鯛の尻尾を奪い取れ

OCNブログから引越してきました、マンホールの蓋ばかりですがよろしく
のんびりやっています

八王子市(市章)

2016-02-23 19:47:48 | マンホール(東京都)

Hatiouji1八王子市市章蓋1

 (パターン1)なんかものものしいタイトルですがマンホールの真ん中のマークです。
 (王) というマークで上下の横線が反り返っているのと真ん中の横棒が短いのが特徴。

 正確に言うとこれが八王子市の市章です。
Hatiouji2八王子市市章蓋2

 (パターン2)「王」の字の上下に「下水」の文字が入ると真ん中の「王」の字が変わります。
 上下の横棒がとがって真ん中の横棒が長め、この二つの蓋が八王子市の市章蓋の基本形です。
Hatiouji3八王子市市章蓋3

 例外その1、上下に下水の文字が入っていないのにパターン2の文字になっている、犬目町あたりで見られる。
八王子市市章蓋4

 なんかまた別パターンが出てきた、( 王 ) と括弧と王の字がくっついていないし、王の字の横棒三本が同じ長さ、もう何なのこれ
Hatiouji4八王子市市章蓋4

 例外その2、最初見たとき何がなんだかわからなかった。
 よく見るとパターン1の王の字に×が重ねてあるのがわかる。
 楢原町にある。
006「法」蓋

 八王子の裁判所跡地近くの歩道で見られる「法」の文字蓋、中に何があるのかはわからないが法務省管轄という事で間違いないのかな?
Hatiouji6八王子市デザイン蓋

 既出ですが八王子市のデザイン蓋でレア蓋とされているのがこれ、高尾街道明治橋が知られていますが交通量を考えると川町にあるもう一枚のほうが狙い目です。


豊橋市電気

2016-02-14 21:41:21 | マンホール(愛知県)
豊橋市電気

 豊橋市の電気蓋、のんほいパークの駐車場にありました。 外側に描かれているのは市の花ツツジ、内側には一方向ブランコが描かれています。
 さて、皆さんはブランコが何故ブランコと呼ばれているのかご存知でしょうか?この呼び名にこそブランコが長い間部外秘であった謎があるのです。
 そもそもブランコが渡来したのは平安時代、遣唐使によってわが国にもたらされたという話があります、だがこのブランコはあくまで宮中行事だったのです。鞦韆(しゅうせん)の名前で伝わった遊具は寒食の時期にのみ許された女子限定の行事でありそれが大衆の目に触れる機会は一切ありませんでした。(このあたりは源順「和妙類聚抄」(由佐波利)を参考のこと)

 そして時が過ぎ江戸幕府が鎖国を始めた後にブランコは二度目の渡来を果たします、そうブランコはポルトガル語由来の単語なのです。
 こちらのブランコは瞬く間に巷間に広まり小林一茶「ふらここや 桜の枝を もちながら」などと俳句にも詠われるようになりました。
 俳句ではブランコは春の季語、冬の寒さを逃れ春の訪れを祝う子供たちの象徴となっています。中国詩や日本映画では逆に物寂しさを表現するために冬や孤独のモチーフとして使われることが多いようです。 簡単ながらブランコの小ネタでした(「鞦韆考」も参考になるので呼んだほうが良い)


 更に余談、寒食とは介子推の説話が元になった祭日でここでは詳しく書きませんが興味がある方は検索してください。

東京海洋大学

2016-02-03 17:31:20 | マンホール(東京都)
明治丸

 越中島にある東京海洋大学は2003年まで東京商船大学という名前でした。
 それはまぁ置いといて大事なのはここに明治丸が保存されていることなのです。

 明治丸は灯台巡廻船でありながら、領有権問題を解決するために調査団を小笠原に運んだり、お召し艦となったり様々な活躍を見せ現在では写真のように陸で保存されています。
 これを見るだけでも海洋大に行く価値はあります。
東船大共同溝

 海洋大の共同溝の蓋は必ず三枚一組となっています。
 ついでに東船大と書かれた蓋は全てハセガワ製です。
東船大「汚」

 「汚」の文字が入った蓋、JIS蓋でもあります。
東船大「汚水蓋」


東船大「雨水蓋」


東船大

 用途の不明な蓋、設置されている場所から察するに防火用水ぽい
東船大「雑排水」

 落ち葉にくるまって暖かそうになっている雑排水、これは一枚だけぢか見られなかった。
商船大「汚水」

 商船大と書かれているのはIGS(伊藤鉄工製)、東京商船大学の略称は東船大・商船大のどちらでも正しいらしい。
商船大「雨水」