Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

2泊2.5日 宮城の旅 その① 登米市観光

2011-11-28 21:10:00 | Travel
今回は、
宮城県北の登米市というところでハーフマラソンを走り、
仙台で吉川晃司のライブを観る、
という二大イベントのほかに、
甚大な津波被害を受けた南三陸町の温泉ホテルに泊まって復興支援!という盛り沢山な旅、
壮大なスケールでお送りいたします


まずはわたくし、空路仙台入り。
そして仙台駅へ。

改札出てすぐのところで、
津波の被害に遭った街の311前後の比較ができる写真の展示がありました。


色がね、モノトーンになっちゃうのね。
泥なのか土なのか、海水かぶって枯れたのか。
涙出ちゃいます。
たくさんの人が立ち止まって見ていました。

新幹線の乗り場に移動し、
岩手から参戦の妹と東北新幹線のくりこま高原駅で合流。
その後は妹の車での旅となりました。

登米(とめ)市は合併してできた町で、
今回ハーフマラソンが開催されたのは登米市の中の旧登米(とよま)町。
けっこう東寄りすなわち海寄りで、
北上川を利用した運搬業などで古くから栄えた町です。

くりこま高原駅から1時間ぐらいで到着。

とりあえず翌日のマラソンのスタート地点となる体育館を確認。
おー準備してるしてる!



せっかく来たし、
登米は小さいけどみやぎの明治村と呼ばれる観光スポットでもあるので
観光ルートに従って歩いてみることに。

と、その前に!昼どきだったので腹ごしらえ。
こちらの食堂でご当地グルメをいただきました。



油麩丼とはっと。
はっとはすいとんのようなものです。
どちらも美味しかった。
しっかし、料理出てくるまでえらい時間かかったなー。
県民性か?

さて、ここで少し登米についてご紹介。

この町は江戸時代には白石氏が登米伊達氏を名乗ることを許され、
寺池城を中心に栄えた城下町。
明治には岩手県南と宮城県北からなる水沢県の県庁所在地だった。
このような背景から、伊達氏ゆかりのものや明治の建物が多く保存され、
みやぎ明治村ということで観光客を呼んでいます。

まず向かいましたのは教育資料館。


木造の旧登米小学校校舎に、
明治以降の学校教育に関する資料や
登米の近現代史資料が展示されてます。





隙間風だらけでガラスが壊れてるところもある。
周りにはあの震災で傾いたり崩れたりしている建物もあるのに、
この木造校舎はよく生き残りましたね。


それにしても結構貴重な展示品多いと思うんですけど、
こんな隙間風入る建物においといて大丈夫ですかね。
セコムマークも見当たらないし


つづいては登米懐古館。


登米伊達氏ゆかりの鎧兜や刀剣などが展示されてます。
仙台藩は戊申戦争に敗れ、
伊達氏の宝物は奪われたり売られたりしてあちこちに散らばってしまいましたが、
登米出身で日本鋼管社長を務めた渡辺政人氏が買い戻し、
この懐古館を建ててそれを展示していると言うこと。
懐古館の入り口には渡辺氏の銅像があります。

うちの妹はなかなかの歴女なので刀や甲冑に興味津々。
説明してくれたスタッフさんもちょっと嬉しそうで
たくさん話してくれました。

次々と見どころをまわります。


水沢県庁記念館。

武家屋敷の通りを抜けて・・・・


少し歩いて、警察資料館。


明治以降の警察や消防に関する展示がみられます。
白バイやパトカーに乗ることも出来ます(笑)


311の震災時の警察の活躍の展示もありました。
宮城県警の殉職された警官についての記述も。
涙がボロボロ出てしまいました。

他にも見所あるのですが、311に壊れてしまって閉館していたり。

この辺りは内陸なので津波こそ来なかったものの
震度がかなり強い地域だったし、
古い建物が多いので結構傾いたり崩れたりしたままのところがありました。

見学可能な施設では係の人が熱心に説明してくださり、
町を盛り上げようと奮闘していらっしゃるなーと感じました。

最後にこの町に多くの恵みを与えてきた北上川。

岩手県から流れてきているので馴染みの川ですが、
ここまで来ると河口も近いのでかなり幅広い大きな川になってますねー。

さて、暗くなる前にこの夜の宿、南三陸ホテル観洋に向かいます。


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