鯛の尻尾を奪い取れ

OCNブログから引越してきました、マンホールの蓋ばかりですがよろしく
のんびりやっています

砲台山

2017-05-28 17:32:52 | 日本海軍
砲台山1

 横須賀に砲台山と呼ばれる山があります、元々は大塚山という名がついていたらしいが案内板にも地図にも砲台山としか書かれていない。
 そんな砲台山は山頂に砲台が設置された事からその名があります。

 今回は武山(隣の山)から歩いてきたのですがもしかすると北からアプローチすれば単車でも来られるのかもしれません(ただし道は荒れている)
砲台山2

 普通のレンズだと見切れてしまったり低い位置からしか全体を写せないので今回は魚眼さんの出番です、中央に高射砲、横の穴は弾薬庫(らしい)で八個あります。
砲台山3

 奥に崩れた壁が見えるがこれは何だろうか(おそらく倉庫)
砲台山4

 近寄ってみるとこんな感じ、狭いとしか言いようがない。
砲台山5

 ちなみにこの砲台跡の隣は海保さんの施設です、あまり近寄らないように(それにしても空が青い)

東京湾第二海堡

2016-06-13 10:37:20 | 日本海軍
第二海堡1

 先日たまたま第二海堡を間近で見る機会に恵まれたので撮影してきました、もちろん上陸は出来ませんが近くで見ることが出来ただけでも満足です。
 この第二海堡は1914年竣工の陸軍の施設ですが、1923年関東大震災で罹災し除籍、以後は海軍が使用し終戦まで稼動していたのだとか。
第二海堡2

 南東部、手前下の白いのは侵食を防ぐためのコンクリート護岸、この人工島は南側が高台となっています。
 左側にソーラーパネルがある
第二海堡3

 北東部、中央の円筒が砲台陣地、その他に電波等やら何やら色々と建てられている。
 わかりづらいが右手に四角い建造物があるがこれは作業用の宿舎だろうか、
第二海堡4

 北からの写真、中央から西に伸びる島の北側だけは護岸がないのは波による影響が少ないから?
第二海堡5

 北西部、砲台陣地に向かう階段が見える、中央手前の小屋(下部がレンガ)から高台にトンネルがありそう、
 この高台の下にも沢山の部屋がある事は容易に推測できる。
第二海堡6

 北西部、桟橋と小屋が見える、
 「〇〇イの〇側航行」と書かれているが崩落して読めない。
第二海堡7

 西部、この護岸の裏側には探照灯陣地だったのではないだろうか?
第二海堡8

 南西部、階段があるがどうしろというのだ?
第二海堡9

 南部、こちら側には植物が見えない不思議、階段があっても上陸禁止です、いつかこの島を一日かけて探索したいものです。

本庄水源池

2016-04-15 19:51:16 | 日本海軍
本庄水源池1

 本庄水源池の南側の門柱です。

 まずは本庄水源池から説明しないとですね、呉鎮守府が置かれ呉港が軍港として指定されたのが明治十九年、これにより軍港への浄水の安定供給が必要となりました、二河川からの水だけではたりなくなったので新たな水源が求められ本庄水源池(本庄ダム)が建設される事になりました。
 起工は明治44年着手は大正元年竣工は大正7年(出展は日本水道史らしいが確認できていません)
本庄水源池2

 まぁそれは一旦おいといて、本庄水源池は海上自衛隊焼山送信所(現在は廃止)と隣りあわせとなっているので標石があります、「防衛省」「防彳工庁」がペアになっているのはある意味珍しいかも。

 焼山送信所は呉の高射砲陣地跡地があるはずなので是非とも訪れたかった所なのですが、そうですか立ち入り禁止ですか、
本庄水源池3

 そんな事を思っているとまた更に標石が増えていました、「呉水二二六」、数字の入っている標石は他にもあるのかな?
本庄水源池4

 「呉水」標石その1、どこにも軍港水道と書かれていないのがまた良い
本庄水源池5

 「呉水」標石その2、1と2はすぐ近くにあります、この標石のある場所のヒントはフラワーパーク焼山墓苑。
本庄水源池6

 で、実際の本庄水源池堰堤(本庄ダム)がこちら。
 呉と横須賀の共通点は平地が少ない山麓の港だった事です、あくまでも平地に水源を求めた横須賀と違って急峻な川にしか水源を得る事のできない呉はダムを建設するしか水源を確保する手段はなかったのです。
本庄水源池7

