忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

戦争をやめろと叫べない叫び

2017-08-21 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.16 地方紙1面下段コラムより

[ 「憲兵の怒気らんらんと廓は夏」新木端夫、1940年2月14日検挙、釈放。「戦争をやめろと叫べない叫びをあげている舞台だ」栗林一石路、1941年2月5日検挙、懲役2年…。戦争と俳句と弾圧―結びつかない字面の冷徹。
 ▲戦時下の40~43年、治安維持法によって俳人40人以上が「反体制」の角で検挙された。世に言う「新興(昭和)俳句弾圧事件」。戦後72年、新たに「共謀罪」法が施行された今、その苦難を忘れず表現の自由を守ろうと「俳句弾圧不忘の碑」建立計画が始動した。
 ▲予定地は長野の「無言館」近辺。そう聞いて、小高い丘にたたずむ十字架形の建物を訪ねた20年前の夏を思い出した。戦没が学生の慰霊美術館には未完の、だが描く喜びにあふれた絵、絵。
 ▲パリ留学を夢見ながら26歳で命を絶たれた中川勝吉さん(明浜)、尾田龍馬さん(享年25、宇和島)らの絵も「あのつらかったこと、言葉になりません」。ぽつぽつと語ってくれた遺族の無念が、もう一つの「命」である作品を守り、残すことでわずかでも癒えることを願う。
 ▲「無言館泥濘にジャングルに死せり」金子兜太。今年会館20年、140万人が訪れた。碑建立の呼びかけ人でもある管主窪島誠一郎さんや金子さんの「不忘」の思いと作品の輝きが、静かに雄弁に平和を問い続ける。
 ▲今日は、亡き人が空へ帰ってゆく送リ盆。「不忘の碑」は残された人の、それぞれの胸に。]

 ( 忘却への扉 ) 正岡子規や高浜虚子の出身地でもある愛媛県は俳句に関心が深い。松山で毎年夏に、高校生を対象とする俳句選手権大会で全国から選ばれた学生たちが集まり開催される。
 ただ、俳句を競うだけでなく、俳句の意味するところを男女高校生たちが熱く語り合う。その答弁も含め勝負は決するのだ。
 平和であればこその17音の言葉のつながりを表す俳句。その俳句さえ、戦時中には治安維持法(現共謀罪)の監視対象とされ、俳句弾圧事件があったことをやっと知る。
 戦没画学生の慰霊美術館である「無言館」の絵画や話は報道などで見聞きしていたが、これもあって当然なのに愛媛県人名は知らずに来た。「無言館」近辺に「俳句弾圧不忘の碑」建立計画始動、戦争へとひた走る安倍政権暴走に釘を打つためにも、遅くはない。 


腹巻きが必要?

2017-08-20 | 日々

 短足が個性なのは私も同じ。だが、ダックスフンドは長身が加わる。よく見かけていた猟犬のミニチュアダックスフンドを思い出す。あなぐまや狸の巣穴に潜り込み相手を負かすだけでなく、猪にも勝負を挑む。なのに人なつっこい。
 だが、写真はペット犬。食べ過ぎと運動不足か太り気味。巣穴に潜れば出れないぞ。肌艶の良い小柄な猟犬に比べ、毛がふさふさで、一回り大きい。


限界集落 点在

2017-08-19 | 共に

 来るたびに生活の気配のない家屋が増えている。農作業をす売る姿やトラック、庭に干された洗濯物があればほっとする。
 時に見かける県道沿いや庭に止った自家用車は、盆休みを利用しての帰郷だろうか。親たちが暮らしていればこそ、子どもたちが孫を連れ帰れる場所が維持できる。
 「一代限り」との言葉をよく耳にする。国策による少子化の人口減少を推し進める日本の危うさ。老老介護の限界を感じ、山里を出た人から話を聞く。
 「町に家を買いリホームして、妻と私自身の病気のために、病院へも通っているがどちらか一方が駄目になれば終わりよ」。と 自身の通院でも片道2時間?の距離。体力的にも無理がある。もう、疲れた。」
 「子どもたちが県内の数10㌔内にいて、顔を覗かせ手伝ってもくれるので助かっている」「いっしょに暮さないかと言ってはみるが、『仕事がないし原発はある…』、わしらの代で家も空き家よ。まあ、しかたないな」。
 まだ、町に住む人たちは隣近所や買い物をする店に、バスも通っているのでよい。ドライブ先で見かける空き家や廃園と廃屋の点在する集落となると、へき地ではなく限界集落。どういう暮らしをしているのか不思議に思う。
 買い物や通院もままならない状況。運転免許証返納をとは考えても代わりの手段が必要だ。一代限りはその地域での居住と暮らし、故郷が無くなるだけでなく、子孫が途絶えるということ。国の政治屋たちには他人事、どういう意味か考えもしないだろう。


