Ma Vie Quotidienne

一歳に二度も来ぬ春なればいとなく今日は花をこそ見れ

知覧

2006-02-25 23:51:36 | Travel

今日はくもり、しかもかなりWindyです。
夕方には嵐になるとのこと。その前に九州から出ますけどね。

朝8時のバスにのって知覧へ。
午前は特攻隊、午後は武家屋敷群を見る予定。
まずは特攻平和会館へ。
   資料館   特攻隊員の像

ここはかなり時間費やしました。
9時半に到着してから、1時ぐらいまで3時間半かけて回りました。
特攻隊員の皆さんの最後の言葉、
時代を反映するものが当然多い。
でもどれくらい本意だったか・・・・

「待ちに待った日」
「皇国のため立派に死ぬ機会を得ました」
「櫻咲く春には九段に居る」
「日本男子の本懐」
「桜花散り 九段に還るを 夢に見つ」
「押さえてもうきくるものの激しさよただ玉砕と散らむうれしさ」

皆さん17歳~20代前半なのに、達筆でびっくりしました。
短歌とかも・・・時代的にみんなできたことなのかもしれないけど。

どうしても知っている場所の出身者の写真や文字に目が行きます。
北海道出身の隊員さん「俺が死んだら何人泣くべ」
実家のある岩手県の小さな村の出身の人もいてびっくり。
写真には県名しか書いてないのに、
ご家族がいらして貼っていくのか、付箋紙に市町村名を書いて貼ってある。

ここは観光地としてかなりポピュラーらしく
たくさんの観光バスが来てましたが、
みなさん、30~60分とかでザーッと見ていきました。

資料館の周りには隊員さんが寝泊りしていた
三角屋根のの宿舎の復元や
魂を祭る神社もありました。

そのあとてくてく歩いて
特攻おばあちゃんの「富屋食堂へ」。
中には隊員さんやおばあちゃんの人生に関する展示物が。
  富屋食堂

展示物の中で感動したのは隊員さんの一人、上原さんの話。
「日本を英国のような国にしたいという私の理想はむなしくやぶれました。
 世界どこにいても風を肩で切って歩く日本人、これが私の理想でした。
 愛する日本を偉大な国にしていただくことを国民の方々にお願いするのみです。
 明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。
 彼の後姿はさびしいですが、心中満足でいっぱいです。」
こう書き残して、沖縄の空に向かった若者。
皇国のため、と散っていった方々の中、
こういう考えの方が出撃していかなければならなかったのは、
また一段と戦争の悲しさを強調します。

隊員さんたちはご家族が会いにきてくれたとき、
「自分は特攻ではない。安心して。」と
嘘をついていったようです。
遺書には「待ちに待った出撃」とか書いていても、
親には特攻隊であることを隠すということは、
やはり100%本意ではなかったのだろうなと思います。

特攻おばあちゃんは、こういった若者達の言葉を
多くの人に知ってもらおうとして活動していたんだな・・・・。
なくなる前にお会いしてみたかった気がする。
石原慎太郎都知事はおばあちゃんと親交が深かったと
展示してありました。
お葬式にもわざわざ来たとか。
彼の発言は時に激しいこともあるけど、
こういうところを大切にするあたりは納得です。

2時過ぎ。
空港行きのバスは3:19発
武家屋敷、全部見る時間あるか微妙だったけど、
途中まででもいいやと思い入園してみました。
       
風が強くて寒かったこともあり、足早に見て歩きました。
お天気がよければかなり楽しめたと思います・・・・。
お気に入りの庭園は右の写真。
1時間弱で見て回れました。

お昼食べる暇もなかったので、
特攻平和公園のパン屋さんで買ったパンを
バス待っている間に食べました。 
   
紫芋のぱん、緑茶のパン、そして緑茶のクッキー。
おいしかった・・・。

九州、良かったです。食べ物もおいしかったし。
筋肉痛になるくらい歩きました。たくさん学びました。
一つ不思議に思うこと・・・・野良猫が多いのはなぜ?

P.S. 帰りの飛行機はかなり揺れてジェットコースター状態でした。