三宅島「吸管孔」
地上50㌢くらいのコンクリの箱、どう見ても防火水槽の上にある真っ赤な蓋には「吸管孔」の文字が入っています。三宅島農業用水空気弁
農、の文字がその存在を誇示している蓋、文字蓋として見ればこれはこれで面白い。
三宅島村空気弁
村章つきの空気弁、青枠が四角い、
三宅島農業水道減圧弁
いわゆる三角蓋、ごく最近設置されたのかと思われます。三宅島農業水道制水弁
上の「農水」が無理に詰め込んだ感がありますね。三宅島村配水弁
これがこの島唯一の謎の蓋、配水弁です。
一枚しか存在しないのにデザイン蓋、どこかの越境蓋かも知れないし、そもそも配水の弁(バルブ)って何?取水制限?三宅島村排水桝
生活排水を一時的に溜めておくための桝かと、三宅島村空気弁付消火栓
村章つきですが下の文字も饒舌。
2/10~11の行程で三宅島に行ってきた、あの噴火以来どうにも行き辛いなとは思っていたけど行かない事には語れない、ましては島歩きをしたいクラスタとしては噴火ごときで止めてしまっては後悔しか残らない。
まずはサタドー灯台と朝焼け、南の島の割には暖かくない。
島の真ん中に鎮座ましましこれが島の主、雄山(おやま)
三七山の山頂から見た斜面、溶岩なので草もまばらにしか生えていない。
平成12年噴火の際に海中から突如として沸いて出たひょうたん山、噴火口は海の中にもある!
平成12年噴火で流され再建された椎取神社、周囲が立ち木のまま枯れているのがわかるがオオバヤシャブシ、クロマツの若木が育ち始めている。
島の東部は廃屋が多いがこれは何の建物だったのか想像するのも難しい、
新島に続いて三宅島にもあった交通公園、見事に誰もいない、それどころか信号機も道路標識も未完成じゃないか!
赤ジャリ公園から見た利島(としま)、うっすらと富士山が見える、心の綺麗な人にしか見えないとご近所でも噂の富士山です。
伊豆岬灯台越しに見た富士山、もはや見つけるのが難しいレベル
三宅島でよく見られる壁面、コンクリブロックの表面に溶岩と溶岩粒を埋め込んでいる、溶岩島っぽいのでこれはアリだな、
昭和58年噴火の溶岩流は中学校の校舎で止まった、現在は立ち入り禁止だが窓の外には溶岩しか見えない薄暗い教室を想像して欲しい。
昭和58年噴火の際には溶岩流は阿古温泉郷という一つの集落を飲み込み、瞬く間に溶岩台地へと変貌させた。しかも驚くことにそれだけの災害でありながらも一人として犠牲者は出ていない!これが三宅島島民の防災意識だ!
溶岩で埋まった体育館、ここで子供たちの声が響く日はもう来ない。
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
一面の溶岩
遥かなる風の音
一面の溶岩
去年の秋(9/16~17)に行ってきた新島の写真、蓋探し以外に何やっているのだ、こいつは。
まずは誰も来ない交通公園、新島空港のすぐ脇にあります。
新島の高床式倉庫 、ねずみ返しがついていないので浸水防止かもしれません。
まいまいず井戸、通路が直線な為に狭義のまいまいず井戸としては認められていません。
道端の小さな祠、こんな所にも神様は宿っています。
島の特産品、抗火石で作られている塀、通常のブロック塀と比べて風味や色合いが違うのが理解できるだろうか?
こちらの塀も上の部分が抗火石、柔らかく加工しやすいのが特徴。
新島の海、天気もよくて水も冷たい、ひゃっほう♪
新島の海その2、手前に見えるのが
六脚ブロックA型(技研興業(株))かな。
こちらの写真がストーンブロック(日建工学(株))ですね。
最後はこちら、ペルメックス((株)不動テトラ)、なんで消波ブロックばかり撮っているんだ?
唐突に神津島の写真をまとめてみる、行ったのは去年のGW(4/29~30)だけどまとめておかないとそのうち写真が散逸するのではないかとの危惧から
まずは神津島最高峰の天上山、標高は574メートルとそれほどでもないが道は急峻。 天上山の裏砂漠、花崗岩の地面は保水力が少ないためほとんど植物が生えない。ちなみに表砂漠のほうは奈良時代の噴火口だったらしい。
そんな過酷な状況で咲く花もある、つつじだ。
あっという間に流れて行く水を頼りに頑張っている、それが神津島のつつじ
一方、山にはこんなため池もある、千代池(せんだいいけ)にはコケが生えている。
山頂から神津島港(前浜港)を望む、左手は左手は崩落した斜面(工事済み)奥が集落、人は海の近くに集落を作るのがよくわかる。
夜明け前の多幸湾、漁船と軽トラしか動くものはいない
日が昇るとあたりがよく見えてくる、奥の斜面が崩落しているがそれは些事のようだ。
フェリーに積み込むと思われる「塩」、一袋を20kgと仮定すると全部でざっと24㌧!
これが毎日出荷されているとすると島の規模から一大産業に見えてくる。(製塩)