まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

小松市弓道大会

2017-10-30 | 弓道

競技の前の一つ的射礼は、三人の若手の先生が各自皆中したので、思わず拍手が大きくなった。

県体以来、試合に出ることができなかったので、いつになく緊張した。このところ、ビクは治まり、昨日の稽古でも少し中りがでるようになったが、果たしてそれがそのままでるのかどうか。右手首の力を抜くことと、大三がつぶれないように持っていくことなど、変えた部分をちゃんとできるかどうかが今日の課題。

1回目の立では、矢が3時と下にそれた。何が悪いのだろう、やることができていないのだろうか。自分では悪くないと思うが、ゆるんでいるのだろうか。4本目にやっと中たる。仲間が動画も撮ってくれて、見ると離れが緩んでいる。先輩が、前肩が詰まっているとアドバイスしてくれたので、2回戦では肩をあげないように引いた。力が抜けてすっきり引けるような気がした。3本まで詰めて4本目は余分な力を入れないように引いた。おおっ!久々の4射皆中。やっぱ気持ちいいわ。

今日もサイレント・ピリオドを意識した。

いつも一緒に稽古する仲間を応援した。加賀の男子チームは、2チームとも決勝に進出。結果、若者チームが団体3位となった。自称若者チームは、決勝で崩れた。わたしも、遠近でゆるみがでた。まだまだと思う。小松の皆様ありがとうございました。

 

 


全日本遠的大会視察

2017-10-29 | 弓道

来年、石川県で全日本遠的大会を開催するために、明治神宮中央道場で開催されている遠的大会を視察した。

各自、自分の担当であるところを確認する。公開練習では、選手たちが自分たちの矢をあげていた。

わたしは開会式、道場内進行の様子、公開練習、閉会式を中心に視察する。

道場内の手前の席が射場委員長の席。見ているだけなのに緊張してきた。どの係の担当も、真剣に見ていて、雨が降って寒い中をものともせずにメモを取っている。

石川県の選手を密かに応援する。決勝進出した石川県の選手を中から応援するわけにはいかない。進行を見たり、皆と話し合いや、意見交換するので、観覧席でずっと応援するわけにもいかない。しかし、さすがに決勝戦は醍醐味だ。60mの距離から79㎝的を狙う。1本、1本詰めていくこと、遠近での決着。大会の流れを見ながら、日本一になることは、実力と運を兼ね備えなくてはならないのだろうなと思った。

それとは別に、近的の的場が移動して、遠的が出来る仕組みを実際に見てすごいと思った。芝生の中にレールが敷かれている。

大会の間中、台風の影響で雨が降っていて、大会終了後、走るように参宮橋駅まで行き、スーツケースをころがして、駅の階段を上り下りするのは登山よりきつい。電車に乗るために小走りになる。切符を買って、置いて行かれないように必死で着いて行き、ようやく新幹線に乗り込み、何本かの特急が台風の影響で止まっているのを聞いて、今日中に家に戻れるか心配しながらも帰ることができた。

しかし、カメラを皆で食事をした店に落としてきた。後で電話して、着払いで送ってもらってお世話をかけてしまった。カメラは新聞紙にくるまれていた。

広げたら見たことのある新聞。そうそう、そこの店のメニューの新聞だった。また行こうか。新宿。

 

 


弱り目に祟り目

2017-10-26 | 暮らし

弱り目に祟り目。一難去ってまた一難。泣き面に蜂。傷口に塩を塗る。踏んだり蹴ったり。

言葉遊びをしている場合ではない。今回、台風被害は家だけでなく、お墓にも及んだ。町内の人が見つけてくれた。急いで見に行くと、なんと大きな木が何本も倒れていて、墓は木の下になっている。幸い墓石には別条ないようだが、まわりの墓はどうなんだろう。被害は木の長さ分に及んでいる。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・と、お墓が念仏をあげているような気がする。

