鯛の尻尾を奪い取れ

OCNブログから引越してきました、マンホールの蓋ばかりですがよろしく
のんびりやっています

信太山駐屯地

2016-04-26 20:50:36 | 旅行
信太山駐屯地標石1

 行ってきました信太山(しのだやま)駐屯地、ここは大正8年開設との事で古い史跡がごろごろしてそうな期待で向かいます、まずは修史館の入り口近くにある「陸軍」標石、ごちそうさまです。
信太山駐屯地標石2

 正門から左手にフェンスが伸びていますが一番手前だけ「陸」標石、他は「防衛庁」です。
 外部との境界を明確にするためなのか赤く着色されえいます。
信太山駐屯地旧兵舎1

 おそらくここが戦前の物だと思われる旧兵舎、今は部室っぽい扱い?
 ここにレンガ煙突があるミスマッチ感が萌え
信太山駐屯地旧兵舎2

 木造建築、トタン屋根、そしてレンガ煙突!このミスマッチ感がたまらない!一階部分のレンガは白く塗られている(剥げているのもポイント高い)
信太山駐屯地旧兵舎3


信太山駐屯地旧兵舎4


信太山駐屯地修史館1

 小奇麗な木造の館、説明してくれた人によると駐屯地開設以来の物だとか、それが本当ならもう100年近くになる歴史的建造物!これはこれは大事な物です。
信田山駐屯地修史館2


信田山駐屯地修史館3

 右側に別室があります、みんな大好き座敷牢、じゃなくって物置なのかな?
信田山駐屯地消火設備1

 ここには不思議な事に地上式消火栓が数えるほどしかありません、そのかわりに前時代的な素敵な消火設備が備わっているのです、これはこの駐屯地では是非とも見ていってもらいたい。
信太山駐屯地消火設備2




 展示品の一つ、38式野砲
「野砲兵第四聯隊跡」碑


> 馬魂碑

 これは軍馬の鎮魂碑かな?

和泉市

2016-04-25 20:18:21 | マンホール(大阪府)
Izumisi1和泉市1

 和泉国府・国分寺があった和泉市、この蓋には泳ぐ魚を狙う鳥(カワセミ?)が描かれています。
Izumisi2和泉市2

 市の花スイセンが描かれた蓋。
和泉市量水器1

 和泉市の花スイセンが描かれている量水器の蓋がありました。
和泉市量水器2

 別パターンの量水器の蓋、よく見ると市章の縦横比もちょっと違う?
和泉市3(泉北下水道)

 泉北下水道と書かれた蓋も数多くあります、泉北と書かれた場合は和泉市だけではないのかも。
和泉市4

 上の蓋の中央部、「S」は泉北の頭文字から取ったのでしょう。
> 和泉市(泉北用水組合双口排詭弁)

 泉北と名はついているが泉北下水道とは別物の泉北用水組合、まぎわらしい。
 こちらは昭和35年発足としかわかりません、まあ骨董蓋でしょうね。

横須賀市2

2016-04-17 07:33:03 | マンホール(神奈川県)

横須賀市側溝蓋1

 海の町横須賀には帆船が描かれている蓋があります。
Yokosuka1横須賀市側溝蓋2

 カモメの描かれている蓋もありました。
Yokosuka2横須賀市側溝蓋3

 黒船の描かれている側溝蓋。
Yokosuka3横須賀市側溝蓋4

 小さくてわかりづらいですが、ウインドサーフィンをしている人が描かれています。
 「郵便局通り」とローマ字で書かれてもいます、この蓋は文字の違うパターンも存在します。


本庄水源池

2016-04-15 19:51:16 | 日本海軍
本庄水源池1

 本庄水源池の南側の門柱です。

 まずは本庄水源池から説明しないとですね、呉鎮守府が置かれ呉港が軍港として指定されたのが明治十九年、これにより軍港への浄水の安定供給が必要となりました、二河川からの水だけではたりなくなったので新たな水源が求められ本庄水源池(本庄ダム)が建設される事になりました。
 起工は明治44年着手は大正元年竣工は大正7年(出展は日本水道史らしいが確認できていません)
本庄水源池2

 まぁそれは一旦おいといて、本庄水源池は海上自衛隊焼山送信所(現在は廃止)と隣りあわせとなっているので標石があります、「防衛省」「防彳工庁」がペアになっているのはある意味珍しいかも。

 焼山送信所は呉の高射砲陣地跡地があるはずなので是非とも訪れたかった所なのですが、そうですか立ち入り禁止ですか、
本庄水源池3

 そんな事を思っているとまた更に標石が増えていました、「呉水二二六」、数字の入っている標石は他にもあるのかな?
本庄水源池4

 「呉水」標石その1、どこにも軍港水道と書かれていないのがまた良い
本庄水源池5

 「呉水」標石その2、1と2はすぐ近くにあります、この標石のある場所のヒントはフラワーパーク焼山墓苑。
本庄水源池6

 で、実際の本庄水源池堰堤(本庄ダム)がこちら。
 呉と横須賀の共通点は平地が少ない山麓の港だった事です、あくまでも平地に水源を求めた横須賀と違って急峻な川にしか水源を得る事のできない呉はダムを建設するしか水源を確保する手段はなかったのです。
本庄水源池7

