読書日記

いろいろな本のレビュー

戦国の村を行く 藤木久志 朝日新書

2021-10-05 10:05:05 | Weblog
 本書は1997年刊の朝日選書の同題の書を改定したもの。解説・校訂は明治大学教授の清水克之氏。腰巻解説・惹句によると、戦国時代の戦場には、一般の雑兵の他、「濫妨衆・濫妨人・狼藉人」といったゲリラ戦や略奪・売買のプロたちが大名軍に雇われ、戦場を闊歩していた。戦場の惨禍の焦点は、身に迫る奴隷狩りにあったという。これに対して村の人々や領主は、どう対処したのか。したたかな生命維持装置としての村とは何かというのが本書のテーマで、誠に興味深い。

 「戦国の村」と言えば、黒澤明監督の「七人の侍」を思い出す。野武士に襲われる百姓たちが、それに対抗するために七人の武士を雇って村を守るという内容だった。最後の方で村の老婆が落馬した野武士を棒でしたたかに打ち付ける場面が印象的で、積年の恨みを晴らさではおくまいという執念を感じさせた。結局村人たちの勝利に終わるのだが、実は戦国の村では武士を雇うどころか、自分たちで武器を持って戦っていたようだ。戦国時代は人心が殺伐として人殺しは日常的に行われていた。村と村の対立抗争も頻繁に起きていた。その中で、村では城を作っており、いざ敵に襲われそうになると、村の屈強な若者たちは村の城に籠り、残った村人は家財を牛馬に積んで非難していた。また村の安全を守るために大金を払っていたということも指摘されている。和泉の国の日根野に根来寺の僧兵が乱入しようとしたとき、村役人たちは根来寺に乗り込んで折衝したが、この時大金を積んで乱入を食い止めたらしい。

 私たちは戦国時代というと、大名の動向や生活ぶりばかりに目を奪われているが、農民の側に視点を移すと彼らは大変な苦労をしていたことがわかる。村は村で強固な統治機構・官僚組織に似たものを作り上げていたようだ。例えば、村どうしの争いが起きたとき、敵方の村へ危険な交渉に行って、もし村の身代わりになって殺されたら、その者の跡取り息子には、雑税を村として長く肩代わりする。村が周到な補償システムを作り上げていたのだ。また村どうしの水争いで激しい戦闘になり、豊臣秀吉から、関係した八十三人がはりつけにされるという騒ぎになった。その時、それぞれの村を代表して処刑されたのは、村の庄屋ではなく、村に養われていた乞食たちが身代わりにされた。乞食たちは身代わりの代償に、村中での身分の扱いを高めて末代までの生活保障を要求したという。このように中世の村は、いざというときの身代わりのための「犠牲の子羊」を普段から村で養っていた。その多くは名字もなく、普段は村の集まりにも入れない、乞食などの身分の低い人々や、牢人と呼ばれた流れ者たちであったらしい。この背景を見ると「村八分」という言葉が非常にインパクトがあるように思えてくる。

 また興味深いのは、村で盗難が起こった時、これを投票によって決めていたという。これを「入れ札」というのだが、あの人が怪しいといって投票するのである。これは百姓のみならずその小作人も投票して、札が多く集まった者は村から追放されるというのだが、なんともすさまじい掟である。逆にいうと村を常に戦う集団として位置づけるための戦略であったのかもしれない。国の末端組織の村であるが、その生命維持装置はただものではない。