殿よ少々お待ちよ、近所のおっちゃんと相談してから助けてあげるね。命に別状はないようだ。死んでるし。こんな時、殿がいてくれたらと思う。

 


台風被害

2017-10-24 | 暮らし

日曜の夜。明治神宮での遠的大会の視察を終えて、台風に巻き込まれながらも、新幹線も普通電車も動いていて帰ることができて良かった。と、思ったのも束の間。雨風が強く窓を叩き、2階が強風で揺れて恐ろしい。うちは角地で、三方が水田で、家の向こうが川で、以前玄関ぎりぎりまで水がついたことがある。TVを観ても選挙ばかりで情報が入らず、夜中にタブレットを持って来て進路を見たが、天気図と外の様子は関係ないことに気付いた。何かが飛ぶ音がする。携帯に「緊急エリアメール」が、入った。再びテレビを観ると、テロップが流れ、石川の情報が流れ、加賀地方は動橋川の氾濫水域の情報が流れた。

 ガタガタ、ゴーゴー風が吹くと怖い。これは尋常ではないと思うと怖くなる。うつうつしてから、がばっと起きて座敷へ行く。家を建てたばかりの時、横殴りの雨が降って座敷の鴨居のところを伝って、雨が滲みてきて畳に落ちてきたことを思い出した。案の定、欄間の下の鴨居を伝って雨がポタポタ落ちてきた。古いバスタオルを畳の上にあてる。爺さんは、二階にベランダを造ったのが悪いと言うのに対して、殿は念願の白山が見えるベランダを造ったことを反対されて怒っていたが、今ではどちらもこの世にいない。

勝手口にも雨は直撃し、床から滲みているし、車庫のシャッターから雨が入ってきている。婆さんの部屋も漏っていた。こういう時は心細い。朝になって、仕事へ行く前に、〇建設に電話し、エアコンを入れて乾燥させる。畳をあげてくれて、屋根裏からベランダも調べてくれて、結局、ベランダの床のコーキングやその他の所をやり直してもらうことになった。

建物の保険に入っているが、瓦が飛んだとか、何かが飛んできて破損した結果の雨漏りではないのでダメだそうだ。コーキングの寿命は、水回り20年、外壁は10年という。わが家は19年目だ。トイレも直したので、いよいよあちこち修理の時を迎える頃なのである。


来年の予定

2017-10-22 | 弓道

来年の手帳を買った。早急に3月までの予定を記入しなくてはならないからだ。

来年の10月の遠的大会や国体の審判のことを思うと、なぜその仕事を引き受けたのだろうとふと思った。うかつであった。これからは、なるべく頼まれないように逃げ回ろう。しかし、引き受けたからにはやらなくてはならないのだが、3月の中日本の女子大会や、2月の講習会の予定を入れながら、また目まぐるしい毎日を過ごすのだろうなと思いつつ、両親のことも心配で、がんがん予定を入れるのも考えものでもある気がする。

今日のように台風の雨が窓を叩きつけ、風の音がすると気持ちが沈む。おまけに、TVは怖い女性議員が、嘘泣きの顔をしてまた出馬したのを見て驚いた。それでも票は入るのだろうか、もっと気持ちが沈みそうでTVを消した。

孫たちは、明日は10時半に登校するらしい。雷の心配もあるらしい。

こういう日に来年の予定を書き込むと、ますます気が沈む。みんなは、こんな夜をどう過ごしているのだろう。こんな日は、早く寝るに限る。

 


報恩講さん

2017-10-17 | 暮らし

「ほんこさん」と、婆さんたちはいう。この時期「報恩講」が、お寺であり、檀家はお布施を持ってお寺へ出かける。いつも姑が行っていたが、年をとったので、もう行かないという。年配の友達がもういないのである。かと言って、わたしもお寺仲間はいない。お布施を持っていかなくてはならないので出かける。住職は同級生である。殿の法名に住職の字をひと字頂いた。

