絵はがき |
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戦艦「陸奥」は、かつて日本海軍に所属していた船、世界のビッグセブンとして名高く戦前の教科書にも載ったらしい。 進水は大正9年5月31日、就役は大正10年10月24日。 昭和18年6月8日桂島沖で爆発事故を起こして沈没、戦争で沈んだのではない悲運の艦であった。
戦後になって二回のサルベージが行われたが未だに3割近くが海中に残っているらしい。BR> さて、引き上げられた陸奥はどうなったかというと、国内のあちこちで展示されたり、加工されたりして戦時遺産として残っている、死してなお愛され続ける陸奥の姿がここにある。
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船の科学館(東京都品川区) |
| お台場の近くですが町界区分では品川区にある船の科学館、ここに砲身が一門だけ展示されています。
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聖博物館(長野県麻績村) |
| 麻績村にある聖博物館にもなぜか陸奥の砲身と弾が展示されています。 一番下の写真は装甲板の一部とか舷窓といったいわゆるパーツが並べられている。
これらの展示物は博物館の庭に置かれているが、入館料300円を払った時に出口の柵から入ってもいいと言われたので館内をスルーしてもいいらしい。 この庭にあるのはほとんどが航空機で、本当になぜここに陸奥なのだろうと違和感をぬぐえない。
ちなみに聖博物館までのアクセスですが、電車だと篠ノ井線聖高原駅ですが下車してからが遠く不便なので電車ではなく自走で長野道麻績ICの利用をおすすめします。(公共交通機関に喧嘩を売っているつもりはない)
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大和ミュージアム(広島県呉市) |
| 呉駅から徒歩でいける距離の大和ミュージアム(海事歴史科学館)、その入り口手前にも陸奥の遺物が展示されています。 まずは銘板から、 主錨・砲身・船尾フェアリーダー・スクリュープロペラ・主舵などどこにあったものかが記されています。
せっかくここまで来たのだったら入館料500円を払って中の展示品も見たり千福大吟醸「提督を買ったりしましょう、時間があったら「てつのくじら館」にも足を運びましょう。 |
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第一術科学校(広島県江田島市) |
| 術科学校の敷地内には、昭和10年の改装で外された四番砲塔がずっしりと設置されています。 毎週日曜日に行われているガイドツアーではこの陸奥砲には近寄れませんが、桜の時期の一般公開日には間近でじっくりと見ることができます。 そう、年に四日だけあるこの日こそがチャンスなのです。
尚、この敷地内にある教育参考館にも艦首の菊花紋などが展示されていますがそちらは撮影禁止ですので諦めて目に焼き付けておくくらいにしてください。
江田島へのアクセスは広島(宇品)と呉から高速船が出ているのでそれに乗って小用港へ、バスに乗り継いで術科学校前で下車が一般的です。 陸路だと呉から倉橋島、江田島と端を渡っていきます、時間の余裕のある方はそちらもおすすめです。 |
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「結句」 これらの写真は数ある陸奥の遺産のごく一部にすぎずこれ以外にも各地で展示、保存されている物が数あまた存在する。 例を挙げると、
靖国神社「遊就館」の副砲(撮影不可) 周防大島の「陸奥資料館」のさまざまな展示物、 船体を溶かして作られ、およそ百箇所に配布された「陸奥の鐘」、 これらをすべからく探し訪うにはまだまだ時間が足りなすぎます。
そう、陸奥巡りの旅は今の時点ではまだスタートラインに立ったばかりでしかないのです。 これからだよ、 |