忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

花摘みに

2006-05-21 | 日々
 雨がよく降り始めた。。夏と秋の割り当て分まで使いきらないで欲しい。自然を頼りに生きているものにとって、雨も命との関わりなのだ。
 小雨なら少し濡れても心地よい季節になった。でも隠居から倉庫への細い通路は、草花が伸び過ぎ足元まで濡らす。
 早く軒下へと急いでいると、沢蟹に出会った。雨は平気なカニさんは傘もささずに片手に大きなハサミを持って花摘み兼ての散歩のようだ。邪魔をしないよう挨拶せずにすれ違違う。

読み終えて

2006-05-20 | 共に
 友人からの随筆集を読み終えた。気付かなかっただけかもしれないが、昨年まで数十年間出会うことはなかった。彼は自分史としても書き続けている、小冊子の数も多かった。一日一冊を楽しみに夜寝る前に読ませてもらう。
 共通点のある場所とか人や想いなどを次々とページの中に見付けるたびに、遠くにいた彼が身近になるのを感じる。
 知らなかった彼の歩いてきた道も見ることができた。仕事上の話など私たちに無関係ではなく、当事者の気持ちを知ることで見方が変わったこともある。
 彼が暮らした建物とそこに暮す家族などを見るたび、彼を思い出してはいた。でもその姿は遠い昔の面影でしかなかった。
 文章として現在進行形で一人の人生を知ることに、次第に無責任では読めないなとの気持ちにもなっていた。彼の随筆のとの出会いに感謝することは多い。

カエルが戻る

2006-05-19 | 共に
 今夜は早めに眠ろうと寝室に入る。外では二匹の蛙が鳴いている。雨蛙だろうか、その片方の声には少し軟らかさがある。
 さっきまでいた居間の外から聞こえていた別のカエルたちの、渋く重みのあるテレビの音の邪魔をする声とは違う。
 あれは昔この庭で幅を利かせていたカエルたちの子孫だろうか、数は少なくなっているが声は相変わらずでかい。うるさいけれど懐かしい声が戻ってきた嬉しさはある。
 部屋に入ってすぐ物音でもたてると、ピタリと蛙は鳴くのを止める。大きな耳のあるカエルを見たことは無いのに、敏感な聴力を不思議に思う。
 蛙の声に眠れないかと心配したが、ときおり鳴くのを休んくれてさほど気にせず眠ることができた。

在日とは

2006-05-18 | 平和を
 【在日】日韓朝の狭間に生きる 在日取材班 愛媛新聞社発行をやっと読み終えた。重さと身近さを感じている。[少女は問う――「朝鮮人が嫌いですか」 ともに暮らす地域の歩み・いま・これからを見つめる] と帯に書かれていた。
 近くて遠いのか遠くて近いのか、自分自身がどこにいるのか分からない。そんな気持ちは本を読んでも迷ってしまう。
 祖国が二つになっている在日コリアン。二世、三世、四世が多くなり、祖国や母国語を知らない世代や日本国籍を取得する人たちが増えてくる。
 在日コリアンであることを隠して生きなければ、暮らしにくい日本でもあるようだ。在日の人たちに対する差別意識がある。
 国籍法の改正で、夫婦のどちらかが日本人なら生まれてくる子は日本国籍とは果たして在日の人々の強い要望からだとも思えない。
 朝鮮半島を占領した日本は、その地の人々から祖国を奪い日本人として生きよと強制した。それを戦争に破れると、在日の日本人国籍をも取り上げ権利も奪った。再び日本国籍をと押し付ける?祖国への深い想いはどうなるのだろうか。

二人半にあった

2006-05-17 | 共に
 以前に同じ仕事場にいた人から電話で、気になる場所の事を知らせてもらった。その人が待っている訳ではない。すぐ出かけてその用件を済ませ帰ろうとすると、走って来た車が傍に停まった。
 運転席の窓が開いた。彼とも少し前までいっしょの仕事仲間だ。その後を聞いたが、マスコミなどが景気の上向きと宣伝するわりに庶民に厳しい状況に変わりないようだ。
 駄目も馴れてきたのか、以前より明るくなっているのでホッとする。話している側を散歩帰りの老夫婦が通り過ぎる。それをきっかけに彼の車も帰って行った。
 他人の空似かと、散歩の人を目で追う。離れた家の前で数人が立ち話中、やはりあの人だと声で分かる。話が終わりその人だけが残った。
 こちらに向って手を振り、近づいてくる。私も歩いて行く。ずうっと昔に上司だった人。話し掛けようと、引き返して来るのが嬉しい。
 歳はかなり上なのだが、同じに話のできる人。初めて出会った頃から、心の広さを感じていた。偶然のきっかけで、気分の良い再会が重なった。

