クルマのサスペンションと長いお付き合い

サスペンションの話、試乗記、旅の話、諸々・・・。

よそ見

2011-02-26 14:29:49 | なんでもレポート
よそ見をしているのは彼らで、私はチョイチョイとやってもなかなか終わらない仕事を
ひたすらやっている・・・という意味です。
我われの側にはいつも言い訳の余地が無く、「いついつまでに終わらせて」と
締切だけが、はっきりとしている。しかもその時間が常識ハズレの短さとくる。
物理的にも、例えば1時の約束を夕方5時に来て6時までにミッション交換を終わらせて、的な話だ。
更には、テストカーの燃焼が入っていない、車がどろどろに汚れて前が見えない、
トランクに部品から工具から積んだまま、朝の打ち合わせで、タイヤは変更ありませんねと、
再確認したにもかかわらず、いざ試乗に出ようとしたらこのタイヤは違うからとくる。
だいたいこの辺りまでは、いつものことで腹も立たない、想定範囲だ!
しかし今回の相手は、日本から出かける予定日の前々日に、ドタキャンしたりっぱな実績‼のある相手だ。
しかも一度ならず二度もだ。まだ何かあるだろうと思っていたらやはりあった。
一緒に試乗に出るドライバーが、テストコースのライセンスを持っていないから、と来た。
これで半日は潰れる。つまりは私に与えられるべき時間が、彼らによってもぎ取られて行くのだ。
まっこれもいつもの事、いちいち反応してはいけない。あっそっ、で聞き流す。
こちらで仕事をするには、このあっそっ、で終わらせて、ハラワタスイッチをいれないことだ。
しかし今回はさらに、
「国政さん、木曜日までに終わらせてください、金曜日には、実験グループのメンバーの試乗があります。」
と、身内から足元をすくわれた。
返事の代わりに腰のはいったパンチを一発ドスっと見舞ってやりたい気分だ。
都合三日間、テストをスタートしてからも実に色々な事があって、最後のミーティングでは、
空いた口が塞がらない話がボコボコとでてきた。
日本の常識を引きずっていると、身が持たないと言うのを再々度確認した。
ほんとに今回も身も心もハードな内容だった。
サスペンションチューニングがどれ程大変な仕事なのかを知らないから、
始めれば直ぐに終わるだろ、何故そんなに時間がいるんだ、と言わんばかり。
これには正直反論する気も起きない。
知らないと言うのは、ここまで強気になれるものかと、ア然とさせられた。
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相乗り入れ

2011-02-25 12:56:01 | なんでもレポート
ホテルの近くにある花火工場が、夜中の12時に試し打ち(suspensiondrive)


車にうるさい人ならまず知っているであろうサーキットのひとつ、
ニュルブルックリンクは、誰でも走れる事で知られている。
聞いた話では、マイカーを持ち込む人、バイクの人、なにやらバスも走っているとか・・・。
そうなると、ドライバーの技量の差もあるが車両の違いによる速度差は相当なものだろう。
コースを貸し切ればなんの心配もいらないが、以前相乗り入れの時間にタイヤテストをしていた人が、
一般車を避けてクラッシュした話を聞いたことがある。相乗りの怖いところだ。
ある程度は仕方ないとも言えるが、やはりどんな状況であれ、事故は避けたい。
何故こんな話をするかと言えば、こちらのテスコースも場外乱闘のような相乗り入れなのだ。
さすがに二輪車はいないが、トラック、バス、トレーラーに、ダンプ、乗用車にマイクロバス・・・。
乗用車に至っては、多分十数社以上が乗り込んでいて、それぞれに
これまたテストの目的が違っているから、スピードがマチマチ。
コースの中は動いている車が基本のはずだが、そうとは限らない。
故障して止まる、計測器の確認か何かで止まる(これは明らかにルール違反)、
何故か人も歩いている。
コースの保全係のトラックがたくさん人を乗せて走っていたり、
工事で一車線通れないのは珍しいことではない。
おまけにコースの出入り口が数カ所あって、とにかく気を遣う。
見ないふりして入って来るとしか思えない、行儀の悪いドライバーがいるのだ。
こんな風に雑然と混み合っている中でのテスト走行など、おそら日本では考えられない状況だろう。
守秘義務だとか、事故を気遣うあまりの台数制限は当たり前で、
他のクルマの姿がみえてもいけません的なところがある。
さらには自動車のテスト走行は、日本では太古の昔から危ないもの、と決まっているからだ。
果たしてテスト走行は危ないもの?なのだろうかと、こちらに来て改めて思う。
要は前を見て走って、ぶつからないようにすれば良いだけの話だ。
何もむつかしい話ではない。スイスイだ。今日も沢山追い越した。
今更だがスラロームのうまさの確認もできた。
何台かには追い越された。・・・チョット油断した。
えっ、テストは真面目にやっているか?って、そりゃもう、よそ見している間にチャンチャンですよ。

