忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

縁台の花びら

2006-05-11 | 日々
 梅雨の走りが今年は早いという。雨具を着て帰ったついでに、犬の散歩に出かける。一日中降る雨で我慢していたのか、オシッコが長い。散歩は短く済ます。水気を飛ばすため、身体を何度もブルブルさせる犬。今日は早く犬小屋に入りたそうだ。
 家の角を曲がると、玄関の灯りが見える。散歩に出る時には気付かなかったが、縁台や庭一面に、大きな花びらが張りついている。
庭の隅にある古い椿の花びらだ。これほどに散ったのを見た覚えがない。毎年木の根元の地面をピンクにそめるだけ。
 桜に梅に銀木犀と我が家の周りの地面を隠す花びらはあるが、大きさでは一番だ。その後も強い風雨で椿の花も飛ばされてしまったかと思ったら、まだまだ沢山咲いていた。

方言だけど

2006-05-10 | 共に
 めんどしいとの言葉を久しぶりに見た。地方の方言だが、もう死語となったのかと思うほど聞くことはなくなっている。
 文章の中で「めんどしい」とは不細工という意味だが、女性に対しては不美人だとしても使われたとあった。
 その意味で確かにブサイクは使われていた。だがめんどしいには覚えがない。文章が間違っている訳でもなく、ただお互い使用法が異なっていたのだろう。
 私はずっとめんどしいを、恥ずかしいとして使ってきた。ブサイクとは不器用でもあるから、恥ずかしいでも意味合いとしては近くもある。気になり町の方言を調べた本を開くと、下品な、みぐるしいとあってもっと分からなくなった。
 話をする相手によっても、微妙に言葉を使い分けることはある。それが土地に根付いた方言にさえということで、正しいかどうかは別にしても同じ地域で人により別の意味として使われることもあるのも面白い。

バケツの子

2006-05-09 | 日々
 おはあちゃんの携帯電話に、まだ「ばあば」とも言えない孫の写真が届く。こんな時には嬉しそうに、じいじの私にも見せてくれる。
 裸でパケツの中に入っている。そんなに大きいバケツじゃないはずだ。それがお風呂代わりになっている。肩近くまで浸かれるのか、満足そうに遊んでいる。
 まだこんなバケツに入れるのだ。まさかと大きくなっているイメージだった孫との違いに少し驚く。そんなに成長しているはずないのに、気持ちだけ先にふくらんでいる。
 バケツの浴槽のあるバスルーム、ダンボール箱の子供部屋、遊べる間にたっぷり自由な発想の遊びを明るく楽しむのもこれからだ。できたらいっしょに遊びたい気持ちはあるのだが、同じ遊びは無理だと知っている。

家電店にて

2006-05-08 | 日々
 同じ現代を生きてはいないのかもしれないと、思いそうな出来事。歳の差と言えばそれまでなのだが、生きた時代の違いを感じる。
 大きい家電品店での小さな出来事。居間の蛍光灯の笠本体が、数年で駄目になり買い替えることにした。
 地元の店に無く隣街へ行く。ここなら家電を売る店は何店舗でもある。三店めでやっと好みの型を見つけることができた。
 古い我が家に新しい商品を迎えるとなると、蛍光灯にしてもそれなりの手順が必要となる。付け加える小さな品を買いたいのに、店員に繰り返し聞くが理解してもらえない。
 少しお待ち下さいと持って来て、これですと説明をするがそれじゃない。別の担当者も加わるとは、そんなに難しい事?売場に行くと目当ての品がある。
 これだと言っても理解してもらえない。近くの品を組み合わせて見せ、やっとなるほどと納得された。
 私の世代なら何でもない知識だが、若い人だと時代劇の感覚なのか、想像できなくて当たり前。その逆も多いことを忘れてはならない。

ちゃん付けで

2006-05-07 | 日々
 上の名前と下の名前、どちらで呼ばれても「ちゃん」がついていることが多かった。この歳になっても、「ちゃん」付けで満足している。
 以前仕事場に新しい人が入った時、上の名前が似ていたのと年齢差のためかその職場では「ちゃん」は彼に回ってしまった。呼び方が同じだけに、少し戸惑い淋しさも感じた。
 その後の仕事仲間の若者からも、いつのまにか「ちゃん」付けが。長く会話もほとんど無かった人から「ちゃん」の言葉が聞けたときは、驚きもしたがうれしかった。
 遠い過去に会わなくなった友人知人との再会でも「ちゃん」が戻ってくることがある。相手が言ってくれているのに、こちらが「ちゃん」を使えない。
 最初が大事軽い気持ちで言葉にすればよいのに、身近に感じたいと思うほど口にできない。親しみを態度で見せるまでには、かなり時な間がかかってしまう。

コロシては

2006-05-06 | 平和を
 部屋に入ると、物騒な話が聞こえる。すぐに殺せばいい、殺さないからあんなことが起きる。まさか殺人を奨励する会話?
 どうやら殺人事件の容疑者に関しての事のようだ。人を殺せばすぐに死刑にすればよい。生かしておくから再犯もでると、裁判の弁護さえも批判している。

