お昼ご飯を食べに近くのスーパーに、その中にあるレストランでの食事。
ビュッフェタイプで、どのメニューも美味しそうだ。
サイドメニューはセルフだから、お皿にポテトフライてんこ盛りは当たり前。
サイドメニューもたくさん種類があるからこっちだけでお腹いっぱいにもできる!?
お昼ご飯の時間帯だけあって席はほぼ満席、大人気のお店だ。
先発隊もここで何回か食事したようで、注文の仕方も心得ていた。
食べる量を自分で加減できるから腹一杯も八分目もここのレストランなら自在。
しかし一週間も通えば体重が必ずや増える、と断言できる!
こちらの人の食べる量をみると、それはそれは気持ちいい位食べる。
真似しようにも少食の私などでは"一皿目"もクリアーできそうにない。
さてさてラリーカーの整備のほうはといえば、今日の午前中に、最後まで課題として
残っていたキャブセッティングを終わらせたのでやっと手が離れた。
そして今回のプロジェクトメンバーの集合写真を撮影した後、
三時過ぎにラリーカー二台とサービスカー一台とが、トリノに向けて出発。
明日は受付と車検があり、夜にはいよいよヒストリックラリーモンテカルロのスタートだ。
私は明日の朝からトリノに向けてサービスカーを走らせる。
suspensiondrive
十数時間の飛行機の移動のあと、無事にニースの空港に到着。
先発隊と合流し、ホテルに入ったのだが、休む暇なくミーティングの突入。
内容を聞いていると、事前準備のやり残しがまだまだあるようで、
日本から持ち込みの宿題もクリアーできていない、
のに学生たちの焦った様子がない、これは一体どう言うことだ!?
手伝うのか、見、て、る、だけ、なのか、大人組は困った。
明日は土曜日でサービス場所として借りているディーラーは、
2時間間のみリフトが使える、とのこと。
2時間で終わりそうな作業ではない、とは言え少しずつ進めるしかない。
このまま手伝わないで、ほうらお前たち出来ないだろうは、このタイミングでは言えない。
うーんむつかしい決断だが少し手伝うしかないだろう。
と言う訳で口と手と出すことに・・・。
中発隊が現地入りし、先発隊と合流。
先週末には仕事の手をいったん休めて、WRC開幕戦の
ラリーモンテカルロのSS見学(チュリニ峠)。
その日のうちにイギリスに渡って一泊し、F1のファクトリーを見学。
再び基地のあるニースに戻って、今日辺りはラリーカーの最後の整備と
本番に向けての準備をやっているハズだ(あくまで手元のスケジュール表によると)。
私のほうもやっと旅の支度が出来て、明日お昼頃の飛行機で現地に向かう。
今年はサポート隊の一員だから、レーシングスーツは要らない。
しかしラリーカーのサービスは野っ原でやるので、防寒対策が要る。
最後のパーティー(表彰式)用のタキシードも持参なので、荷物の量は昨年とあまり変わらない。
チームウェアーとしてDUNLOPジャンバーを全員が着ているのが
実は目立って都合いいというのが、昨年わかった。
空港で落ちあうにも、サービスポイントで立っているのも、はるか彼方から見つけられる。
今年のラリーカーは赤が2台。
スタッフが黄色のジャンバー。
双方で見つけやすいけど、目立つ・・・いや、目立ち過ぎかも!?
普通免許を取得して2年、しかし運転経験は数回というドライバーが
運転する車の助手席で峠道を走った。
これなら自動車教習所を出たての時の方が、もう少しマシな運転をしてたんじゃないの?と
つぶやきたくなる程の、教習半ばの運転だ。
ゆっくりとしたスピードだから危なさは無いが、意識動作の第一歩あたりの運転は
こんなものかを改めて実感できた。200mほどの直線が出てくると、道幅の狭い片側一車線の
中を右に行ったり左に行ったりと、車体半身ほどの蛇行を3~4回繰り返す。
道は直線なのに車は直進しない。
昨年夏に行った学生の運転合宿で見たそれと同じ症状だ(でも今回は車が違う)。
外乱があって、それをキッカケに修正舵がうまく当てられないのではなく、
本人のハンドル操作がユラユラの原因である。
蛇行といっても感じられるほどの横Gが出ていないので、同乗していた他の人は気付かない。
運転している本人も実は状況をつかめていなかった。(走らせるのが精一杯で車の動きを
分析するなんて・・・)
このユラユラを初心者だからで片付けてはいけない。
問題はハッキリ言って車の仕上げにあって"ヨロシクない”出来なのだ。
初心者が走らせれば、乗りづらさが浮き彫りになる・・・の一節でした。
先週の日曜日(1月15日)の夜の飛行機で、先発隊が出発し
いよいよヒストリックラリーモンテカルロの最終スケジュールがスタートした。
ラリー本番のスタートは1月30日。
それまでイタリアの港から競技車両の引き取り、事前整備などがある。
今年はラリーカーがTE27トレノ(2011年完走車両)、TA22セリカ(通称ダルマセリカ)の2台。
サポート隊のメンバーが学生17名、大人組8名。
ラリーカーの運転は他の人に託して、私はサポートカーのドライバーでチームを支援する。
このあと20日に中発隊が、私は最後発隊で27日に日本を出る。
チームの基地をニースに、ラリースタートの都市をイタリアのトリノとしたので、移動はかなり楽そうだ。
昨年はイギリス北部の都市グラスゴーからモナコまで2000km、その前に700kmの移動があったから
ラリーステージの1500kmを入れると、全行程4200kmをドライブした。
今年のトリノからモナコまでは900km程(直線距離は約半分だがラリールートはかなり迂回する)。
サポートカーはショートカットできるので、走る距離は長くても3分の1程度。
短すぎて退屈になるか、眠くなるか、心配なほどだ。
あとはラリーがスタートしてからの天気。
雪のモンテはカッコイイけど、それは外野目線。
走らせる身となると、雪かホソウかどっちかにしてくれ~!と叫びたくなる。
絶壁すえ切りヘアピンを100年前の超ロングホイールベースの車はうまく曲がれたのだろうか?と
歴史を重ね合わせてみるのも面白い。
なんたって道の巾は100年前とあまり変わっていないと思える所が、行く先々の峠道で見られる。
暮れのサーキットの話の続きです。
摩擦式ダンパーからオイル式ダンパーへの進化の年代が、およそ1960年ごろではないかという
推測が出来たという話をしました。
もう一つ、車体の変化もこの頃にあったのではないかと思い着目してみた。
くわしく歴史をひも解くつもりはないが、この日サーキットに集まった1960年以前の車は
全てラダーフレームと呼ばれる方式で、はしごの様な丈夫な骨が基本となってサスペンションがつき、
エンジンがマウントされ、人が乗っかる部分のボデーが載せられている。
現在の乗用車では見られなくなったが、大型トラックなどでは、今もこの方式を見ることが出来る。
乗用車のラダーフレームが無くなったのはいつ頃のことか。
手元にあるスバルの歴史本を見ると、スバル360の開発スタートが1955年(モノコック構造)、
スバル1000の発売は1966年。
大体この頃がモノコック構造の出発した年代と言うのがわかる。
オイル式ダンパーの登場と、モノコックの車体が出始めた年代が1960年・・・。
両方ともこのあたりか。