本が届くが

2006-05-16 | 日々
 注文していた本が宅配で届いていた。一冊は出版元にファックスを送ればかなり安く手に入るのだがつい面倒で、もう一冊は書店で買った本の上巻だ。
 本屋で注文すれば良いのだが、近頃行くのが少々おっくうなった。行けば買わずにいられないから抑えてもいるが、やはり本屋の雰囲気が好きではある。
 だから我が家の一部屋も街の古本屋の雰囲気を真似ている・・・わけはない。ただ積み上げるのが無理になり、乱雑さが増しただけ。
 時間に余裕が無くなったのと、きれいになり過ぎて図書館に行く機会もゼロと言ってもよい程度。それより家の本さえ読めないままだ。
 なのにパソコンのスイッチを押せば、本を探せて内容や感想まで知ることもでき欲しい本が簡単に手に入る。利用はしているが、私がいつ何を購入したのか。どのようなことに関心を持っているのかまで、彼方の記録に残るのだ。本は自分の一面、覗かれている気がすることもある。

ツタの茎

2006-05-15 | 追憶
 幼稚園の頃から小学生になってもやっていた。いや大人になってもしたことがある。ツタの葉っぱを採り、その茎だけで遊んだ。
 茎の両端を親指と人差し指の先で押さえて、バネのように曲げたりくねくねさせた。両先を上下のまぶたにひっかけてギョロメにしたり、これは鏡などもってもいない自分には見えないこと。危険な感触を体験できる。
 大人に見つかると叱られることもあるから、こっそり秘密の遊び。ツタの茎はどれでもというわけにはいかない。目当てのを手に入れようと遠回り。
 村に古い病院があった。玄関近くの外壁に下の石垣から伸びたツタが張り付いている。見つからないように、身体を乗り出し手ごろなのを採った。
 余分にはいらない。1・2枚あれば十分で、1・2分も遊べば満足し嬉しさは持続した。ツタの葉っぱで楽しかった時代があった建物は、昨年先生は亡くなったが今も持ち堪えている。

汗に

2006-05-14 | 日々
 夜中に眠っていたのを起こされる。「汗かいてる。汗を拭いて、全部着替えて」せっかくたまに気持ち良く眠ることがあっても、目覚めさせてくれる。
 心地よい汗もあるのを分かってもらえない。夜中に洗濯物の注文まで取らなくても良いのにと思う、口には出せずに狸寝入りで誤魔化した。
 寒いのは苦手だが暑さは割りと平気。それに暑いのを我慢してまで布団に入り寝たりはしない。まだそれほどの季節でもない。病気の時の熱でかく汗なら心配もあるが、本人が気にならない汗なら人それぞれ量に違いがあってもいいだろう。
 次の晩は寝る前に注意を受けた。汗拭き用にと広いタオルも準備してあった。汗が気になり寝不足になりそう。
 汗をかかないようにと、布団から足など出して体温調節もしていたら少し冷え過ぎた。前日までは厚めの毛布を重ねていたのに、やはり暖かいほうがいい。

あおくび大根

2006-05-13 | 追憶
 [あなたの生活にメルヘンをお届けします。こんな大根見たことない 和を愛するあおくび大根とその仲間たちが東京下町を舞台に送るわびさびな日々]帯の文そのものを感じる。
 【あおくび大根】著者・山崎健・メディアファクトリー発行のマンガ本を読んだ。ふざけてる、でもほんとにメルヘンがあるマンガだ。
 手足の付いた大根が主人公なのに違和感がないのは、身近な野菜だからだろうか。このような大根を見たことがある。
 子供の頃自分で初めて、植え育てて掘った野菜が大根だった。土地の悪い場所だとスタイルのよい大根にはならない。それでも洗えば白くきれいな肌を見せる。祖父母は喜んでくれた。
 その小さなダイコン畑があったのは、いま壁や天井に断熱材を吹き付けた倉庫の中の隅の方。あおくび大根の暮らす下町でのメルヘンからは遠くなった。

右向け右!

2006-05-12 | 平和を
 孫たちが予定変更となりこちらに来れなくなったこともあり、連休の一日を家族で海辺の観光地に出かけた。自動車道など走らず、一般道でのんびり行ける方向を選んだ。混雑や渋滞に巻き込まれたりしたくはない。
 いつものようにカーナビ役で助手席に座る。今朝行くかと決めたので、その時点では最終目的地の指示はない。せっかくここまで来たのにと、後部座席の強力ナビからの音声もあり、混乱するが前進は続き行き先も決まる。
 峠を越えればその観光地、走っている自動車もそんなに多くはなかった。それがすぐ先の三叉路から、車はほとんど前に進めない。どの車も行き先は同じ、前方から来る車はわずかだ。駐車場が空いた数だけ動くしかない暑い日ざしの中、長い時間が掛かった。
 観光地そのものは特別人出が多いとは思えなかったが、一応の目的を果たし帰り道に驚く。何キロ渋滞は伸びたのか、諦めたらと声かけたくなる。
 他人事ではなく、右向け右!と聞けばそのようについ動いてしまう。多くの日本人ってそんな癖があるのだろうか。
 世の中似たように行動すれば、安心できて許される。島国根性なのかどうか、仲良くまとまっているようで個性が薄いだけ?そんな部分をうまく利用されているなと最近よく思う。