寺の境内のテントのところで、お布施の封筒を渡すと、「おとき」と、書いた木の札を渡される。「おとき」とは「お斎」と、書く。法事での食事である。それを持って寺の中へ入ってお弁当をもらう。と、弓道の先輩に会った。先輩は、調理場の手伝いをしていて、一緒におときについた。小豆汁がでる。

その後、先輩と落語会を聴く。福井のパン屋さんで、「はやおき亭 貞九郎」さんで、素人というが、演目は創作50、古典50という事。玄人裸足だった。大いに笑って帰る。

 


収穫

2017-10-17 | 暮らし

父の見舞いの後、実家の銀杏を拾って洗って乾した。大粒で綺麗だ。

里芋も、二株だけ掘ってみたら、思いのほかたくさんの芋が付いていた。

このところ寒くなってきたが、今日は小春日和。虫も花も似合う日だ。

コスモスの時期も、もう終盤。衣替えの10月も、もう半ばとなる。時が羽根をつけているように飛ぶ。そういえば、お札も羽根がついているようだ。よく飛ぶ。

 

 


今日一日

2017-10-17 | 暮らし

今日、父が笑った。母が持ってきたボーロを、わたしが指でつまんで、父の細くなった手に持たせた。父は、か細い手で口に持っていき「ひとりでいると、ごっつぉも食べれんなあ。」と、言う。風呂に入れてもらった後で、ひげもきれいに剃ってもらって、「ありがたいねえ。」と、言う。本当は家族が世話をすることが一番いいのだろうけど。父にボーロを渡そうとして、父がつかもうとする手から逃げてくるくる回すと、父は歯がない口を閉じて、嬉しそうにくく・・と、笑った。楽しそうに笑う父を見て泣けた。

時折、「はよ、うちに帰るぞ。着がえあるか。」とか、「車をまわしといてくれ。」とか言う時がある。

同じ病院に入院していた同級生のM君のお母さんが一昨日亡くなった。時々、病院で会って、お互いを労い言葉を交わしていて、先日、「もう駄目なんや・・」と、言っていてすぐだった。99歳とのこと。そうして、見送っていかなくてはならない。

殿が、自分の父親が89才から年を取らなくなってから、父親とあまり話をしなくなった。その頃、殿もガンと闘っていたことと、父親が92才になっても、自分が89才だと言い、殿が入退院を繰り返していたときも、「どこが悪いんや?」と、毎回聴くので少し腹を立てていた。親が弱っていくのを見たくないのだと思った。そして今、わたしは、親が弱っていくのを見守りながら、非力な自分を思う。

母が、風邪気味だというので、牛肉と、しいたけと、たっぷりねぎに、卵を落として、煮込みうどんを作って、久しぶりに一緒に食べた。いわしの梅干し煮も、いわしが新しかったので、脂がのって美味しかった。ひとりでいることは寂しいだろうと思うので、なるべく足を向けるようにしているが、いつも忙しそうにしているわたしに、母は、たまにゆっくりして行けばいいのにという。今日は、早めの時間に一緒に食べたが、すぐに帰って姑に昼食の用意をしなくてはならない。

午後は、歯の定期検診と、先日、急性中耳炎になったので、耳鼻科に行って診てもらい、4時になってしまった。

中庭の工事の話で〇建設の部長と話をして、5時半にkenを学童へ迎えに行く。

月の半分、パートで働いて、残りは父の見舞いと、母の様子を見に行く。そして、合間を作って、せっせと山行きと、弓道へ行っている。なので、休みの日でも殆どうちにいない。たまに家にいるところへ、用事があって訪れる人は、家にいるわたしを見て、「奇跡的に会えた。」と、興奮する。

のんびり温泉とか、旅行とかいうのではなく、遊ぶのも一所懸命の遊びをしているなあと思う。息を切らして山に登り、荷車を押して山に登るような修行の弓道をしている。ちょっと手を緩めると、ダダっと荷車ごと登山口まで落ちるような弓道である。賽の河原みたいに、何年たっても上達せずに、それでも少しずつ段は上がったので、相撲のように角番がないことに安堵するというような消極的な弓引きである。でも、山も弓も友達がいることが楽しい。

