加美町
加美町の蓋。
船形山を背景にブナ、キジ、ミズバショウ、アユが描かれています。
合併後に出来た新蓋かと思われます。
加美町(小野田町)
温もりの里小野田町はどっちかというと山の中の町です、加美富士と呼ばれる蓬莱山もこじんまりとして可愛い山でした。
そんな小野田町の蓋には、町の木ブナ、町の鳥ヤマドリ、町の花ミズバショウが描かれています。
小野田というと「レミコン」という単語を後に続けたくなりますが、あれは山口が大元のコンクリ屋さんらしいです。
加美町(中新田町1)
中新田町の蓋、とてもわかりづらいですが地球の真ん中で投網をしている人が描かれています。
さらにその地球儀の端には東西南北のほかに「NewYork」「Peking」などはるか遠い都市の名前まで書かれていて何考えてつくったのか教えて欲しいものです。
加美町(中新田町2)
十二支のうち、卯と酉以外が外周に書かれた弁の蓋です。
よく見ると蓋には龍と虎が描かれています。
なにやら謎っぽい
加美町(宮崎町)
陶芸の里宮崎町の蓋です。
左右に町の花ハギ、壷の絵柄が町の鳥キジとちょっと何を考えて造った蓋かわかりづらいです。
東松島市(鳴瀬町1)
鳴瀬町は縄文を売りにしている面白い町です。
県史跡の里浜貝塚があり、野蒜(のびる)から宮古島を奥松島とよんで、地域を挙げて縄文まつりを開催してるという話です。
そんな鳴瀬にある縄文歴史資料館のマスコットキャラが中央の縄文人、ゲンちゃん。
すでにゲンちゃんファミリーまであるとか。
周囲には海と貝塚の町っぽく海産物が描かれています。
ヒラメ・ウニ・巻貝・ヒトデ。
東松島市(鳴瀬町2)
鳴瀬町のもう一つの蓋。
発掘された土器から町の花ハマナスが顔をのぞかせています。
火起こしとか生食(縄文グルメ)とかは年中やってるぽいですが、念のため縄文歴史館に確認したほうが良いでしょう。
東松島市(矢本町)
矢本といって思いつくのはブルーインパルス(松島基地)でしょう、それ以外は…。
そんな矢本町の蓋にはカエルが描かれていました。
登米市(石越町)
まいまいの町?石越町です。
町の花がアジサイだけあってアジサイから連想されるカタツムリが描かれているようです。
ほかにもこの町では石越あじさい祭があるようです。
登米市(津山町)
津山町です、天然記念物のウグイという魚の生息地だという事で描かれているのはそのウグイだと思われます。
更に言うとこの町名の津山というのは柳津と横山から一文字ずつとって津山だとか。
こういう元々の原義をないがしろにする命名って大嫌いなんだけどな。
登米市(東和町)
えっと東和町ですね、良くある名前ちっくで半分忘れてました。
これでもし「あずまなごみ」とか読んだらそれはそれで一本取られた感じですけどそれはありませんでした。
この蓋は、道の駅近くで見かけた奴です。
百合三弁に松。
登米市(登米町)
みやぎの明治村を名乗るだけあって歴史を思わせる資料館に事欠かない登米町。
注意すべき点は一つ、合併前の名前は登米郡登米町(とめぐんとよままち)で合併後の名前は登米市(とめし)、漢字は同じでも読みが違います、ひらがなでとよまと出てきてもあわてないように。
そんな登米町の蓋には町の花ウメが描かれています。
登米市(中田町1)
中田町は石の森章太郎氏の生地でもあり、記念館があったりするのです。
好きな人にはたまらないんでしょうねぇ、Yくんとか。
個人的にはフランソワーズ(003)の写真ばかり撮っていましたが。
蓋は町役場周辺にありました。
登米市(中田町2)
町役場以外の場所の蓋はこんな感じです。
県道沿いにT字を右折、すぐに左カーブで車体を倒すと仮面ライダー。
何なんだよ、この町は。
良く見るとこの市章もライダーベルトちっくかも。
周りには嫌と言うほど梅の花、町の木です。
栗原市(一迫町)
一迫町の蓋には町の花アヤメ、町の木マツ、そして八ツ鹿踊の面が描かれています。
八ツ鹿踊といえば宇和島のような気もしますが何故かこの東北の地一迫にもある不思議。
栗原市(瀬峰町高清水町)
瀬峰町と高清水町で共通ぽい蓋。
共通(合同)の蓋は、例えば坂戸市鶴ヶ島市(埼玉県)などたまに見られるのでそれ自体には珍しさの欠片もありません。
蓋に描かれているのは高清水町の花スイセン、瀬峰町の花サクラ、高清水町にあり名水百選に選ばれた桂葉(かつらっぱ)清水、そして謎の少女テアラ。
まぁ謎なモノはおいといて、桂葉清水というのは高清水町の名前の由来ともなった由緒ある清水であるが近年湧水量が減少したり大腸菌が検出されたりと色々大変な名水です。
