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駒沢練兵場は、明治24年ー昭和20年まで存在した軍事施設、その範囲は目黒区東山から世田谷区池尻・下馬にまでわたる広範囲であり兵士5000人軍馬1300頭が日々鍛錬に勤めていたと言われています。
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残念なお知らせがあります、目黒区側にはほとんど練兵場の痕跡が残されていないのです、かろうじて見つかるのがこの馬頭観音碑、軍馬苫良・福富号が坂路訓練で亡くなったのを供養するために作られました。
場所は上の地図の右側、東山中学校の東の坂にあります。
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もう一枚今の地図を載せます、こちらは世田谷区池尻になります、緑色の部分については下で説明します。
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地図右側の四角形、ここはかつての馬糧庫跡でかつては干草や藁などの馬のための食糧が積まれていたらしい、戦後はパン工場(ここはうろ覚えなので違うかも)になっていて現在ではcoop生協とヤマト運輸の倉庫として使われています。
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壁面には使われていない扉があります、おそらくこれはもう二度と開かれる日はないでしょう。
見学に来られる方は、ヤマトと生協の倉庫の内側をこっそり覗いてみてください、鉄骨組みや木造の壁・天井といつの時代だかわからない感動する光景がそこにありますので
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そろそろ次に進みます、2枚目の地図V字の右上には陸軍用地標石があります、写真ではわかりづらいかもしれませんが確かに「陸軍用地」と刻まれています
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左上の〇が上の標石、右下が完全に埋没している標石(仮に②とします)、掘り起こせば陸軍用地の文字が確認できそうですがそんな権限はなかったorz
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こちらの左上は上の②、右下も埋没している標石、この土地(現在は食糧学院)は駒沢練兵場で合っているはずなのだが通行の障害になるためなのか埋没してしまっている。
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V字の底の部分、食糧学院の入り口近く薬局の脇、ここが駒沢駐屯地の排水路の始まりと言われています、左奥の銭湯「月の湯」は現在休業中です。
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はっきり言ってこの排水路は狭いです、車どころかバイクも通行が難しいかと(除く新聞屋)
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旧大山街道を越えて池尻神社の脇に続きます。
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