一所懸命遊ぶことが心のよりどころである気がする。

 


ブラタモリ 黒部ダム

2017-10-14 | 山歩き

ブラタモリで「黒部の奇跡」と、題して、秘境黒部をやっていた。

前に、NHKスペシャルの「ジオ・ジャパン」のDVDをいただいて、日本列島の成り立ち、山々の誕生を興味深く観た。それに関連する山の話も興味深い。北アルプスの成り立ちを復習する。

いつか殿に連れて行ってもらいたいと言っていたが実現しなかった。殿は旅行会社にいたので、何度か行っていて、わたしが、何かの折に黒部のトロッコ電車にも乗ったことがないなあと言うと、いつか連れて行ってあげると言ってくれた。いつかというのは、だいたい実現しないのだ。いつかお金持ちになりたい。いつか背が高くなりたい。などという、いつかは実現しないいつかである。

今夜は、TVで山を眺めることにしよう。立山連峰と、後立山連峰、黒部峡谷の奇跡的な造形をみる。

アーチ式と重力式ダムの複合にした訳。すばらしい設計。日本人の知恵と努力!!すごい。やっぱり行ってみたい。よしっ!友達を誘って行こう。春か夏がいいのだろうか。


矢立て

2017-10-13 | 弓道

便利軒に頼んであった矢立が出来た。

以前、矢の話をしていた。猛禽類の羽を使えなくなって、無用の長物みたいになった高価な矢を飾るしかないと言ってたら、廃材を使って作ってくれて、漆塗りのような仕上げにしてもらった。

玄関に飾った。いよいよ、腕を磨かず弓具を飾りだした?でも、なかなか良い。矢筒に入れっぱなしで、誰の眼にも触れさせないと、矢羽根もぼろぼろになってしまうので、ようやく日の目を見たという訳だ。

しかし、肝心のわたしの射は日の目を見ることが出来るのか。

「練習は裏切らない。」と、言うが、裏切られるほど稽古をしていないとばかりに、やたら引いていたら、右の手首と、肘が痛くなった。先輩も、審査前に引き過ぎて肩を壊したという。急に矢数を増やしても効果がない。と、言うより身体を壊す年頃である。

練習に裏切られる年齢なのか。いや、やり方が悪いのだろう。ほどほどに、身体を大切に!?山登りは、足を前へ出していればいつか頂上へ着くのに、弓の頂上は何処かいな。以前、そんなことをぼやいていたら、Rさんに「山も、違う山へ行くには、一旦下りるやろ。」と、言われ、なるほどなるほど、そうだった。より高みへ上がるには、下りるのだ。しかし、現在のわたしの位置は、雨に濡れたチブリ尾根かも・・。手が痛い、先が見えない。進んでいるように見えない。一旦下りたら登る体力がない。くうっ――情けない。

殿の笑顔の写真を見たら「頑張っても、ダメなものもある。」と、言われているように見えた。それでも、生きている間は、一歩でも前へ進まなくてはいけない。それも辞めたら、もっと情けない。


かぼもち

2017-10-12 | 料理

昨日はクーラーをつけようかと思うほど暑かったのに、今日はぐっと冷えた。こんな日は、温かい鍋とか、ホットプレートを出して温めるのがいい。

で、孫たちが帰る頃を見計らって、かぼもちを作った。カボチャを茹でて塩を少し入れて、片栗粉を混ぜて、ホットプレートで焼く。少し焦げ目がついたほうがよい。アツアツを、ポン酢で食べる。

たくさん作って持っていくと、子ども達が遊びに来ていて4人で、あっという間になくなってしまった。「ポン酢、うめーー。」と、言う。ポン酢なしではいまいちなのだ。


チブリ尾根

2017-10-10 | 山歩き

チブリ尾根は長いぞー。と、職場の先輩は言う。実際長いのである。

チブリ尾根避難小屋から、市ノ瀬まで6.6km。南竜ケ馬場から別山に登り市ノ瀬までは13kmとなる。山の13km!?