まぁ後者については犬の糞でも投げ捨てた馬鹿がいたんじゃないかと邪推。
水琴屈があるだけでもお勧めです、ここは。
七ヶ浜町1
七ヶ浜は遊泳場の町、かも。
地図を見ても海に面した半島の町なんですけどね。
島は~松ヶ浦(188段)
社は~はなふちの社、しるしあらむとをかし(225段)
と「枕草子」にも書かれてはいますが実際に清少納言がこの地を訪れたのかは不明。
因みに松ヶ浦は現在の松が浜地区とも松島とも言われ、はなふちの社は花淵浜の鼻節神社だそうです。
車輪ちっくなこの蓋の絵柄がその実何なのかも更に不明。
七ヶ浜町2
民家の出口付近でよく見かけた蓋です。
絵柄は、波にはまぎく。
絵柄が不鮮明なのは雨の中撮影したからであって、雨天強行で宮城にやってきて砂浜でカニと戯れて東京に帰っていった日もありました、何やってんだ、俺。
栗原市(鴬沢町)
梅に鶯の絵柄、鶯沢町です。
山や水車小屋も描かれていてのどかな田園を想像しても不思議ではありません。
そもそもの発端は細倉鉱山なのでした。
国内では珍しく様々な鉱産物が採取できる貴重な山。
調子づいてた高度成長期の日本は乱獲をし続けました。
その産出品とは、……鉛。亜鉛。濃硫酸。カドミウム。etc…。
はぁ、分っちゃいますよね、やっぱ。
現在この地は公害の特定要観察地帯とされていて移動もままならない状況だという噂です。
名前とは裏腹な現実は人間の責任、誰を恨めば幸せですか?
栗原市(金成町1)
金の成る町、金成(かんなり)は蛍でした。
走っても走っても田圃ばかりで蛍が居ても不思議じゃない町。
因みに右下に「ほたる」と要らん文字まで入っています。
夕陽に見入って声もない蛍三匹、何故にこの光は心をとらえて放さないのだろうか。
遠く、夕暮れを告げる鐘の音が聞こえて来、風にも冷たいものが混じり始めてきたが、三匹は身じろぎ一つせずただひたすらに落日を眺め続けていた。
尻に宿る己の煌めきすらをも忘れて。
栗原市(金成町2)
↑やっちまった一例、このネタは封印だってのに。
金成の二つ目です、おそらくこちらは旧バージョン。
「かん」「なり」と文字が上部左右に二分割、絵柄は小川に集う蛍たち。
んーと、ここでもまた何か書きそうになったので止め止め。
書欲溢れる季節は危険だらけです。
栗原市(栗駒町)
山間の町、栗駒町です。
栗駒とは、「栗毛色の馬」という意味です。
という話を以前同僚の女子と話をしたら、黄色い馬と勘違いされた憶えがあります。
栗毛は茶色ですよぉ、黄色かったら膝栗毛はどういう意味になるんだよ。
それはともかくこちらの絵柄はお馬の親子。
いつでも一緒にぽっくりぽっくりぽっくりぽっくりぽっくりぽっくりぽっくりぽっくり、
栗原市(志波姫町)
志波姫町の蓋は桜に水車。
新幹線の駅前には三つの水車があり、それぞれ名前も付いていますがどんな名前なのかは秘密。
まあ、名前なんてどうでもいいんですが(そうなのか?)。
栗原市(築館町)
「つきだて」と読むのが正しいようです、築館町。
つきのだて、と読んで恥かいた人がここにいるのは内緒ですよ。
築館の蓋はイチョウ、隣の丸いのはギンナンかな?
この蓋を見て、何かのスポーツみたいだ、と思ってしまったのも内緒。
卓球ちっくな遊技が出来そうですが銀杏の葉はそんなに硬くないのが残念。
まあ、イチョウの葉は集めまくった記憶があるのでいろんな思い出の葉でもあります。
今でもよく拾うのも内緒。
↑内緒だらけのオトコだな。
栗原市(花山村)
花山村はアズマシャクナゲの自生北限地です。
花山湖があって道の駅もあって釣り堀もあって何も釣れなかった人が何人もいた所。
あれは釣り堀に見せかけたただの水溜まり説も有力。
もう二度と行く事はないでしょうが…。
南三陸町(歌津町)
イルカっぽいけどウタツリュウだそうです。
東京の昭島市と同パターン、発掘された化石の復元予想図らしい。
しかもアンモ喰ってますぜ、こいつ。
周囲の花はつつじ。
ぢつはこの時、陽はすでにとっぷりと暮れていて、光源はバイクのヘッドライトでした。
南三陸町(志津川町1)
志津川の町はモアイ像。
地震復興の際にかの国と交流があった事からこの絵柄になったそうです。
左右の魚はおそらく鮭、荒巻とかになっている魚。
上の貝は、片思いとホタテ。
↑片思いは名前じゃないっ
南三陸町(志津川町2)
波伝谷地区にあった農集排マンホールです。
これはもしかして蓋を潜水艦の窓に見立てている絵柄なのかな?
海中でタコやカレイがお出迎え~。