 残念ながら立ち入り禁止な堰堤、写真には写っていませんが左手に小島がありお社があります。
本庄水源池8

 橋の手前、美しい撫で回したい
本庄水源池9

 溢流提、ダムの水位が高くなりすぎた日にはここから隣接する二河川に水を流す、隣に水道橋があるのも萌えポイント。
本庄水源池10

 外から見た溢流提
本庄水源池11

 水源池のサクラ、左手は水源池です水遊び厳禁、なので
本庄水源池12

 二河川から見た桜並木、これも良いものだ。
本庄水源池13

 水源地に流入する小田川にかかる橋、残念ながらここは立ち入り禁止だ。
本庄水源池14

 これは第一量水井、第二があるのかは知らない、ここで宮原浄水場へ送る水の量をコントロールしているぽい、
本庄水源池15

 別の角度から見た量水井、手前にある黒いのは仕切弁だそうです。
本庄水源池16

 取水口、中央には「池源水庄本」の文字が、右手には「著手大正三年十月」、左手は「竣功大正五年八月」

 あれ?

横須賀海軍水道走水系統

2016-04-08 19:24:11 | 日本海軍
煉瓦造貯水池

 開国にともない横須賀が軍港に定められ水道の敷設が完成したのは明治9年、はじめての水道こと走水系統がここに生まれたのです。それまでの給水は溜池から引く水道だったために供給量の面でとても拡大して行く横須賀には対応できなかったのです。
 こちらは走水水源の水を一時溜めておくために造られた貯水池、明治35年に建設された。
鉄筋コンクリート造浄水池

 貯水池とは道路対岸の海側にある浄水池、こちらは明治41年の建設となっています。
浄水池銘板

 「横須賀軍港水道」「浄水池」と書かれている戦後の物か?
走水隋道

 現存する走水系統の遺産はこれくらいだろうか、もともとは走水の水を送る水道路としてつくられた隋道が二つある走水隋道、当初は高さ1,5m 幅1mであったが明治16年に今の大きさに拡張され車馬の通行もできるようにしたとか。
 関東大震災のときはここをはじめ全ての水路が分断された歴史もある。
ヴエルニー像

 海軍水道のの父として名高いヴェルニー氏の像

 寒村だった横渚が軍港となるにあたり大量の上水が必要となりそこから海軍水道が生まれました。
陸軍省標柱1

 そんな走水水源池ですがなぜか「海軍省」ではなく「陸軍省」と掘られた標柱があるのです。
 海軍水道なのに陸軍用地??
陸軍省標柱2

 この標柱の裏面にその疑問を払拭するヒントがありました、「東京湾要塞第一地帯標」
 明治17年より始まった東京湾要塞計画により海軍水道の聖地が陸軍省により砲台陣地として指定された痕跡がここにあるのです。

田戸台長官舎

2016-04-07 20:29:39 | 日本海軍
田戸台長官舎

 田戸台長官舎1(通称)はかつての横須賀鎮守府長官官舎で今は会場自衛遺体田戸台分庁舎と呼ばれています。この歴史ある史跡を保護するために貴重な人員を割いているという事なのでしょう頭が下がる思いです。
田戸台長官舎2

 正面入り口をちょっと斜めの角度から、正面の屋根も三角左右の屋根も三角の切り妻である事がわかるだろうか、ちなみに玄関の旭日旗はいつもあるわけではない(去年平日に行ったらなかった)
田戸台長官舎3