チブリ尾根避難小屋に12時過ぎに着いて、12時40分に出発した。予定では3時間ほどで市ノ瀬へ下りるのだが、途中の風で前へ進めなくなったので、ロープをつないで13時20分くらいに歩き始めた。ここから3時間はかかるだろうと思う。

そうすると、順調にいっても16時20分くらいになる。下りるのは得意だとばかり、小走り状態でついていった。尾根の水平の道は足を前へ出してさえいれば進む。しかし、山で小走り状態が続くわけがない。落葉のフカフカ道も気持ちいいが、段差を短い脚で下りるたびに疲労が出てくるのが分かる。しんどいと思ったが、ここは踏ん張らないと置いて行かれるとばかり進む。時間はどんどん過ぎていく。

雨に濡れて美しい。しかし、わたしのザックはカバーが飛ばされたので、ずぶ濡れだ。風は木の枝がゆさゆさ揺れることで、まだ吹いているのだと分かる。木に守られて、何とか風に合わずに行けるようになった。

だいぶ下ってきたと思った。ようやく標識があったと思ったら、市ノ瀬まで後4.7kmとあった。別山から4.7km下りてきて、まだ半分下りなくてはならない。ガーーン。まだ半分・・みんなの足が速くなるのが分かるだけに気持ちが焦る。

雨足はひどくないが、寒くなってきた。足が止まった。心拍数がひどく上がってきたので、息を整えたとき、友達がザックを持ってくれたが、寒いのでフリースを出してもらおうと思ったが、すでに荷造りをしながら、先に歩くように言われたので、歩けば温かくなるだろうと安易に考えて歩き出した。しかし、ザックを降ろした背中は寒い。歩いても歩いても身体は寒くなるばかり。ついに、息が上がるのと、寒くて身体がしびれてきたので、完全にやばいと思った。もうすぐ車道が見えてくるというところで、足取りはフラフラだった。

休憩して、フリースを着て、熱いお茶とカロリーメイトを無理矢理ほおばった。お茶を飲むたびに身体に力が湧いてくる気がした。すっかり温まり、再度歩き出す。

ついに、工事用の車道に出た。そこを横断して再度林道に入るのだ。ここまでくれば安心。大幅に時間オーバーして、市ノ瀬の駐車場に着いたときには、16時50分だった。

この後、展望の湯に浸って、ようやく生きた気がした。それでも、頭は興奮状態でぼっーーとしていた。もともとボッーとしてはいるが、地面に足がついていないような感じだった。

仲間に無事に下ろしてもらったことに感謝。感謝。

 

 


別山 ~ チブリ尾根

2017-10-09 | 山歩き

10月6日。ぐっすり眠ったせいか食欲も出て、脚もピンピン。筋肉痛もなくどこも異常なし。南竜山荘を6時半出発。

南竜ケ馬場から見た白山。庭園のように誰かが石を故意に置いたように美しい。

油坂の頭へ登り、その後、御舎利山を巻いて別山へ登る。目の前の山を見上げ、少し不安ながらもスタート。不安は、別山からチブリ尾根のルートは長いので、何かあったら、にっちもさっちもいかないということだ。ちなみに、にっちもさっちもとは、二進も三進もと書くので、とにかく、足を前へ運んで、ひたすら歩くしかない。

