八戸市
新幹線の停まる町八戸、本当に栄えているのは八戸駅ではなく本八戸駅の方でバスの行き先で市街地というとそちらに向かいます。
(厚木と本厚木みたいなものかな?)
そんな八戸市の蓋にはキクが描かれています、これは市の花であり栽培が盛んな奥州菊から来たものらしいです。
八戸市集落排水
八戸市の集排蓋には八戸えんぶりが絵がかれています。
八戸えんぶりとは、雪深い二月にその年の豊作を祈って踊る舞であり国の重要無形民族文化財に指定されてもいるらしい。
八戸あたりで雪の中踊る馬の首があったらそれで間違いないでしょう
山車
えんぶりには出会えませんでしたが代わりに八戸三社大祭に使われる山車がありました、夫婦雛・七福神・採れた魚を狙う動物など前面だけでなく側面や背面にも細かい装飾が施された立派な山車です。
八戸市仕切弁
八戸市の仕切弁には八幡駒が描かれています。
青森は雪深い地域です、ひとたび雪に閉ざされると娯楽のないまま雪の止む日を待つしかありません、そんな中一人の木工師の手慰みにより生まれたのがこの八幡駒です。
閑期にすることも無かった農家も参加するようになりいつしかこの八幡駒は郷土の縁起物として知られるようになりました。
(色のついた蓋もありましたが撮り損ねました)
八幡駒
で、その八幡駒がこちら!
PR用に大きく作っていますが実物は大きくても30cmくらいです、
ちなみにこの八幡駒、満月の夜に勝手に町を練り歩く(という話はありません)
八戸市(南郷村)
<別に死に場所を探した訳ではありませんが青森に来ました。
本当に県道なのかなあ、と迷いながらも雨の中ワインディングを楽しんだ一日だったのですがやっぱり道を間違えてました。
青森に来てまず思った事は「カーブ注意」の「カ」の字がおかしい。是非あなたの目でご確認を。
南郷町の集排事業マンホールです。
むつ市
むつ市は陸奥湾に面した下北半島一の繁華街なので堂々と陸奥を名乗る事が出来たらしいのです。
↑むつ市の由来。
走った感じでは良くある地方都市、道路沿いに大型店が並んでる。むつ市(大畑町)
大間の東は大畑町です、役場のある市街地近くにならないとお店もマンホールも現れません。
市街地に入ると雨が降り出すのですが。
マンホールの絵柄は、桜、ヒバ、カモメ、そしてこの地の特産海峡サーモン、モミジイカ。 むつ市(川内町)
川内の町は漁業の町です、今日も威勢の良い若人が道の真ん中で吠えています。
「ほらほら、神輿が通るんだから迂回してくれ」
どうやら今日は祭日だったようです、これは地元優先ですよね、どう考えても。
「お兄さん、踊ってかない?」と浴衣姿の娘さんから珍しく声を掛けられたりしたのですが。
とてもとーっても嬉しいお誘いなのですが下北半島一周の野望の前には断らざるを得ない現実、苦い涙を飲みつつ進もう、やっぱりオトコって馬鹿だ。 むつ市(脇野沢村)
脇野沢村は下北半島の南西端にあります。
ここも訪った時には祭りの準備をして一部だけ賑っていました。
マンホールの絵が猪・鹿・猿の野生動物たち、早く宿決めないと襲われますよんって言いたげな絵柄。
迷いつつも走った国道は快適でしたが出ましたね、猿。
おそらくは熊が出ないだろう事だけが野宿の不安を休めてくれましたけど。
弘前市
林檎の里は弘前市、分かり辛いかも知れませんが点描(どっと)で林檎が描かれているマンホールです。
駅周辺の市街地に多く見られたマンホールです。
個人的な弘前の印象は、寒い所、なのですが~。
いやいや変な意味ではありませんよ、多分。
無料駐輪場があったのは好印象、あとは駅舎の改装が終わってから評価を下したいですね。弘前市2
市街地からちょっと外れるとマンホールも変わっていきます。
林檎の周囲の模様が異なっている為に林檎に外枠が付きました。
この町の思い出はというと午前四時の散歩者、見た感じは普通の女の子なのに。
「朝からどしたん?」
「別に…、いつもの散歩、気にしないで。」
すっごく気になるけど東北の人って朝早いのが普通なのだろうか?弘前市3
更に足を進めて林檎農園にまでやって来るとこんなマンホールが待ち構えています。
いくら走っても林檎畑から抜け出せません、右手から入ってこようとしてる乗用車が数台いたので道を譲ろうとすると後ろからやってきたパジェロに煽られました。
ええっ、道を譲らないのが東北人なの?
