和47年までは相馬神社と呼んでいた。所在地は,恵庭市柏木町3丁目18番地。道道江別恵庭線(旧国道36号線)に面して,葬儀場メモリアル香華殿の近くにある。境内には柏木中央会館がある。

祭神は,天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)。日本神話の神で,天地開闢に関わった別天津神の一柱とされる。

本神社は,札幌市平岸にある相馬神社分霊を勧進し,農業の守護神として開祀したのが始まりであるが,相馬神社はもともと妙見社の系列であった。即ち,天のはるか彼方に隠れていた天之御中主神が日蓮宗の妙見菩薩と同一視されるようになり,庶民の信仰対象となったのである。明治時代の神仏分離により,妙見社系の神社は祭神を天之御中主神に統一した経緯がある。

ともかく,「妙見菩薩」は長寿,息災,招福のご利益があり,眼病の神としても信仰が篤いとされる。恵庭市史によると,馬の疫病が蔓延したので,札幌市平岸鎮座相馬神社の分霊を勧請したとあるが,通じるものがあろうか。また,境内の「柏木神社略記」には,御神徳の項に,天地自然万物の生成発展を主宰する神,宇宙根源の大元霊神であり,五穀農耕の粗神であり開運厄除,衣食住守護,諸業繁栄を司され,水の徳顕著で生命を守護されるとある。

社殿は「流造」(全国で最も多い本殿形式)。構造は,切妻造(山形の形状をした屋根)・平入(棟と並行する側に入口)であるが,側面から見た屋根形状は対称形ではなく,正面側の屋根を長く伸ばしている。屋根には大社造同様の優美な曲線が与えられる特徴がある。恵庭市内の他の神社は,直線的な外観の神明造であるもで,この様式は珍しいかも知れない。

氏子は恵庭市柏木地区・北柏木地区・柏陽地区とあり,これら地区の神社なる位置づけであろうか。確認はしていないが,地区代表が氏子総代を勤めるような形態なのか。境内の柏木中央会館は恵庭市地域集会施設に指定されており,境内広場も恵庭市の災害時一次避難所に指定されている。また,神職は常駐しないが,創祀の経緯からみて相馬神社(札幌)の宮司が祭祀を司っているのだろう。

この神社の立ち位置(組織形態)を示すように,神社及び境内は極めてシンプルな印象を受ける。

柏木神社の概要

所在地:恵庭市柏木町551番地

祭神:天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

創祀:明治41年(1908),柏木神社資料では明治45年3月15日創立としている。

祭礼日:9月第二日曜日

社殿様式:流造

由緒(歴史)

明治41年(1908)11月3日:馬の疫病が蔓延したので,川上基松,長岡栄次郎,田原玉次郎らが発起人となり,札幌市平岸鎮座相馬神社の分霊を勧請し,恵庭村字柏木545番地に祀った。

明治42年(1909)9月10日:本殿造営(10坪)。

明治45年(1912)3月15日:川上基松氏が境内地440坪を寄進し,平岸相馬神社の遥拝所として創立登記する。恵庭(柏木)相馬神社。

昭和11年(1936):本殿改築,社務所兼公会堂(26坪)を設置。

昭和47年(1972):恵庭(柏木)相馬神社から柏木神社に改名。

昭和52年(1977):鳥居設置(鉄管)。

昭和57年(1982):老朽化のため社務所兼公会堂を取り壊し,恵庭市の地域会館兼社務所を設置。

平成6年(1994)10月21日:平岸相馬神社から独立し,宗教法人格を取得。

平成11年(1999)11月25日:神社本庁所属神社成立。

平成12年(2000)5月29日:相馬神社から境内地及び建物の所有権譲渡成立。

参照:恵庭市史,北海道神社庁公式HP(2015),柏木神社案内板

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