 残念ながら立ち入り禁止な堰堤、写真には写っていませんが左手に小島がありお社があります。
本庄水源池8

 橋の手前、美しい撫で回したい
本庄水源池9

 溢流提、ダムの水位が高くなりすぎた日にはここから隣接する二河川に水を流す、隣に水道橋があるのも萌えポイント。
本庄水源池10

 外から見た溢流提
本庄水源池11

 水源池のサクラ、左手は水源池です水遊び厳禁、なので
本庄水源池12

 二河川から見た桜並木、これも良いものだ。
本庄水源池13

 水源地に流入する小田川にかかる橋、残念ながらここは立ち入り禁止だ。
本庄水源池14

 これは第一量水井、第二があるのかは知らない、ここで宮原浄水場へ送る水の量をコントロールしているぽい、
本庄水源池15

 別の角度から見た量水井、手前にある黒いのは仕切弁だそうです。
本庄水源池16

 取水口、中央には「池源水庄本」の文字が、右手には「著手大正三年十月」、左手は「竣功大正五年八月」

 あれ?

横須賀海軍水道走水系統

2016-04-08 19:24:11 | 日本海軍
煉瓦造貯水池

 開国にともない横須賀が軍港に定められ水道の敷設が完成したのは明治9年、はじめての水道こと走水系統がここに生まれたのです。それまでの給水は溜池から引く水道だったために供給量の面でとても拡大して行く横須賀には対応できなかったのです。
 こちらは走水水源の水を一時溜めておくために造られた貯水池、明治35年に建設された。
鉄筋コンクリート造浄水池

 貯水池とは道路対岸の海側にある浄水池、こちらは明治41年の建設となっています。
浄水池銘板

 「横須賀軍港水道」「浄水池」と書かれている戦後の物か?
走水隋道

 現存する走水系統の遺産はこれくらいだろうか、もともとは走水の水を送る水道路としてつくられた隋道が二つある走水隋道、当初は高さ1,5m 幅1mであったが明治16年に今の大きさに拡張され車馬の通行もできるようにしたとか。
 関東大震災のときはここをはじめ全ての水路が分断された歴史もある。
ヴエルニー像

 海軍水道のの父として名高いヴェルニー氏の像

 寒村だった横渚が軍港となるにあたり大量の上水が必要となりそこから海軍水道が生まれました。
陸軍省標柱1

 そんな走水水源池ですがなぜか「海軍省」ではなく「陸軍省」と掘られた標柱があるのです。
 海軍水道なのに陸軍用地??
陸軍省標柱2

 この標柱の裏面にその疑問を払拭するヒントがありました、「東京湾要塞第一地帯標」
 明治17年より始まった東京湾要塞計画により海軍水道の聖地が陸軍省により砲台陣地として指定された痕跡がここにあるのです。

田戸台長官舎

2016-04-07 20:29:39 | 日本海軍
田戸台長官舎

 田戸台長官舎1(通称)はかつての横須賀鎮守府長官官舎で今は会場自衛遺体田戸台分庁舎と呼ばれています。この歴史ある史跡を保護するために貴重な人員を割いているという事なのでしょう頭が下がる思いです。
田戸台長官舎2

 正面入り口をちょっと斜めの角度から、正面の屋根も三角左右の屋根も三角の切り妻である事がわかるだろうか、ちなみに玄関の旭日旗はいつもあるわけではない(去年平日に行ったらなかった)
田戸台長官舎3

 更にもっと左に寄ってみると正面からはレンガしか見えなかったが煙突の周囲だけ石積みである事がわかりますね。
田戸台長官舎4

 玄関をちょっと右手に、もう一つの煙突(この裏はピアノのあるあたり?)と右手の屋根の切り妻が見えてくる。
田戸台長官舎5

 右手の切り妻(三角屋根)、屋根の下の壁に注目すると柱が垂直方向に並べてあるのがわかる、これは呉の長官舎でも見られるがすべてが垂直なのはこの田戸台だけ。
田戸台長官舎6

 更に回り込むと右側に雰囲気の違う瓦拭きの建物が見えてくる、今までの洋館は賓客を応接したり軍事会議をしたりするいわゆる公の場なのにたいしてこちらは居住空間なのです、和室なのにベッドを持ち込んだりした事もあったのは内緒なのです。
田戸台長官舎7

 柱のラインをわざと残し、漆喰やレンガなどで装飾した壁面なのがおわかりでしょうか、これがハーフティンバーという建築様式、らしいですがそうなのですか?(なんだその弱気)
田戸台長官舎8

 そろそろ中に入ってみましょうか、その前にこれは踏むなよ、絶対に踏むなよ。
田戸台長官舎9

 客間、兼会議室、奥に見えるのはピアノ
田戸台長官舎10

 長官執務室、下の白いのは泥除けの敷布だがタイミングによってはこの部屋も奥まで入れない(ときもある)
田戸台長官舎11

 クジャクのステンドグラス、そういえば今年は見かけなかったなこれは。
田戸台長官舎12

 暖炉、一番目の煙突がここにつながっているのだろう、暖炉は庶民の憧れですね欲しい。
田戸台長官舎13

 洋館二階部分の出窓、ベイウインドウという名前があるらしい。