読書日記

いろいろな本のレビュー

夫・車谷長吉 高橋順子 文藝春秋

2017-06-17 08:53:32 | Weblog
 2015年5月17日に車谷長吉は亡くなった。妻の順子氏によると、いつもの夫婦での散歩の途中、車谷が300円を夫人に貰い、それでコンビニでキリンラガーを買い、先に帰った。夫人が帰宅すると車谷が倒れていた。救急車で搬送されるもそのまま死亡。医者は「誤嚥性窒息死です」と夫人に告げた。ビールの当てに解凍した生のイカを丸のまま呑み込んでしまったのだ。あっけない死であった。享年69歳。
 本書は二人の出会いから結婚、死別までの20年間の歴史を夫人が回想したもの。小説家の夫のことを書いたものとしては、高橋和巳の夫人であった高橋たか子氏の「高橋和巳の思い出」が有名だが、その中でたか子氏は「高橋和巳は自閉症の狂人だった」と書いて話題になった。なるほどあの観念的で重厚な小説を書く人物は多分そうなんだろうなと納得させるものがあった。
 本書にも車谷が強迫神経症で苦しんだことがつぶさに語られており、あの「究極の私小説家」が身を削って言葉を紡ぎ出していたことがよくわかった。二人が知り合うきっかけは、順子氏が「マリー・クレール」1988年5月号に発表した「木肌が少しあたたかいとき」を車谷が読んで、感銘を受け、順子氏に絵手紙を送ったのが最初だった。夫人によると車谷は詩の第四連「街が近づいてきて お近づきのしるしのように雨が降った 雨に流されたのは 殉教風の恋人でした」の「殉教風の恋人でした」が気に入ったらしい。絵手紙は太字のかな書き(ひらがな・カタカナ)で独特のものだ。個人的な感想を臆面もなく書きつづっており、普通なら相手にされないが、詩人の順子氏には何か心にヒットするものがあったのだろう。これが縁で結婚するのだから誠に「縁は奇なもの、味なもの」である。
 車谷は身内の出来事をあれこれ書き散らしてトラブルメーカーになっていたが、知人・友人の事も断りなしに書いて、訴訟になる場合もあった。逆に言うと事実の中に真実があるという小説観なのだろう。播州姫路をバックボーンとして生まれた異才をその死まで見守り続けた夫人はまさにビーナスといえるだろう。