 人を殺した者は即死刑にすべきだとの言葉をわりと聞くようになった気がする。人を殺す事を容認する社会には危険を感じる。
 殺人の無い世の中でこそあるべき国だ。法に許されるれ命令があったとしても、殺人には変わり無い。無感覚であってはならない。
 罪を罰するために罪を犯させないために悪い他国を懲らしめるために平和を守ために、巨大な力が絡む狂暴な殺人殺戮ともなると正義や英雄の言葉が加えられたりする。
 殺人はしてはならない。戦前回帰が言われてもいる。死を美学する時代に逆行しなければよいがと、雑談が不安になる。

子供の日

2006-05-05 | 共に
 連休最後の子供の日、その日義母の見舞いに行くつもりだったが、都合で予定が代わった。子供として、子供の日に行けば良かったと反省が残る。
 子供の日が自分自身と重ならないでいた。私も子供だとの気持ちははあるが、日常の意識としては義理でも母親として強く感じているかもしれない。私たちに子供が生まれ孫ができると、祖母ともなり曾祖母ともなった。
 いくつになっても同じ関係なのに、呼び方の使い分けの年月が経ってくる内に、歳の差が次第に母に近づく気分にもなる。
 私が子供でいるのは義母一人。ほんとの娘は今日も交替の付き添いにでかけたが、子供の日を覚えていただろうか。私もできるだけ早く子供として会いに行こう。

みずすまし

2006-05-04 | 日々
 倉庫の中を、小さい沢蟹が横歩きしていた。少し甲羅が乾いているかのようにも見える。指でつまんで持ち上げるのも、簡単にできた。
 今年初めての出会いだ。逃げようともがきもしない。手に持って小川まで運び橋の上から流れを確認する。
 下流は両側に草が生え石があちこちに顔を出す。上流には平らで広い水面が見える。深さ20センチ余の水底がきれいに透けている。
 本名はアメンボだろうがみずすましとも言っていた長めで細い虫が水面を泳いでいるのが見えた。こっちにしようと決めた。ポチャンと小さい水飛沫、カニは水底で歩いている。
 しばらくしてから見下ろすと、アメンボだけ泳いでいた。みずすましを可愛いと思うのは、以前庭にあった畳一枚分ほどのタンクに泳いでいたからだ。
 リズムを取りながらの不思議な泳ぎ方を眺めているのが好きだった。タンクがなくなってから、みずすましを見ることもなくなっていた。沢蟹のおかげで会うことができた。

白菊の冊子

2006-05-03 | 平和を
 昨年は戦後六十年とあれほどマスコミなどでも取り上げられた日本の戦争が、年が代わると見えなくなり消されるのではと不安にもなる。
 小説の『野菊の墓』は何度か読んでいる。私も会員の【白菊の会】は献体の会だが、その二つに同じような想いや別れの悲しさと、重なる面があるようにも感じる。
 庶民が強制された戦争時代の生活の中にも、どこか野に咲くあの白菊を想わせる出来事もあったのだろうか。
 たとえ狂暴な獣に踏み荒らされる不安な日々であっても、毎年白い小さな花を群がって咲かせて見せてくれ、心地よい香りを漂わす。本物の平和を知らせようとしているのか。
 敗戦後生まれの私が献体に登録したのは、戦争なんかで命を粗末にされたくない献体で死が役立つならという思いからだった。
 昨年の会報では戦争特集と言えるほど、会員の心が載っていた。書ける時に書いておかなくては、戦争に対して同じ気持ちで入会した人たちがたくさんいるのを知り身近に思う。同じ戦後を生きている憲法と共に、長生きして伝えて欲しいと願う。菊は子供のころから白い野菊が好きだ。

酒好きか

2006-05-02 | 日々
 近くに酒好きがいる。身体に合わせて飲むぶんには個人の勝手で、とやかく言うこともない。だが中には注意したくなる人もある。
 検診で見つかっても、病院に行く気もないようだ。悪いとわかって知らんぷりすることもないはずだが、酒を飲めなくなるのが嫌なのか。
 祖父や父の時代なら、仕事一筋息抜きとしての酒とかたばこも数少ない楽しみであったろうとも言える。だが今は気分転換も選びほうだい他もある。
 知人など酒で身体を壊したり死んだ人が何人もいる。酒徳利の墓石が似合いそうな、笑顔の一杯飲み屋通いの忘れられない人もいるが、悔いなんかないだろう。
 周囲に酒飲みが多かった割に、酒付き合いは苦手になった。私は嫌いじゃないけど、飲まないと駄目というほどではなく我慢はできる。
 今回も酒を休んで半年以上になる。こんなこと書くこと自体、酒が恋しくなってきたのだろう。家で飲んだら外でも断りにくくなる。
 他の人に身体のために酒を止めたらと勧めている今しばらく、酒への気持ちは押さえておくが、気分転換に苦労する。