羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

会社をやめたい

2005年05月24日 | Weblog
「会社、やめたいなぁ、、」
結婚して25年、この言葉を聞いたのは、
昨夜も含めて何回めでしょう。

その度にわたしは夫の話に耳を傾け、
励ましたり、同情したりしてきました。

三人の子供たちの教育費、家のローン、
時には車のローンまで、家計はいつもギリギリでした。
でもかつて、夫が「独立したい」と言い出したとき
わたしは反対しなかったのです。
あとになって「家族のために諦めた」という後悔を
してほしくなかったから。
夢を追いかけさせてあげたかったし
家のことは『どうにかなる』と考えました。

でも長引く不況のせいもあり、
我が家の少ない貯金もすべてなくなって
6年ほどで会社はダメになりました。
残ったのは夫がわたしに相談もせずに重ねていた借金の山。

その時はどうにか夫を元気づけて、我が家も再出発しなければ、
と焦ったものです。
落ち込んでばかりいる夫は何も行動しなかったので、
わたしがサラ金の相談会に出向き弁護士も見つけました。
数社のサラ金と信用金庫への借金返済の日々が始まりました。

ようやく新しい仕事を見つけた夫には、退社後の数時間も
コンビニでも働いてもらうことにしました。
もちろん、わたしもベビーシッターの仕事を増やしました。

その頃わたしは一日に何度、食事の支度をしていたのかしら。
朝食、家族の弁当、夕方にはコンビニ行く前の夫の軽食と、
塾へ行く前の息子の軽食、そして夕食の準備をして、
夕方からの仕事へ行きそのシッター先の家でも
子供に食べさせる食事を作っていました。
その頃自宅では、長女と末っ子が二人で、ご飯を温めて
食べていたのです。寂しい思いをさせました。

あの頃、表面的には『夫婦助け合って』苦難を乗り越えて
きたかに見えます。
でもわたしは『いざ、という時この人は頼りにならない』と
思えてしかたありませんでした。
(サラ金からの電話応対したのもいつもわたしだったし・・・)

それからさらに7年ほどが過ぎました。
『会社、やめたいなぁ』とまた夫の嘆きが聞こえるようになりました。
サリーマンというのも苦労は多いと思います。
でも今度はせめて、
末っ子が成人するまで我慢して欲しい、、と思っています。
でも今度の夏のボーナス貰ったら、、、とか言ってるし、
さてさて、どうなりますことやら・・・。

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