Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

復興支援ボランティアの旅 in 宮城 ⑦ 思いがけず仙台観光と牛たんディナー

2012-07-03 22:04:44 | Travel
仙台若林区でのボランティアと視察を終え、
ボラセンに戻ってひと休みしていました。

単独で北海道から来ていたお姉さんがはじめての東北観光ということで、
あーだこーだとアドバイスしていましたら、
地元からのボランティアのおじさまが、
これから車でぐるっと仙台周ってあげようか?と言ってくださり、
私は別に行かなくてもよかったんですが、
なんとなくお供することになりました


若林区から仙台市街地をくるりとめぐり、仙台城跡へ。



わー。
なんかこれ、たぶん小学校の修学旅行以来かも(笑)



仙台市街を臨む。


なんか石垣の跡と小さな展示施設しかなかったんだけど、
昔からこんな感じだったかな、青葉公園。



もう何十年も前だからよく覚えてない(笑)



神社にお参りして終了。


駅前にて解散。
ひとりで牛タン食べに行こうと思って、
前の晩に馴染みのバーで勧められた牛タン店に電話するも予約でいっぱいと

ということで、この度はこちらのお店で牛タンディナーです。


暑い中力仕事したのでビールでスタート。


そしてまず牛タンたたき。

柔らかくてウマし。

生肉禁止の風潮の中、
牛タンは出しても問題ないんだーと思いつつ・・・。

まだお腹に余裕があったので、牛タン焼きも。

これも美味し。

ということで空港に向かいました。

今回は土日月の3日間、イベントのお手伝いから瓦礫片づけまで、
内容の濃いボランティアの旅となりました。

また来ます、宮城県。



復興支援ボランティアの旅 in 宮城 ⑥ 仙台若林区で農地復旧支援

2012-07-03 22:03:33 | Travel
前夜はせっかくの国分町ナイトを短めに切り上げ、
早めに起床しました月曜日の朝。

この日は仙台市若林区荒浜でのボランティア活動です。


若林区は仙台市内の海に近いエリアで広大な農地と宅地が広っていました。
高台もないため津波はどんどん内陸に向かって進み、
5キロほど内陸を走る高速道路の盛土が無かったら
まだ被害は大きくなっていたでしょう。


2か月ほど前、仙台空港から車で北上する際に初めて見た若林区の風景
ここが政令指定都市とは思えないほどの放置ぶりで、
衝撃を受けました。


さて、その若林地区へは仙台駅から路線バスにて向かいます。


あ、そうか。
月曜日だからフツウに通勤通学の人と一緒ね。

っつか、
この路線に高校かなんかがあってそこの生徒でバス超満員。
そして仙台名物交通渋滞。
予定より20分以上遅れてボラセン到着。



あ、受付時間には間に合いましたけどね。

だいたいボラセンは社会福祉協議会絡みだったりするんですが、
こちらのボラセンはReRootsという任意団体が運営しています。

震災当初は荒浜地区でも社協が災害復旧支援活動をしてきましたが、
だいぶ瓦礫も片付いたということで撤退することになりました。

でも大きながれきは片付いたとはいえ、
まだまだ細かなところに手は行き届いておらず、
復旧後の復興支援はどうなるんじゃってことで、
荒浜の避難所で知り合った人たちが中心となりRerootsとして
地域密着のボラセンの役割を果たしてくれているのです。



さて、月曜日なのであんまり人が集まらないのかなと思いきや、
結構たくさんの老若男女が集まりました。
皆さんの車に同乗させていただき活動場所へ移動です。


この日の活動は個人宅の農地の土起こしと細かい瓦礫撤去です。
皆さん一列に並んで黙々とスコップを土に刺して土を起こし、
瓦礫を取り除いていきます。

黙々ととはいえ、何度も参加している人たちのちょっとした会話もあり、
和やかな雰囲気です。

1時間に一度くらい休憩を取ります。



そのときにどこから来たのとかいろんな話をして交流します。
地元の方のほか、千葉とか栃木とかからの参加が多かったかな。
私のほかにもあちこちでボラしている人もいて、
いろんなところの復旧・復興状況の情報交換しました。

今回、単独参加の道民女子がいてびっくりしました。
道東でバスガイドされてるうら若き女子。
東北からの旅行客を案内することもあり、
その話を聞いて一度東北に来てみたいと思っていたそうです。
やっととれた休みを使って東北に来てくれて、
観光だけじゃなくこうしてボランティアもしてくれるなんて、
道民にもまだ救いがあったかと心温まりました。

あとは佐賀からきていた母娘。
6歳ぐらいの女の子が小さな瓦礫を拾ってくれてかわいかったです。

さてお昼休みです。
みんなでブルーシートの上に座っておやつ分け合ったり。
そのあと一人でちょっとその辺歩いてみました。

はるか向こうに海岸の松林の残骸と瓦礫の山が見えます。



住居の解体、修理などがぼちぼち進んでいるといったところでしょうか。




さて活動再開。

この日は人数が多かったので作業がはかどりました。




予定よりもちょっと早めに現場撤収。

そのあとボラリーダーさんが、
荒浜地区の被害状況と最近建てられた慰霊塔を見に行きませんかと提案してくださり、
数名が参加しました。

被害を受けた農地を抜けて海岸方面へ。



潮位の関係か、5月に来たときよりも水が引けています。


海岸に到着。慰霊碑へ。



昨年12月に地元の有志によって建てられたそうです。
みんなで手を合わせました。


海岸付近を少し歩きました。



津波によって斜めに倒された松の木たち。


まだゴミも残ってます。


堤防の階段・・・。


深沼海水浴場の更衣室だった建物。


穏やかで美しく長い海岸線は仙台市民の憩いの場だったのでしょうね・・・・。


海岸線に並行してあった住宅街跡。






荒浜地区は高台移転の計画が進んでおり、
まあこんな海岸が目と鼻の先ならやむを得ないと思うのですが、
やはりこの地に戻って生活したいと思っている方々も多く、
そういう人たちの意志表示としてこの黄色いハンカチがあちこちに立ててありました。



仙台市立荒浜小学校。
海岸から1キロも離れていないこの学校は明らかにこの辺りで唯一の高い建物で、
この校舎の上の階に避難していた人は全員無事でした。


このあたりの他の学校では避難者を校舎ではなく体育館に誘導して犠牲者が出たところもあります。

まだこんな感じで廃棄予定物が残されています。


仙台市荒浜地区。
高台移転と今後のこの土地の使い方、農地の復旧など、復興までの道のりは長いです。
またお手伝いに来たいと思います。

さて、仙台市街地へ戻りますか。

つづく。