読書日記

いろいろな本のレビュー

日本の大問題 養老孟司・藻谷浩介 中央公論新社

2016-09-19 10:18:18 | Weblog
 養老氏と言えば、今ではこの国の御意見番という感じで、その絶妙のバランス感覚でメディアの信頼が厚い。本書は藻谷氏との対談だが、最初の60ページ余りは「長めのプロローグ」とあり、養老氏の教育論が述べられている。氏曰く、今の学校教育を変えるかどうかで言えば、基本的に変えなくてもよい。ただ昔と違って、現代の子どもは学校から帰ったら野山を走り回り、暴れまわる子どもではないし、親の価値観もすっかり違っているので、その変化に対応していくのが難しい。しかし、子どもは、妙に人為的な小賢しいことをして教育するよりは、自然に触れさせておく方が伸びていくという確信がある。解剖なら人体と格闘させておくのが一番いい。そうすれば、いろいろなノウハウを自分で覚えていく。教育の怖いところであり、おもしろいところは、どんなやり方でも、それに適合する人と不適合の人が出ることだ。教育のやり方によって、適合する人不適合の人が違ってくるということだ。もともとできる子にはあまり教えない方がいい。中くらいの子や、一生懸命についてくる子には、徹底的に教えた方がよい。そして場を与えて、自分の手で何かをやらせれば、学生は勝手に学んでいく。その場を与えるのが教師の最大の役目で、自分で修業する場を作ってやるのが教育の仕事だと。
 「場」を与えるというのは大変重要なことで、学校生活のいろんな局面で、子どもに考えさせることの重要性を指摘されているのだと思う。勉強だけでなく。ところが、最近の教育は功利主義・成果主義がはびこっていて、教育が商品売買のアナロジーで論じられるのが普通になっている。それにメディアも有名大学志向を煽る(テレビで有名大学出の芸人が知識をひけらかすクイズ番組を見よ)ので、この流れに抗って新地平を切り開くことは可能なのかどうか。なかなか難しい。
 藻谷氏との対談では、現在をどう生きるかという副題に沿った問題が議論される。藻谷氏は養老氏の心酔者という感じで、イニシアチブをとっているのは養老氏で、私の印象に残ったのはすべて氏の発言だった。曰く、僕の経験で言えば、学生運動の激化した時に逃げ出した連中は、その後碌な目にあっていない。その場は逃げ出せてもいずれもっと大きな問題にぶつかる。難局に際して学ぶ意志がない人間は駄目だ。また曰く、実際には確固とした人間の本質があるのではなく、状況次第で性善にも性悪にもなる。脳はそういう状況に適応していく。戦場などの極限状況での食人はそのように考えるべきだと。性善説、性悪説は近代には、「ジキル博士とハイド氏」で善悪併存説に収斂されたが、ヒトラー、スターリン、毛沢東などの独裁者の脳はどういう構造だったのだろうか。彼ら所行をみると、心に善なる要素はないように思えるが。