 更にもっと左に寄ってみると正面からはレンガしか見えなかったが煙突の周囲だけ石積みである事がわかりますね。
田戸台長官舎4

 玄関をちょっと右手に、もう一つの煙突(この裏はピアノのあるあたり?)と右手の屋根の切り妻が見えてくる。
田戸台長官舎5

 右手の切り妻(三角屋根)、屋根の下の壁に注目すると柱が垂直方向に並べてあるのがわかる、これは呉の長官舎でも見られるがすべてが垂直なのはこの田戸台だけ。
田戸台長官舎6

 更に回り込むと右側に雰囲気の違う瓦拭きの建物が見えてくる、今までの洋館は賓客を応接したり軍事会議をしたりするいわゆる公の場なのにたいしてこちらは居住空間なのです、和室なのにベッドを持ち込んだりした事もあったのは内緒なのです。
田戸台長官舎7

 柱のラインをわざと残し、漆喰やレンガなどで装飾した壁面なのがおわかりでしょうか、これがハーフティンバーという建築様式、らしいですがそうなのですか?(なんだその弱気)
田戸台長官舎8

 そろそろ中に入ってみましょうか、その前にこれは踏むなよ、絶対に踏むなよ。
田戸台長官舎9

 客間、兼会議室、奥に見えるのはピアノ
田戸台長官舎10

 長官執務室、下の白いのは泥除けの敷布だがタイミングによってはこの部屋も奥まで入れない(ときもある)
田戸台長官舎11

 クジャクのステンドグラス、そういえば今年は見かけなかったなこれは。
田戸台長官舎12

 暖炉、一番目の煙突がここにつながっているのだろう、暖炉は庶民の憧れですね欲しい。
田戸台長官舎13

 洋館二階部分の出窓、ベイウインドウという名前があるらしい。

横須賀海軍水道半原系統(1)

2015-10-06 20:52:28 | 日本海軍
半原水源地正門

 半原系統の出発点となる水源地正門、正確には中津川から取水してここに溜めておく貯水池だが正式名称が水源地なのでそれに倣っておく、ちなみに取水口はここより上流にあるはずだが立ち入れる範囲では見つからなかった。
半原水源地

 愛川大橋から見た水源地、平成28年2月28日付けで廃止されたので見てのとおりにこの沈殿池に水は入っていません。
 この半原系統の完成は大正10年との事なので94年前の施設という事になります、長いことおつかれさまでした。
取水所の手がかり?

 水源地から上流にある隋道とバルブ?立ち入り禁止なので調べることはできませんが気になるものがありますね。
 隋道の先が取水口だと思われますがこれはどうしようもない。
愛川町の隋道

 県道54号を外れた先にある二つある隋道のうちの一つ目、ここはつい最近まで通行可能だったらしい、
 「ふ、たいのしっぽめ、相変わらず運のない奴」(海原雄山かよ)
海軍水道標石

 水道みちを通ると所々で「海」の文字が入った標石が見つかります、そうこれが海軍標石、役目を終えたとはいえこの道路が海軍水道路であったなによりの証です。

 この標石、「海」の文字しかありません、なぜか愛川町の標石は文字だけの標石です。
海軍蓋1

 厚木市に入ると二枚の海軍蓋に出会えます、波に錨、戦後70年を経てもなお撤去されずに残っているのがありがたい。
海軍蓋2

 上の蓋と比べると蒼っぽい?こちらは歩道側にある蓋です。
相模川水道橋

 さらに南下、水道橋にぶち当たるのでこちらは迂回せざるを得ません(単車なので)、対岸の海老名市側から撮った水道橋、赤いまっすぐかっこいい。
水道みち

 後ろを振り返るとひたすらまっすぐな水道みち、飛び出していきたい所ですが、すぐ手前の十字路、横からの交通が多いので飛び出すなよ!(場所は有鹿神社の裏)
海老名市にあった海軍標石

 引き抜かれて横倒しになっている標石、上の愛川町の物と違うのがわかるでしょうか?
 そうです、「海」の文字の上に波があります。
 この違いは何かと考えると、海軍章(波と錨のマーク)が制定される前後なのではないかと推測できます。
 ちなみに海老名より下流は全て波がついています。

