読書日記

いろいろな本のレビュー

アンゲラ・メルケル マリオン・ヴァン・ランテルゲム 東京書籍

2021-10-17 14:18:17 | Weblog
 副題は「東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで」で、著者は1964年、パリ生まれの女性ジャーナリスト。『ル・モンド』元記者。普通フランス人はドイツ人をほめないものだが、ここではメルケルを褒めている。同じ女性としてのしてのシンパシーがあるのかもしれない。メルケルは1954年生まれで、現在67歳。16年間ドイツ連邦の首相を務め、今年引退する。16年間首相の地位に座り続けるのは、独裁国家でも並大抵ではない。中国の習近平でもまだ10年だ。彼は終身主席の地位にいることを目指しているが、その苦労は並大抵ではない。いつ寝首を掻かれるかわからないからだ。毎日が恐怖の連続で、疑心暗鬼に陥り理不尽な粛清を繰り返すことになりかねない。ロシアのプーチン然り。民主国家のドイツでしかもEUの盟主としてこれだけの期間、首相を務めたことは、やはりリーダーとしての指導力があったからだ。一年で首相を辞めたどこかの国の御仁とは出来が違う。本書を読んで、リーダーとしての資質とは何かということを考えさせられた。本書によって日本の政治家の欠点が逆照射されるのが面白い。

 メルケルは1954年7月、西ドイツのハンブルグで生まれた。父親はプロテスタントの牧師で、メルケルが生まれた年に西ドイツから東ドイツに移住した。共産主義国家で牧師という仕事は困難を伴うにもかかわらず、宗教的信念で赴任したようだ。1973年ライプツィヒ大学(カール・マルクス大学)で物理学を専攻。1990年、東西ドイツ統一後、第四次コール内閣で女性・青少年相。2005年に歴代最年少で初の女性首相になった。彼女の政治手法は複雑な案件でも可能な限り詳細に検討して、話し合いで解決する。そこに強固な倫理観が一本筋として通っているというものだ。そして金銭に恬淡で地位名誉にこだわらないという性格がある。これは牧師の娘として東ドイツで育ち、物理学を専攻した経歴に負うところが多いと書かれている。これだけでも日本の政治家とは大違いであることがわかる。

 メルケルは福島原発事故の後、三か月の原子力モラトリアム、2022年末までのドイツの原発を停止した。また難民の受け入れも、強い反対があったにも関わらず、積極的に行った。その他毀誉褒貶があるものの自分の信念に従って進んで行った。ムッターと言われる所以である。そして最も印象的だったのは、2020年12月9日の連邦議会でのコロナ感染拡大抑制対策として、行動の抑制を国民に訴えた演説だ。「心の底から、誠に申し訳なく思います。しかし、私たちが払う代償が、一日590人の命だとすれば、私には受け入れられません」と述べ、詳細な説明を加えながら、感染予防のための行動制限を守るようにドイツ国民に呼びかけた。「いかにつらくともーーホットワインやワッフルの屋台を皆さんがどれほど楽しみにしているか、私にはわかっていますーー、飲食はテイクアウトにして家で味わうことのみにすることへの合意が何より大事なのです。この三日間に解決を見出すことができなかったなら、百年に一度の出来事を後世の人々が振り返ったときに何と言われるでしょうか?」と普段は見せない感情的なしぐさに国民は感動した。著者曰く、「この時の演説は政治家というより、牧師の者だった」と。私は「ホットワインやワッフル」という具体的な市民の愛するもの持ってきたのが非常にうまいと思う。そしてそこにドイツの豊かな市民生活が想像でき、やはりヨーロッパの先進国だなあと感心した。

 この演説に比べて我が国の首相の言葉はどうだったか。八百長の記者会見でもまともに記者の質問に答えられず、ぶら下がりの会見でも痛いところを突かれて、畳みかける同じ記者にいちいち名を名乗れとブチ切れて、後ろに控えていた女性の広報官に「きちんと注意してください」と色をなして𠮟りつけていた。見ちゃいられない場面だった。これを民放では流したが、NHKは流さなかった。けしからん話である。今回の総選挙でNHKをつぶす云々の党が出ているが、一定程度の支持を得られるのではないかと思う。権力側のプロパガンダになってしまっているからだ。そのようにしたのも「ワクチン百万回」の前首相である。権力の乱用を屁とも思わぬ首相が二代続いたことで、この国は三流国に転落しつつある。その詳細は『権力は腐敗する』(前川喜平 毎日新聞出版)参照されたい。

 この国の現状をメルケルの事跡と照合すれば、そのひどさがわかる。本書の刊行はその意味でタイムリーと言える。今回の衆議院選挙で、国民はどのような判断を下すのか、民度が問われる。