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西洋風

2011-02-23 14:47:29 | なんでもレポート
一人前をひとつのお皿に盛り付ける、というのは中国にはないそうだ、盛り付けられている料理は中華なのにお皿ひとつで、西洋風になってしまうわけだ、これもお店のイメージつくりのひとつ、ご飯とおかず一品、と食べたいものの選択を迫られるから、何品も並べて食べるのに慣れている彼らにはどうかと思うが、それはそれで美味しそうに食べている、小さな異文化の流れ込みと受け止めているのか、白いご飯もなかなか美味しい、

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ロビー

2011-02-22 10:33:02 | なんでもレポート

待ち合わせの時間の少し前に、ホテルのロビーに出て見ると、同じような時間に待ち合わせているのか、
ソファーに数人いて、服装はこちらの人と見分けがつかない。
手にしている携帯も、こちらで売られているものだ。
と、部屋のキーはそのまま持ってきて、日本語だ。
すぐ後に若い女性の通訳がおりてきて、一緒に玄関に出て行った。
さらにまったく同じ組合わせでもう一組・・・。
迎えのクルマの車種から、おおよそどこの関係者かわかる。
さてうちの迎えのクルマがきた。今日も元気に、と行きたいところだが、
通訳の彼女が風邪気味で、二、三発喰らったボクサーのように、フラフラなのだ。
もう一発トドメのパンチがあれば、楽になれるが、そうはいかない、仕事がある。
かわいそうだか、耐えてもらうしかない。
いつもは元気だか、飛行機を乗り継ぎホテルの部屋の暖房の寒さ‼にやられたのだろう。
私はといえぱ旅の知恵でこんな時の対処法を少しは知っている。
いっぱい着込んで、隣のベッドから上掛けをとって、当たり前のように、暖かくして寝た。
なんとか体調は保てている、手持ちの温度計で、エアコンの温度を測って見たら、
吹き出し温度が18度。これって、正常?

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検証 バランススロットル 47

2011-02-15 20:59:15 | バランススロットル
Photo by 「World RallyPress/Hiroshi Seiki」

ラリーモンテカルロで走らせたTE27には、ステアリングのパワーアシスト(通称パワーステ)と
ブレーキのアシスト(マスターバック)が付いていない。
“生ハンドル”“生ブレーキ”という訳だ。
当然、低速で切り返しとかしようとすると、シートから腰が浮きそうになる程ハンドルは重い。
タイヤロックまで踏力を掛けると、おそらく数十㎏の力を入れるから、この時もシートから腰が浮く。
確かに筋力は相応に必要だが、ハンドルに伝わってくる手応えの中に路面を捉えているタイヤの生情報がたっぷりと含まれているので、自信を持って速度管理ができる。
ブレーキングも右足の筋力でコントロールできるから、繊細なタッチが自在にできる。
これがアシスト付きのブレーキだと、ブレーキが噛み付いてしまうあたりの(タイヤロックが発生)寸止めが
難しい。と言うことで、私自身パワーステアリングもマスターバックもダイキライ。
肉体労働は少々キツイが、生ハンドル生ブレーキの感触を直に感じながらマシンを操る楽しさは別格だ。
何かアシストを付ければ、一歩ずつゲームマシンに近づいていくし、走らせている実感も薄れていく。
今回のTE27は手応え100%。
車を走らせる楽しさには、スピードだけで語れない何かがある。
その一つは、機械感を体全体で味わいながら走らせて初めて、その実感が得られると言うものだ。
最近、こういった車が少ないから、みんな知らないだろうな。
“動かしている間中”が楽しい車。
近いのは「軽トラ」!かな?

