読書日記

いろいろな本のレビュー

反知性主義 森本あんり 新潮選書

2016-01-25 08:52:20 | Weblog
 最近「反知性主義」を脱却しようと言って、読書の効用を謳って、本の宣伝をしているのを見かける。これは本を読まない大学生を意識しているものと思われる。また政治家に教養が無く、テレビが品のないお笑番組ばかりであることを指して「反知性」と言っているようだが、著者によると、そうではないらしい。「反知性主義」とは、知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか、自分の権威を不当に拡大使用していないか、そのことを敏感にチェックしようとするものだと述べている。
 著者によれば、「反知性主義」が生まれたのは、ニューイングランドにピューリタンが入植したことから始まる。入植者の中の牧師の多くはケンブリッジ大学やオックスフオード大学出身で、大卒でなければ牧師になれないという風潮があった。これは何故かというと、ピューリタリズムはもともと説教運動として出発し、教会では一般信徒に自分で聖書を読むことを奨励する。「教会の教えではなく聖書の教えに立ち返れ」というルターの宗教改革の先鋭がピューリタリズムである。その影響で、牧師には聖書の解釈と解説の高い能力が求められた。ハーバード、イェール、プリンストンといったアメリカを代表する大学は、こうした任務に就くピュ-リタン牧師を養成することを第一の目的として設立された大学である。これらの牧師が高度に知性的な社会の頂点に立ってリゴリスティックな日常を支配するのだが、老若男女を含む社会全体がそういう知的統制に服したままでいるということはありえず、そこに「反知性主義」の芽生えがある。
 「神の前では万人が平等だ」という極めてラディカルな宗教的原理が頭をもたげて来て、これが信仰復興運動に繋がり、メガチャーチの隆盛へと繋がっていく。その代表として1935年に72歳で亡くなったビリー・サンデーをあげている。彼は大リーガーとして8年プレーした後、キリスト教の伝道士になった。極貧の生まれで学校教育はほとんど受けていなかったが、知性を笠に着た権威主義に対抗する型破りな説教で絶大な人気を博し、「反知性主義」の旗手として歴史に名を残した。
 この権威主義からの脱却はアメリカにおいてさまざまな影響をもたらしている。それは、宗教とは困難に打ち勝ってこの世における成功をもたらす手段であり、有用な自己啓発の道具であるというもの。かくして、宗教的訓練はビジネスの手段となる。ビジネスで成功したければ、しっかりした信仰を持つ。それが自身を道徳的・人格的に高め、そして金持ちにしてくれる。信仰がこの世の成功を保証してくれるというレトリックである。これが「ポジティブ思考」隆盛のもとになった。宗教国家アメリカの実態はこうだったのかと腑に落ちた。
 この「反知性主義」の歴史を読むと、今のアメリカが大変よくわかる。是非一読されることを願う。