忘却への扉

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日本が負けた安心感

2017-08-22 | 平和を

 【 国民欺いた惨禍 もう二度と 】 松山市 男性( 78・無職 )

 ◇戦後72年たち、戦争体験を語れる人も少なくなった。当時6歳の私は空襲警報のサイレンが鳴るたびに学校から逃げかえり、防空壕(ごう)へ避難した。上空はB29が飛んでいて、とても怖かった。
 ◇昭和20年8月15日にラジオから玉音放送が流れると、祖父が「日本は負けた。戦争は終わった」とつぶやいた。子どもの私でも、祖父の表情には悲しみと安堵(あんど)が見て取れた。私が4歳の時、出兵した父はパプアニューギニアで戦死し、白木の箱になって帰ってきた。父との思い出はほとんどないが、父の最後を知りたくて13年前に父の眠る戦地を尋ねた。そこで収集した貝殻を今も大切にしている。
 ◇世界を巻き込んだ戦争では多くの都市が灰じんに帰し、310万人もの日本人の尊い命が失われた。いったい何のための戦争だったのだろうか。太平洋戦争は一部の軍人や政治家と国民を欺き、起こした悲劇の歴史であると思う。戦争の惨禍を教訓として二度と戦争をしてはならない。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 神風が吹き敵を壊滅させると、神国日本の現人神である天皇の力を信じさせられていた国民たち。だが、日本は無謀な戦争に敗北し占領された。
 見上げれば米軍のグラマン戦闘機の翼の星マーク、がはっきり分かる山すれすれをわがもの顔で飛ぶ。畑仕事中の祖父の「見るな!知らん顔していろ!」のおびえた声に戦争の怖さを知った。
 「占領軍の放送が入るから短波放送は聞くな」と、ソニーの携帯ラジオを子どもたちのために買った父は注意した。家の中に米軍払い下げ?を購入したのか、日本製ではない品物がいくつかあった。
 軍国主義日本につながる品も幾らであり、親族たちも満州に朝鮮、インドシナ半島各地を体験している。もう直接話は聞けないが、子どもの頃から母がよく話してくれ、私も高校卒業後は本を集めるだけでなく、体験者に積極的に話しかけ聞いてきた。
 「絶対に戦争はダメだ」と近年、敗戦前に生まれた人からよく聞く。これは日本政府の戦争への歩み方を、体験しただけにきな臭さや軍靴の響きの異常さに危険さを強く感じているからだろう。


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