戦争に行くのは、俺たちだと小学生怒る

2017-08-18 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.14 地方紙1面下段コラムより

[ 数年前の41歳の誕生日、ずっと抱えていた不安がわずかに薄らいだ。「これで、戦争が起こっても兵隊に取られることはない」と。
 ▲戦中、兵役対象は17~40歳。終戦時、20~40歳の男性で軍隊に籍があったのは6割に上った。兵役は、これほどに多くの人に免れ得ないものだった。
 ▲今は亡き母方の祖父は、天皇を警護する近衛師団に属した。天皇が神とされていた時代。戦後も「誇り」にしていたという。
 ▲一方井、父方の祖父は軍隊経験がない。背が低かったからと聞いていたが、昨年になり違う理由だったと知った。家族が多く、生活が苦しかったことを、役場の担当者が配慮してくれたという。命をつなげたことに安堵(あんど)しつつも「お国のため」に戦地に行けないつらさがあったかもしれないと、自らは語らなかった背中を思い出す。
 ▲作家の松本清張さんは逆に、恣意(しい)的に兵役に就かされた。森史郎さんの「松本清張への召集令状」(文春新書)によると、34歳で招集されたときは虚弱体質で、家族持ちの自分がなぜ、と不振に感じた。軍事訓練に熱心でなかった懲罰だったと、後に気付く。戦時下、庶民の運命は国家の思惑に左右された。
 ▲安倍政権が3年前、集団的自衛権行使を容認する閣議決定をしたとき、ある小学生が怒りの声をあげた。「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。平和憲法の下、徴兵されるかもという心配を子どもにさせる、政治の責任を思う。]

 ( 忘却への扉 ) 兵役対象の40歳間では、とっくの昔に過ぎたが[兵隊に取られることはない]との安心感など虚構に過ぎない現代。
 先の侵略戦争終戦から72年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京で開かれた。その日の新聞1面には【 揺らぐ「不戦」堅持 】 【 首相 加害責任ふれず 】 【 終戦72年 安保法運用や改憲現実味 】の大きな題字。
 父は病気で徴兵試験に落ち兵役は免れたが、朝鮮北部で仕事をした。本土でも防火訓練を指揮したとか聞いたが、本人に戦時中のことは一度も聞くことはなかった。
 「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。小学生の言うように、戦争をする国にする政治屋たちは、戦地に行くことなどなく、安全が補償されている。なのに戦争法や憲法改悪までとは無責任で卑怯だ。戦争をそれほどしたいならば、自分たちや家族が軍隊で訓練し、戦争に行けばいいのだ。
 私自身は兵役にとられなくても、孫たちとその子供たちの将来の非戦の平和を守る責任があると思う。そのためにも戦争をする軍隊を認めない日本国憲法を守る。


国民だましの添加物たっぷり

2017-08-17 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.8 地方紙1面下段コラムより

[ 梅干しが一つあれば、ご飯がどんどん進む。弁当でもおなじみだが、ご飯を詰めた弁当箱の真ん中に、梅干し一つ置いただけの日の丸弁当は、今ではほとんど見られなくなった。
 ▲国策で、この弁当が奨励された時代があった。1939年、毎月1日が戦場の労苦をしのぶ興亜奉公日と定められ、この日は日の丸弁当。戦意を高め、質素を心掛けるために。
 ▲戦況が悪化した戦争末期、コメは貴重品となり、それさえ食べれなくなった。戦中派にとって、当時の食生活は思い出したくないつらい記憶。
 ▲行政でよく問題になるのが「のり弁」。情報公開請求に対し、かなりの部分を非公開だとして黒く塗った文書を出す。先日、小池百合子都知事の講演を聴いた。情報公開徹底へ「のり弁から、日の丸弁当へ」と職員に指示しているという。梅干しに例えた非公開部分は、個人情報など最低限。
 ▲獣医学部新設を巡る今治市の文書で、その「梅干し」に注目が集まる。市職員が2年前に官邸で面会した相手を明らかにしてほしいとの、内閣府の問い合わせに、市は「業務に支障が生じる恐れがあり、答えられない」。記憶を残していないとする国が、公務で会った国の職員名を訪ねている今回、通常の個人情報とは事情が違うはずだが。
 ▲稲作農家が誇らしげに言う。「いいコメは、ご飯だけで食べるのが一番おいしい」。行政が情報公開で目指すのは、銀シャリ弁当であってほしい。]