ヒストリックモンテ

2011-02-12 16:27:59 | なんでもレポート
Photo by 「World RallyPress/Hiroshi Seiki」

ラリーモンテカルロの名前は、ず~っと前から知っていた。
数々のドラマ、エピソードが残っている伝説的イベントでもある。
しかし、自ら出場するイベントとは全く思っていなかった。
ヨーロッパへの遠征は経費がかさむ・・・
タイヤ選択が大変で、大掛かりなサポート隊も準備しなくてはいけない・・・
プライベートエントリーは完走すら難しい・・・
といった情報があったのも影響している。
しかし、ヒストリックモンテカルロが14年前から始まり、今回の参戦となった。
出場できることになったものの、欲しかったものが手に入った感覚とも違う。
その「思いがけず」で、力みの無い走りと楽しむ余裕を持てた気がする。
無論、学生達が中心となって進めたプロジェクトの最後の責任を、
一手に引き受けていた面もあったにせよ、落ち着いてゴールを目指す事が出来た。
ラリー途中で撮られた写真は、二人ともニコニコ顔である。
学生達も緊張していたであろうが、事故も怪我もトラブルもなく
すべてが順調に進み、全員でゴールできた。
社会に出て行なう実践授業としては、非常に多くの内容を持った貴重なものとなった。

“ラリーは人を育てる” 今回のメインテーマだ。

ヒストリックモンテ

2011-02-11 15:57:59 | なんでもレポート


ラリーモンテカルロヒストリックの成績です。

競技参加    322台
出走      304台
総合       42位
完走      249台
カテゴリー    23位(時代別1972~79年)   完走120台
クラス      14位(時代別1300㏄~2000㏄)完走65台
ノーペナルティ 114台/249台 でした。

シカの一件はヒヤヒヤものですが、ラッキーでした。
ヘッドランプとフォグランプがダメージを受けたのですが、幸いバルブはOKで
光軸を調整しなおして、その後も走ることが出来ました。
実は、ともかくぶつからないように走らせるつもりだったので、
スペアーのフォグランプを日本に置いてきたのです。
まさかね~。シカとモンテカルロは想像できなかった。
直線は雪がワダチ分だけ解けていて、ヘアピンに差し掛かると、路面が真っ白!
といった所もいっぱいあり、減速には注意した。(ホント足がつりそうな位ビクビクした。)
スパイクタイヤ1SETで走り通すつもりだったから、据え切りヘアピン(本当にアウトいっぱい
からアプローチしてハンドルロックまで切り込んで、出口のアウトいっぱい)も、
面倒でもサイドブレーキを引かず、ていねいに回った。
しかしウンザリするほどこのヘアピンが続き、最終日はさすがにもうスパイクタイヤが
持ちそうだったので、サイドターンで回った。上りヘアピンでサイドを引くと失速するので、
下りに限られるが、横着運転をしているだけで、決してカッコ良くは無い。
パワーアシスト無しのステアリング&ブレーキは、確かに筋力を使う。
が、何とか走り通せた。
行く前の予想通り、難しい雪道だからこそ、効きの穏やかなブレーキが効を奏したのかもしれない。
ハンドルの手応えも、確かに微妙なグリップの変化も、ナマで感じる事が出来た。
当り前だから、ありがたみを感じていないのかもしれないが、今回ある意味
自信を持ってマシンコントロールできたのも、こういった理由かもしれない。


