読書日記

いろいろな本のレビュー

「中国」という神話 楊海英 文春新書

2018-04-04 10:06:28 | Weblog
 副題は「習近平『偉大なる中華民族』のウソ」である。著者は中国・内モンゴル出身の文化人類学者で日本国籍を取得し、現在静岡大学教授。文革時代にモンゴル人の同胞がソ連のスパイという嫌疑で「漢民族」から弾圧を受けた実情を『墓標なき草原ー内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店)に記している。現在、チベット・新疆ウイグル・内モンゴルという中国の辺境にある異民族地帯を、中国は帝国の領土として分離独立を認めず、弾圧を加えている。その強権的な姿勢の中で、習近平は「中華民族の偉大なる復興」をスローガンにして人気取りに腐心しているが、これは壮大な絵空事であるということを自身の体験を踏まえて証明したのが本書である。
 歴史的に見て、中国歴代の王朝は周辺の遊牧民族の侵入に頭を悩ませてきた。「万里の長城」はその苦闘を物語るモニュメントと言える。中華思想からいうと周辺の遊牧民は「蛮族」であり、「蛮族」から学ぶべきものは何もないというのが彼らのスタンスだ。「蛮族」に対する懐柔策として有名なのが「王昭君」の物語で、出典は『漢書』9の元帝紀と94下の匈奴伝である。そこには、匈奴の呼韓邪単于に後宮の王檣(字は昭君)を嫁がせたこと、単于に嫁ぎ、一男二女を生んだことが書かれているだけで、物語化されるのは晋の葛洪の『西京雑記』においてである。美貌を恃んで宮人画工の毛延寿に賄賂を渡さなかったばかりに醜く描かれた王昭君が匈奴に嫁がされてしまうという例の話である。著者は言う、この頃の中国の知識人たちは彼女を「可哀そうな、悲劇的な女性」だと思い描くようになった。琵琶という楽器を抱えて、泣きながら「野蛮人」に連れて行かれたストーリーを作ったのだと。そして今日、匈奴をモンゴル人の祖先だと見なす中国人は王昭君の「名誉を回復」し、彼女を「民族団結のシンボル」だと位置づけるように変わった。彼女の偉大さは、「野蛮な胡俗」であるレヴィレート婚(死亡した夫の代わりにその兄弟が結婚する習慣)の「屈辱」に耐え抜いて、漢と匈奴=中国人とモンゴル人との「平和と友好」をもたらしたことにあるとされている。そこには、中国を「か弱い女性=犠牲者」、匈奴を「強い男性=加害者」になぞらえる政治的なシンボル操作がうかがえると。これは植民地支配の常套手段で、愛国教育の名のもとに子どもにたたき込んでいけば真実となる。中国では連環画という幼児書で歴史の故事から革命の物語、外国の有名な文学作品や科学知識の普及を意図したものなど、多岐にわたって行なわれている。王昭君の話なども連環画で子どもに読ませているのだろう。このような形で異民族支配を実行しているが、漢人の目に余る拝金主義がこの異民族融和の文化政策を雲散霧消させているのが現状である。あまりにも欲どしいのだ。
 また中華民族の復興にはチンギスハンの元帝国が実現した広大な領土の回復というのがある。いま海洋進出に躍起になっているのを見てもわかる。しかし元はモンゴル人の王朝で、それを中華の帝国と言うには無理がある。しかし中国人はジンギスハンをモンゴル人から切り離して、中国の英雄として利用しようとしていると著者は言う。無理筋の話も真実めかして外交に活かす、それが「一帯一路」戦略だ。内陸アジアを取り込もうとする戦略だが、チベット・新疆ウイグル・内モンゴルは民衆との軋轢が深刻で、著者はこれを「中国最大のアキレス腱」だと言っている。これらの地域の支配統治に正義はなく、たとえ力で抑え込んでもその反作用の力が暴発して、習近平政権の足元を掬う危険性がある。そうなると腐敗撲滅運動もすっかり色あせてしまうだろう。