読書日記

いろいろな本のレビュー

ネオ・チャイナ  エヴァン・オズノス 白水社

2015-12-05 14:04:12 | Weblog
 人口13億の大国中国は、共産党が支配する大国である。ところが最近の格差社会、環境汚染、民族問題等を見ても非常にそのかじ取りが難しくなってきている。本来、共産主義は人民皆平等で、すべてに幸福感を与えるのを第一義としているが、現状はまったく逆である。かつて小平は遅れた中国を見て、これではだめだ、経済を自由主義化して,まず富めることのできる者が富んで、それからだんだんと貧しいものが富めるようにすればよいという「先富論」を掲げて、経済の自由化を導入して、国民の生活レベルを上げようとした。ところが富める者はますます富み、内陸の農民をはじめとする貧しいものはますます貧しくなるという結果になった。この状況を打破するために、共産党指導部は腐心しているわけだが、国民は豊かな自由主義経済の洗礼を受けた結果、共産主義でもって一元支配することの理不尽を悟ってしまった感がある。このネット社会で西側の情報を遮断することは困難だが、党は莫大な費用をかけてコントロールしている。でも、それも段々と不可能になりつつある。その中で庶民は、政治よりも経済優先、お金があればなんでもできるという拝金主義に冒され、地位利用の汚職が蔓延し、党内外に腐敗がはびこる社会となった。等しからざるを憂う共産主義とまったく違う社会が現出しているのである。
 その中で、人々はどのような考えでこの社会を生きているのだろうか。それを考察したのが本書である。本書には体制内外で活躍する人物に焦点を当てて中国社会の現状を浮き彫りにして見せる。登場人物を紹介すると、林毅夫は金門島(台湾)から大陸側に泳いで渡り、中国に亡命した世界銀行の元チーフエコニミスト。胡舒立はスクープを連発し、政府批判も厭わない『財経』元編集長。唐傑は、自身が作成した愛国主義的なネット動画が絶大な人気を博した大学院生。韓寒は、若者の圧倒的な人気を集め、一躍時代の寵児となった新進作家。艾未未は、四川大地震で倒壊した後者の下敷きとなった児童たちの被害状況を調査し、当局の責任追及に奔走した芸術家・建築家。劉暁波は、天安門事件後も国内で民主化運動を続け、ノーベル平和賞を受賞した人権活動家。陳光誠は、決死の脱出行で自宅軟禁を逃れ、アメリカに保護された「裸足の弁護士」。他多数の人間が登場し、各自のものがたりを紡いでいく中で。現代の「共産主義社会」に生きることの意味を問いかける構図になっている。読み物として大変面白い。
 例えば、中国高速鉄道のトップであった劉志軍は叩き上げの苦労人で、権力を握るや新幹線をスピード第一というポリシーで作っていった。異論を差し挟む人間を無視して、自分の思う通りに王国を築いて行った。その中であの温州の事故が起こった。鉄道部の監督機関は鉄道部自身であり、チェック体制は事実上昨日していなかった。事故後、鉄道部は指導部によって解散させられた。このような組織のありようは他にもたくさんあって、これが指導部の苦慮するところであろう。その最大のものが人民解放軍であろう。
 また前出の唐傑は、著者に次のように言ったという、「すべてのことが一つの方向に向かっているんです。米国という方向にね。それが主流の見方だし、そこに異論を唱えられるという雰囲気ではないんです。経済学でも、法学でも、ジャーナリズムでも、あらゆるものが米国がやっているようにしなくっちゃいけないと言うんです。それが一般的な考えになってしまっているんですよ」と。これは政府の大半も口にしていることらしい。そして「改革開放が国策となって以来、、政府の役人のほとんどは改革支持派ですし、それに代わる見方を受け入れることは難しいのでしょう」とも語っている。それで腑に落ちた。習近平の娘はハーバード大学に留学していたし、幹部の子どももほとんどがアメリカの大学に留学している。また一旦ことあらば、逃げる先はアメリカで、そこに汚職で貯めた大金を預けているのだ。中国人にとってアメリカは理想郷で、ここと戦争しようなどとはつゆほども思っていないのである。
 しからば、台湾統合を機に自由主義国家になればよいのである。指導部はそれを本気で考えるべきだ。