 そしてこの標石を見てわかるように、「海」の下には何の文字も書かれていません(ここは大事)
引地川水道橋

 やって来ました引地川、ここの水道橋は弧を描いています、二本あるのがわかるでしょうか?
境川水道橋

 そして境川の水道橋、トラスが美しい。
大清水浄化センター

 またも迂回して浄化センターの南から上流側を見る、まっすぐ管路は続いているが人は通行できない、残念だ。(次回に続きます)

海軍蓋(まとめ)

2015-10-01 19:59:25 | 日本海軍
海軍蓋(制水弁)

 一番よく見られるタイプの海軍蓋。
 中央の海軍章と左右の矢印、開閉の文字がついている。
 この蓋の所在地は
 横須賀水道みちに3枚
 米軍横須賀基地に1枚
 米軍厚木基地に7~8枚
 久里浜駐屯地に1枚
 武山駐屯地(高等工科学校)に8枚

 結構残っている。
海軍水道消火栓

 これがおそらく一番有名な海軍蓋、右書きで「消火栓」
 この蓋は米軍横須賀基地でしか見ていないので横須賀基地の一般公開日を狙うしかない。
海軍水道安全弁

 安全弁とはなんぞや、と聞かれても困る、こういうのは水道の専門家に聞いてください、これは横須賀水道みちの滑川水道橋のすぐ東にあります。
海軍電話蓋

 波のマークに電話の「話」、こちらも米軍横須賀基地にあります。

横須賀海軍水道半原系統(2)

2015-09-24 21:20:31 | 日本海軍
大清水浄化センター南の標石

 浄化センターから南東に阪を上った上にある標石、ここには例の「波と海」が描かれています、なぜか黒く着色されていて見やすい。
 定期的に色をつけるボランティアでもいるのだろうか?
柏尾川水道橋

 この橋のある所は東西両方とも道が悪い、なぜなんだぜ?
車道中央にあるガードレール

 これはあれだ、管路の脆弱部があるために車に踏ませないようにわざと中央に寄らせないガードレール、わざと中央を通し道路の真ん中を踏ませない荒玉水道とは逆の発想なのだな。
滑川水道橋

 滑川(なめりがわ)に架かる水道橋、わかりやすく言うと鎌倉だ、もちろんここに観光客がくることはない。
海軍水道安全弁

 安全弁というのが何なのかわからないが水道橋のすぐそばにある、
 この字体がとても可愛いのでおすすめ
海軍蓋

 しばらく東に進む、逗子の駅前を通過して京急の踏切を越えた先の道路の真ん中に現れる海軍蓋!
 そこそこ交通量があってかなりすりへってはいるけどよくぞ今日まで残っていた、エライエライエロイ。
海軍水道標石

 逗子市内にもいくつかの標石が残っている、これには上に横須賀水道局の境界までついている。
盛福寺管路隋道(逗子側)

 ここまでがんがって陸路を進んできた海軍水道ですが横須賀の山には勝てなかった、隋道を掘って中に管路を通します。
 現在通行止めなのでまた迂回しましょう。
盛福寺管路隋道(田浦側)

 こちらは横須賀市(田浦)の方からの隋道、まあこっちに回っても入れないのですけどね。
 すきまから中の様子を伺えますが真っ暗です。
海軍標石

 田浦にもある海軍標石、このまままっすぐ行くと第二術科学校などの海自の施設につきあたります。

 あれ、最終的には逸見の浄水場に向かうんじゃなかったっけこの水路は???
 最後でわけわからなくなりました。

戦艦「陸奥」

2014-05-30 21:12:47 | 日本海軍





絵はがき
Mutu01  戦艦「陸奥」は、かつて日本海軍に所属していた船、世界のビッグセブンとして名高く戦前の教科書にも載ったらしい。
 進水は大正9年5月31日、就役は大正10年10月24日。
 昭和18年6月8日桂島沖で爆発事故を起こして沈没、戦争で沈んだのではない悲運の艦であった。

 戦後になって二回のサルベージが行われたが未だに3割近くが海中に残っているらしい。BR>
 さて、引き上げられた陸奥はどうなったかというと、国内のあちこちで展示されたり、加工されたりして戦時遺産として残っている、死してなお愛され続ける陸奥の姿がここにある。

