読書日記

いろいろな本のレビュー

儒教と中国  渡邉義浩  講談社選書メチエ

2011-04-09 09:05:37 | Weblog
 儒教とは、儒家の教説の総称で、その中心となる経典解釈は経学と呼ばれる。従来、儒家の教説の側面が強調され過ぎてその宗教性が軽視されてきたが、夙に加地伸行氏が『儒教とは何か』(中公新書 1990)で、儒教は死と深く結びついた宗教であり、孔子の出自は送葬集団に求められ、その影響は現代日本の生活の隅々に及んでいることを説かれている。因みに、孔子についてもいろいろ評価があり、『孔子伝』も聖人から一介の匹夫までいろいろである。
 孔子は春秋時代末期を、周の伝統を受け継ぐ魯に生きて詩書を学ぶことを通じて、周代の礼楽の復興を唱えた。司馬遷の『史記』では、孔子が六経(詩・書・春秋・易・礼・楽という六つの基本となる教典)すべてを編纂したと伝えるが、『詩経』と『尚書』に孔子が整理を加えた可能性はあるが、その他の関与については疑問視されている。この中で「楽」を除いた『詩経』『書経』『春秋』『易経』『礼記』は五経と呼ばれ、『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書とともに儒教の経典となっている。
 著者は東洋史の研究者で最近『後漢書』の全訳を出すなど目覚ましい活躍ぶりであるが、儒教そのものの分析はせず、これが国家宗教となった歴史的変遷を『春秋』三伝、すなわち『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』の分析をもとに述べている。国教化とは以上の古典を解釈して思想を政治理論化して為政者が政治を行ない、儒教の礼説で国家祭祀が実行されることで、儒教の寺院が国中に建てられることではない。したがって文化政策の様相を呈することになる。これが仏教と違うところである。儒教の宗教性が軽視された所以である。
 著者曰く、「中国の君主は漢代以後、皇帝と天子という二つの称号を持つ。皇帝は、祖先を祭祀するときの君主の自称であり、天子は、天地を祭るときの自称である。中国の君主は、中国を実力で支配する皇帝の持つ権力と聖なる天子の支配という権威との両面に、その支配の正統性を置き、それぞれに応じた二つの称号を使い分けていたのである」と。儒教の特質がよくわかる説明である。また中華と夷荻という区分、何が正統かなど、中国の政治思想の原型が詳しく説かれており大変参考になる。