 ( 忘却への扉 ) 子どもの頃自家製の梅干しは食べたが、日の丸弁当は食べれなかった。農家なのに水害で田んぼを流され、コメではなく麦が主食のわが家だった。
 だが、当時の食生活がつらい記憶はない。食べる物があれば、雑穀でもさつまいもでも山の木の実もごちそうさまだった。
 母は満足に栄養のあるものを食べさせることができなかったと、やせた体の私にした責任を感じ悔やんでいた。戦中、食べ物が貴重になった戦地でも、兵士は苦労しても、上官たちは贅沢だったとの食い物のうらみ話はよく聞いた。
 大手のコンビニでおにぎりをよく買って食べるが、美味しいコメと黒い焼きのりで巻かれている、でも食品添加物はったっぷりでごまかした味。国家もどっぷり戦争へと共謀罪や情報隠しなど重なり、慣れを恐れる。


いまでも苦しんでいる

2017-08-16 | 平和を

 【 防げない放射能 伝えていきたい 】 u i 女子( 13 )

 「あの時代は殺すか、殺されるか」。私はこの言葉を聞いて胸が苦しくなりました。被爆者の方のお話の中に出てきた言葉です。その方は涙ながらに自分のつらい過去を語ってくれました。戦争中の暮らしや原爆を落とされた瞬間についてでした。
 たくさんのお話を聞いて、私は被爆者の方に対し、原爆を落とされ70年以上たった今でもまだ苦しいのだなと思いました。原爆を落とされてすべてが終わったというのではないのです。あの時、被爆していまだにその後遺症に苦しんでいる人がいます。
 放射能は目に見えません。だから、防ぎようがなくてこわいなと感じます。私は被爆者の方のお話を聞いて、たくさん学びました。これから私は「伝える」という活動に力を入れたいです。この投稿を通して原爆について理解を求める人が一人でも増えますように。]
  《 こだま 読者の広場 【 ヤング落書き帳 】 伊方中学 広島での平和学習 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 広島と長崎への被爆破壊の状況を私が初めて知ったのは中学生の時、小さな図書室の記録写真集からだった。原爆ドームは、高校を卒業して仲間たちと出かけた視察旅行で立ち寄り、後に長崎の被爆地も訪れた。。
 高校生で戦争と平和に関する本を集め始めたが、伊方と言えば私にとっては身近な稼働中の核発電所のある場所。本棚には核の恐ろしさを示す原爆の本と共に原発の本が多数を占める。
 「防げない放射能」の危険は嫌だと、伊方核発電所誘致問題が起こる前から思ってきた。海を渡ればヒロシマだ。伊方の中学生たちも、東京電力福島第1原発の大事故で放射能が広範囲に振りまかれたことは記憶に焼き付いているはず。
 伊方は核発電所のある場所、電力製造に軍事兵器の原爆材料と同じ核でなく、環境破壊や汚染に安全・安心の他の選択肢をなぜ取らなかったのか。戦争と核電力どちらも一握りの人々の金儲けの貪欲な強引さ。


庶民から遠ざかる政治の世界

2017-08-15 | 平和を

 【 国会審議 国民をないがしろ 】 女性( 66・主婦 )

 ◇答弁をすればするほど不透明感は増すばかり。「言った」「言わない」「あった」「なかった」「記憶にない」こんな答弁ばかり。私たちは本当のことが知りたい。ただそれだけなのに、国会審議のありようは国民をあまりにもないがしろにしている。
 ◇一部の国会議員はどこまで厚顔無恥なのかと思ってしまう。政治の世界がこれほど庶民から遠く、別世界ものであってよいものだろうか。入れ代わり立ち代わり答弁に立つ面々を見ていると、原始的で素朴な疑問と感情が湧いてくる。「この人の言っていることは本当だろう」「この人は明らかにうそを言っている」などだ。しかし、これらを立証するすべがなく、そんな立場でもない私たち庶民は限りなくもやもやした隔靴搔痒(そうよう)の思いに耐え、結局は諦めさせられるのだろうか。
 ◇私たちの投じる一票一票によって国会議員は誕生しているはずなのに、どうにも納得がいかない。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 国会審議を見聞きしていると地方議会選挙の身近さを感じる。自民党系無所属が大多数を占めるとはいえ、まだ、小選挙区制でないだけ庶民の思いが反映される。
 票読みが難しく苦労したとの話を聞いた。当選してから第一歩が始まるとも…。地方選は日常の活動が大事、身近なだけに有権者も議員をよく見て次の選挙の指示不支持に生かす。
 それだけではなく、住民にとって生活がかかっていて噂話もすぐに広まるので、いつひっくり返るか分からない。
 国政選挙も地方選同様もっと身近に感じ、より将来を見据えた一票を有効に活用すべきだ。国会で多数を占める「厚顔無恥」で未熟者の政治屋など国政には不必要。落選させる権利を行使すればこの国も多少は良くなる。