ヒストリックモンテ

2011-02-10 15:27:23 | なんでもレポート
モナコをスタートし、峠をいくつか走った先の、とある村の出口から
スタートするZR区間(指定されたアベレージで走る)でのこと。
道は狭く、一車線ギリギリの幅しか無いところが多く、コーナーのRも小さい。
走り始めてすぐに直線の終わりにあるブレーキ痕に気がついた。
スタッドレスタイヤ又はスタッドタイヤで付いたブレーキ痕ではない。
そうだ、一週間前にIRC(昨年までのWRCモンテカルロラリー)が開催された。
その時のSSコース上を我々も走っているのだ。
今回のヒストリックも、どこかでコースがラップするとは聞いていたので楽しみにしていたのが
思わぬ形でオンコース!!そう思ってブレーキ痕を気にして見てみると、
コーナーへの進入角?アプローチが、結構マチマチなのだ。
最終的なコーナー入り口は狭いから、それぞれが収束しているが、それにしても・・・
と思えるくらいバラバラ。
これは競技マシンの違い?または
ドライビングスタイルの違い!更には
マシンセッティングの違い!それとも
それぞれのドライバーの速さの違い?
そうこうしている内に、ゴール間近の長い下りの先にある橋の左直角にかかっているところで、
ブ厚い石垣の欄干が3m程に渡って押し倒されていた。
車のダメージは決定的だろう。
で、オートスポーツ誌を見ていたら、Pソルベルグの写真があって、
おいしそうなパイが写っていた。
我々も同じ場所で、同じものをいただいた。

ヒストリックモンテ

2011-02-09 19:07:20 | なんでもレポート
Photo by ANDREW FULLER


先週の内に、無事帰国しました。
ブログへの書き込み、応援メッセージを頂き、皆さん本当にありがとうございました。
リアルタイムでアップするブログの楽しみは理解しているつもりですが、
今回はラリー中の時間の配分を、体調管理中心としたため、
精一杯やったつもりがあんなものになってしまいました。
今後はお土産話として紹介していきたいと思います。
ラリースケジュールを見たとき、ゴールするためには体調管理が個人の中では
もっとも大きな課題と考え、睡眠と食事に最大限の注意を払いました。
このことはラリー全般を通じて、うまく行ったように思います。
コ・ドライバーと、眠くなったから交替といったことも無く、それぞれの役割分担のまま
狭い27の空間で長時間、他愛の無い世間話、学生たちの話、景色の話、次のタスマニアラリーの話・・・
と、二人で心穏やかに旅を楽しみ、ラリーを楽しみ、ドライブを満喫。
この上ないラリーモンテカルロヒストリックとする事ができました。
ちなみにコ・ドライバーを務めた草加氏は、32年前モンテカルロ初出場。
そのあと2回、計3回出場するも完走せず。
何と32年掛けて、今回無事ゴールできたと喜んでいました。
写真、動画をたくさん撮って来ました。お楽しみに。

ヒストリックモンテ〓

2011-02-03 21:24:51 | なんでもレポート
モンテカルロラリーの歴史は1911年に始まり2011年の今年が100周年、途中開催できなかった時代もあるので100回目ではないが、節目の年ではある、グラスゴースタートの我々がたどったルートはその歴史に残る村々を通る旅でもある、フランスに渡ってからも、通過する街、村、ルートも、過去に使われた道がいくつも含まれていた、無論チュリリニ峠に代表される数々の峠もだ、一つの峠の長さが、数十キロ単位に驚いた、標高1000m以上の高地を延々と走るのだ、昔の車のキャプレターの調子はどうだったのだろうか、今回の参加車の中に、スコップを積んでいたのを見かけた、サバイバル色もあるラリーなのだ、道路の条件も、ドライ舗装から、雪、アイスバーン、ダート、とコロコロ変わる、想像以上に過酷なラリーだった、
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