かなりのかるちゃーしょっくでした。
もしかしたら好きになれないかも。 弘前市4
これは弘前の空気弁、青くはありませんがこちらも林檎でした。
弘前は城下町です。
かの太宰氏によると「かつて津軽の中心であったのに青森に県庁を名乗らせている間抜け。」
東京人に弘前を聞いても武○士放火殺人事件くらいしか知りません。弘前市5
弘前市の消火栓です。
巨大リンゴに追いかけられたはしご車がタイムスリップする絵柄。
この後奈良時代に出てしまった彼らの明日はどっちだ。
この手のネタで好きなのは「ジェニーの肖像」「クロノスジョウンターの伝説」の二つです、いい話です、泣けます、お奨めです。 弘前市(岩木町)
葛西善蔵氏の言葉として「自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山がないからだ。」
ごもっともなのですが、流石は津軽富士、新開地としての景観は一言筆を添えるだけの価値はありましょうぞ。弘前市(相馬村)
青森県相馬村はリンゴ畑から臨んだ岩木山。
確かにリンゴ畑は多かった。
因みに相馬の名前は平将門の近親の血族から出た奥州相馬氏じゃないかと思っているのですがどうなんでしょうね。
福島県の相馬市もおそらくは同じ由来なのでしょう。
平川市(碇ヶ関村)
碇ヶ関は東北道で岩手を越すと最初の関になります。
かつて敏達天皇が錨を降ろした港があるという話ですが、今となっては内陸のこの地ではどうなのでしょう?
マンホールの絵柄は三つの輪の中に村の花石楠花(しゃくなげ)村の木杉、村の鳥ウグイスが描かれています。平川市(尾上町)
尾上といえば松五郎、松が描かれています。
↑どうツッこめばいいんだ!
地名の由来はというと「高砂の尾上の松」から来たらしいので所謂嘉名芳名な地名なのでしょう。 平川市(平賀町)
平賀の花リンゴ、平賀の木サワラ、平賀の鳥ヤマドリ。
平賀もまた大浦氏に縁の地だったりするのです。
この地の領主曽我氏が岩楯曽我氏と大光寺曽我氏に分かれて争っていた頃にやって来たのが件の大浦為信、浪岡と同じパターンで漁夫の利を狙って来ましたよ、この男は。
一度は退けられるのですがあれやこれやと策を巡らして平賀城を手にしてしまう彼の野望は津軽制覇。
収穫高の面だけでみても辛い、としか言えない。
ここから天下は遙か遠かった。
藤崎町
りんごの形の中に白鳥、謎というかちょっとシュール。
何かもう青森の蓋ってばりんごか白鳥が定番なんですか?食傷気味。
いや藤崎が悪いんじゃないんでしょうが。藤崎町(常盤村1)
青森県の常盤村はこんな感じです。
「常盤地区」「集排事業」の文字と岩木山の前に広がる水田。
そいえば、ガソリン入れようとしてスタンドへ行ったら営業時間過ぎてんのに笑顔で応対してくれたお兄さんは素敵でした。
げにありがたきは人の恩、なのですね。
この絵柄は、岩木山に広がる短冊(状)の水田です。
ぢつは青森と稲作との間には、縄文時代からの長い蜜月があったりするのが事実。藤崎町(常盤村2)
常盤の二つ目がこれ。
「水木」「獅子踊り」とあります。
東通の能舞もそうですがマンホールを見ないと分からない地元芸能ってあちこちにありそうです。
えっと水木地区の獅子踊りが青森県の無形民族文化財として指定されているらしいのです。
佐井村1
佐井村、半島西部の山の中。
山中ぽっかり村がある~、渓谷沿いの木造二階~。
強風が来たら吹き飛びそうな家が幾つもありましたがここは災害とは無縁な村なんだろうなあ、と思ってしまった。
それにしても楽しい道です、R338は。
お猿さんが集団下校しているので一時停止、親子連れも目に楽しいぞ。
あれ?北限て脇野沢じゃなかったっけ?佐井村2
もう一つ佐井村、こっちは漁港の近くです。
北前船(北前型弁才船)なので日本海航路なのでしょう。
今更日本史の勉強をしたくはないでしょうから簡単に説明します。
江戸時代の輸送は陸運・海運の二通りがあって海運の主要航路の一つが日本海航路だったのです。
その際に使われた船がこの北前船と呼ばれた帆船で、蒸気機関が輸入されるまで活躍し続けたという話です。
主な船荷は昆布・イワシ・ニシンだと言われています。
ニシンそばが京都で生まれるきっかけになった船でもありますね。