昨日の行程は、登りだったが、下りは得意だから大丈夫とたかをくくっていた。

この流れを越えたら別山の方には水がない。たっぷりの水を仲間が持ってくれて、わたしは身軽に登らせてもらう。頼りっぱなしで、山の地形や行程もちゃんと頭に入っていないという事を反省。登らせてもらう形となって、友達に申し訳なく思う。雨の予想もあるので始めからスパッツを履いていたが、それも着けるときモタモタしていたので、ちゃんと家で練習してくるように注意された。それだけ、危険が伴うという事と、真剣に登らなくては危ないという事だ。そのため、迷惑をかけないように、ひたすらマラソンランナーのように、頑張って頑張って体格の良い人たちについて行く。少しつらいが歯を食いしばって進む。だんだん苦しくなると、心の中で数を数えて登る。1000歩目で水分を補給する。それでも遅れてしまう。

尾根歩きは初めてだ。風で身体が持っていかれそうな時がある。歩くと汗ばむが、止まると一挙に寒くなるので、フリースを着ていたが、レインウエアを着た時点で、フリースを脱いだ。

昨日の禅定道では3人ほどしかすれ違う人がいなかった。今日も朝一に南竜に向かう女性の二人連れが別山から下りて来たのに会っただけ。

岐阜県の標識。登れば下りまた登る。

細い尾根の道が見える。低山登山、安全登山だったのに、今、行かなければ、年々体力がなくなって登れなくなる気がして少し無理な登山かもしれないと思いつつも、何とか行ける気もするという気持ちで来てしまった。昨日も9時間頑張ったのだから大丈夫。

アルプスが観える。しかし、ゆっくり眺めている余裕がない。

尾根の途中の笹のあるところで、ようやくおやつ。寒いので熱いコーヒ―がありがたい。ドーナツを食べる。

少し元気になって別山頂上に到着。万歳!風の為に弱々しい万歳。

観光新道で休んだ時に10円拾った。その10円と、100円を賽銭箱に入れ、無事下山できることをお願いする。

別山から観る白山頂上とお別れし、御舎利山へ向かう。チブリ尾根へ行くには、御舎利山へ登らなくてはならないのである。そこで風が強くて、目にゴミが入った。があ~ん。コンタクトは不便だ。サングラスをしておくべきだった。しばらくうずくまって目を直す。

 御舎利山の頂上。下から見たら誰かが立っているのかと思ったが、木製の何かだった。何か確認する間もなく下る。10時30分。だいたい予定通り。

 下り始めて、ギャー―!!。熊の糞を確認。

改めて標識の距離を見る。南竜ケ馬場から6.5km。別山まで2.8km。残り市ノ瀬まで6.6km。

チブリ避難小屋に到着する頃、天気が崩れ始める。小屋の中で温かいカップ麺とパンと缶詰で昼食を摂り、各自ボトルに熱いお茶を入れた。これが後で役に立ったのである。実はこの時点で食欲がなく、食べるのも遅いし、チョコレートを最後に口に入れて出かける。窓に雨がぴしぴしと当たり、雨が小屋に入り込む。空は薄暗くなってきたので、早めに下らないと暗くなるので心配だ。

紅葉を愛でる暇もない。チブリ小屋を出て少し尾根を歩いていると強風にあおられた。足が進まない。身体はよろけて、足元の丈の低い笹にしがみつくしかなかった。前の友達のザックカバーがめくれた。その時、不吉な予感が。わたしのザックカバーは、シャワーキャップのようにゴムで止めるだけだ。案の定、風に飛ばされて既になくなっていた。

この強風。風速20mほどあるのではないか。実際、風速20mがどんな感じなのかわからないが、普通に立っていられない。前へ進めないどうする。


白山禅定道 その2

2017-10-09 | 山歩き

巨木を撮るのを控えると言いつつ、巨木に出会うたびに「おおっ!!」と、シャッターを押してしまう。紅葉と変化に富んだ禅定道は、疲れも知らずトコトコと進んでいくと、木道に出た。

 

