読書日記

いろいろな本のレビュー

春宵十話 岡 潔 角川ソフイア文庫

2016-04-15 09:41:49 | Weblog
「春宵十話」以外に「春風夏雨」「夜雨の声」「風蘭」「一葉舟」(いずれも角川ソフイア文庫)も読んだ。最近岡の本が復刻されて静かな人気を呼んでいるらしい。岡潔(1901~1978)は数学者で、世界的難問とされた「多変数解析関数論」で高い業績をあげて、1960年に文化勲章を受章後、新聞等に文章を発表し始めた。それが冒頭の本にまとめられた。没後40年近くなるが、述べている内容は全然古びていない。岡は純粋に学問に専念した人で、地位や名誉とは全く無縁だったことが、まず尊敬に値する。京大卒業後フランスに留学し、帰国後広島文理大(現広島大)の助教授となったが、1938年に助教授の職を辞して、故郷の和歌山県の紀見村(現橋本市)に移住して、農業の傍ら数学研究に没頭した。その間妻子を養うために土地を売りながらの日々だった。利益・打算とは無縁の人である。だからこそ人々の共感を得るのだろう。
 岡曰く、数学は百姓に似ている。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。これに比べて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理は1920年代から急速に発展してわずか30年足らずで1945年には原爆を完成して広島に落とした。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。一体30年で何がわかるだろうか。わけもわからず原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかっていまいと。なかなか強烈な批判である。物理学者でさえ原爆の意味がわかっていないのだから、ましてそれを行使する政治家がわかっていないのは当然だろう。核をめぐる昨今の世界状況を岡が見たらどう言うだろうか。岡は憂国・愛国の士というイメージが強いが、それも純粋で一途なもので、悪意はない。フランス留学時に満州事変が起こり、岡は日本人として非難の的になったが、彼はこれで日本は破滅の道へ進むだろう。国家としての滅亡も近いと確信した。そして中国に事変勃発の日を国辱記念日として意識させたことは将来に禍根を残すだろうと述べている。非常に正確な分析をしており。70年後の日中関係を予言している。
 この岡が重要視しているのが「情緒」で、それは大脳前頭葉の働きによるのだという。数学者が「情緒」を説くのは意外だが、これが人間を人間たらしめるものであると言う。情緒の中心をまとめているものを仮に愛と呼ぶことにして、ここから無明(小我的なもの)を取り除いて純粋(大我的なもの)にしていかなければならない。それによって愛の中で慈悲心が大事だということが分かってくると言う。だから、岡にとっては日本国憲法の前文で基本的人権を守り、個人を尊重すると言っているのは我慢できなかったようだ。次のように言う、小我観のよい例は日本国憲法前文である。小我が個人であることが万代不易の真理だと明記している。そしてその上に永遠の理想を、しかも法律的にであろうと思うが、建てることができると言っている。何という荒唐無稽な主張であろう。(中略)何よりも一番恐ろしいことは、教育がこの「前文」に同調して、小我は君だから、これに基本的人権を与えて大切にせよ、と教え始めたことであって、各人は無明という限りなく恐ろしい爆弾を抱いているという事実を全く無視してしまったのである。その結果は誰の目にもすでにしるきものがあると思う。
 最近の世の中のモラルの低下と拝金主義は目を覆うものがあるが、岡の言はそれを言い当てている。自民党の憲法草案にも、「私」を抑制して「公」に奉仕せよ。「権利」ばかり主張せず「義務」も果たせ。そのために家族を大切にせよと言った文言が並んでいるが、ひょっとして岡の著作を参考にしたのではあるまいか。しかし、岡の発言は、国を思う純粋な真情の吐露であり、ただの右翼ではない。そのような勢力に利用させないためにも、岡の真意をくみ取ることが大切だ。