違う意見も聞き、深い議論を

2017-08-14 | 共に

 【 加計問題 公権力の乱用では 】 今治市 男性( 17・高校生 )

 ◇米大統領のトランプ氏が自身に批判的であったキャスターを侮辱するニュースを見た。これは大統領という公人への批判に、私人として対応したものだ。公人としてのふるまいが求められる場で、私人としてふるまったのだ。同じようなことが形を変え日本でも存在している。それは学校法人「加計学園」の問題だ。
 ◇政府が否定しても、何らかのつながりがあったと思われる。これは公人として社会に供するために与えられた権力を、私人としての利益になるよう乱用したのではないか。また、強引な国会運営もそうだ。政治家は自身の信ずる理念を実現し、社会を良くしていこうとする人だ。だから、どんなものでも、それが社会を良くすると信じるなら大いに主張すればいい。
 ◇しかし、彼らは力を与えられた公人だ。自らと違う意見も聴き、深い議論をする義務がある。それを無視し、自分の意見だけを推し進めるなら、それは私人としてのわがままだ。今の日本はわがままが通る。それを許す私たちにも非はあるが、限界もある。都合よく公私を使い分ける政治家もいる。政治家には権力を持つ意味を理解し最低限の義務は果たしてほしい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 加計学園の獣医学部新設が大きな問題となっている今治市の男子高校生の投稿、次の投票権を得る有権者としての考えを頼もしく思う。
 米国大統領トランプ氏の公私混同する公人としてのふるまいを批判し、同じようなことが日本にもあると、「加計学園」問題を例に上げ関係政治家を批判していた。
 わがままを押し通す議員は「政治屋」であって「政治家」ではない。自らに不都合な質問は、知らんぷりして平気で、議論も無視し逃げるが勝ちとは情けない。日本の憲法は政治屋が権力を持つ自由を阻(はば)む。それが邪魔で、早急な憲法改悪を企てるのかと分かりやすい。 

 
 

 


あんたもわしらと一緒かな

2017-08-12 | 共に

 小人数の真面目な会合だが、気の知れた仲間で合間には冗談も飛び交う。他県や市町村の人々を含めた地区の大会開催を手伝った知人。「あんたも(わしらと)一緒かな?」と尋ねられたと、そばに居た友人が「この人は、わしらより怖いぞ」と言うがぜよと。私たちは「うん、確かに人を見る目がある」とそろって笑う。
 知人も普段から気の許せる仲間付き合いができるやつと、認められているから頼まれたのには違いない。同和教育か被差別問題、言い方は異なっても、人権(人間が人間らしく生きるために生来持っている権利)には私も関心があり、集会や学習会などにはよく気楽に出かけてきた。
 「食事になって一緒に食べるの、かまんか」「と言うけん何のことかと思たら、一緒に食べるのを嫌がる人がいるらしい」。気遣いの言葉には「今でもそんなことあるんか」と驚いた。
 政権が格差社会で差別を計画的に生み出すこの国。共にいっしょと感じることにも気を使わねばならない現実。
 『』という呼び名は昔から地区割の区分を○○で表し共有していた。遊びにも行き仕事で出かけることも、付き合いもあり身近な感覚もある。
 食事では以前このブログにも書いたが、朝鮮からの労働者宅で仕事をすませた後、酒とご飯をごちそうになったことがある。酒は、目の前で封を切り栓を開けたもの。食べ物はすぐそばの台所で作られた心のこもったもの。
 なのに、その家のご主人「汚くないですから、どうぞ食べてください」を何回繰り返したことか。どんなに多くの日本人から差別に蔑視を受けてきたことかと私の方が心苦しくなった。