Mutu02
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船の科学館(東京都品川区)
Mutu04 お台場の近くですが町界区分では品川区にある船の科学館、ここに砲身が一門だけ展示されています。
 
聖博物館(長野県麻績村)
Mutu05 麻績村にある聖博物館にもなぜか陸奥の砲身と弾が展示されています。
 一番下の写真は装甲板の一部とか舷窓といったいわゆるパーツが並べられている。

 これらの展示物は博物館の庭に置かれているが、入館料300円を払った時に出口の柵から入ってもいいと言われたので館内をスルーしてもいいらしい。
 この庭にあるのはほとんどが航空機で、本当になぜここに陸奥なのだろうと違和感をぬぐえない。


 ちなみに聖博物館までのアクセスですが、電車だと篠ノ井線聖高原駅ですが下車してからが遠く不便なので電車ではなく自走で長野道麻績ICの利用をおすすめします。(公共交通機関に喧嘩を売っているつもりはない)
Mutu06
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大和ミュージアム(広島県呉市)
Mutu08 呉駅から徒歩でいける距離の大和ミュージアム(海事歴史科学館)、その入り口手前にも陸奥の遺物が展示されています。
 まずは銘板から、
 主錨・砲身・船尾フェアリーダー・スクリュープロペラ・主舵などどこにあったものかが記されています。

 せっかくここまで来たのだったら入館料500円を払って中の展示品も見たり千福大吟醸「提督を買ったりしましょう、時間があったら「てつのくじら館」にも足を運びましょう。
 

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Mutu13
第一術科学校(広島県江田島市)

Mutu14
 術科学校の敷地内には、昭和10年の改装で外された四番砲塔がずっしりと設置されています。
 毎週日曜日に行われているガイドツアーではこの陸奥砲には近寄れませんが、桜の時期の一般公開日には間近でじっくりと見ることができます。
 そう、年に四日だけあるこの日こそがチャンスなのです。

 尚、この敷地内にある教育参考館にも艦首の菊花紋などが展示されていますがそちらは撮影禁止ですので諦めて目に焼き付けておくくらいにしてください。

 江田島へのアクセスは広島(宇品)と呉から高速船が出ているのでそれに乗って小用港へ、バスに乗り継いで術科学校前で下車が一般的です。
 陸路だと呉から倉橋島、江田島と端を渡っていきます、時間の余裕のある方はそちらもおすすめです。

Mutu15

Mutu16
 「結句」
 これらの写真は数ある陸奥の遺産のごく一部にすぎずこれ以外にも各地で展示、保存されている物が数あまた存在する。
 例を挙げると、

 靖国神社「遊就館」の副砲(撮影不可)
 周防大島の「陸奥資料館」のさまざまな展示物、
 船体を溶かして作られ、およそ百箇所に配布された「陸奥の鐘」、
 これらをすべからく探し訪うにはまだまだ時間が足りなすぎます。

 そう、陸奥巡りの旅は今の時点ではまだスタートラインに立ったばかりでしかないのです。
 これからだよ、



海軍大演習陸戦隊観兵式記念絵葉書

2013-10-05 07:18:35 | 日本海軍

002 海軍大演習陸戦隊観兵式記念絵葉書

 ふと面白そうなのを見つけたので買ってしまった、いわゆる写真絵葉書なのですが被写体が戦艦というのがまたいい。
004巡洋戦艦 霧島

 絵葉書の状態があまりよくないのは80年前のものだから愛嬌のうち、普通に写真集として見てもいいのでは?
006巡洋戦艦 比叡
008巡洋戦艦 伊吹

 あ、あれ?昭和9年だと伊吹さんは退役していませんか?
010戦艦 長門

 曲がっているのがかっこいい長門さん、この角度だとちょっとわかりませんね
012戦艦 伊勢
014世界最大戦艦 陸奥

 世界最大とか書かれていてどれだけ人気なんですか陸奥さんはっ!
015戦艦 陸奥

 さらに陸奥さんもう一枚あるし、