慶松平に予定通り到着。禅定道では殆ど人に出会わなかったので、ここで食事を摂っても誰も通らないであろうと、木道に座って待ちに待った昼食。熱い野菜スープが美味しい。

ようやく別当坂分岐で、いよいよ観光新道である。ここを通るのは3回目だが、登るのは初めてである。

仙人窟をくぐる。殿が池避難小屋まで遠い。

ふりかえって、歩いてきた道を見て凄いと思った。

殿が池避難小屋が見える頃からばててきた。なかなか到着しないと思えたのだ。観光新道は水がないので、トイレもひどかった。水のタンクからペットボトルで汲んで流すのだが、その大きなタンクは空だった。トイレットペーパーも必須である。でも、小屋があるのはありがたい。

蛇谷を通り、白山の頂上を間近に見ながら天気に恵まれたことに感謝する。

 

ひたすらみんなについて行く。歩数を数えたり、歩幅でメーター数を数えたりしながら途中で数が分からなくなり、無口になりながら歩く。息が上がってくると足が前へ出なくなる。それでも進む。到着。黒ボコで休憩。つらいと言いながら黒ボコによじ登って写真。

 

16時に到着予定だった南竜山荘に16時50分に到着。みんなが山荘に入ってしまったのに、わたしは、ここの階段で脚が上がらなくて困った。

ザックを置いてすぐ食事。ビールを楽しみにしていたのに、一口しか喉を通らなかった。味噌汁が身体にしみわたる。食事は翌日の為に完食しなくてはならない。その後、6時過ぎにはもう寝てしまった。バタンキューとはこのこと。

山荘の客は10人ほどだった。静かな秋の山荘である。明日が怖い。天気も夕方に崩れるだろうとのこと。無事下りられますように。

 

 


白山禅定道 その1

2017-10-08 | 山歩き

10月5日出発。白山禅定道(旧越前禅定道)を行き、南竜山荘で泊まり、翌日は別山からチブリ尾根を下るというルートに挑戦。初めて白山に登頂させてくれた仲間と同行。

しかし、無理のない行程にしたものの、市ノ瀬から出発し、一日9時間歩くことになる。今までの登山で、一日に長く歩いたのは、白山をその日のうちに頂上へ行って室堂に泊った時と、黒ボコまでの、モッコウバラさんとの日帰りでゆっくり9時間歩いたことで、その実績だけで行けるのだろうか心配だった。天気と仲間に助けられ何とかたどり着けることを祈り出かけた。

今までの山行きで、幸いにも筋肉痛になったことがないということは強みではあるが、体力がある筈もなく、上へ行けば心拍数は上がりっぱなしで、しんどいことは予想できた。

食料や飲み物は仲間に持ってもらい、わたしのザックは少しでも軽くという配慮をしてもらった。

さて、6時50分市ノ瀬で登山計画書を提出。

白山遭難の碑にお参りし出発。

禅定道というからには、修行のような登山道なのではないかとドキドキする。真夏にはにぎわっていた白山も、この時期は車は殆どない。まず目指すは、木立の間から見える「六万山(ろくまんざん)」。次に「指尾山(さしおやま)」を経て、慶松平まで4時間かかり、ようやく観光新道へ入る予定だ。

わくわく吊り橋。

いざ行かん。

林道を経て、一旦道路に出て、控えめな道しるべ「白山禅定道」の登山口を見つける。

途中で見つけた塚?山田さん?ちゃうやろ。何ですか?疑問を残したまま通り過ぎる。

 

いつも思うのは、登り始めって足が動かないのに、歩き始めると何となく調子づいてくる。

8時40分「六万山」に到着。そして、下る。当然だが、次の山へ行くには、一旦下るのである。せっかく登ったのに下るのだが、下りながらも白山に近づいて行くのでひたすら歩く。

どこが登山道なのか分からない。岩をよじ登り、すき間を縫っていく。

巨木が多い。巨木に驚いていたら、次々にあるので、これを撮っていたら巨木アルバムが出来そうなので、写真を撮るのを控えた。

木をくぐり、岩をよじ登り

「指尾山」に9時20分に到着。再び下る。

登山道は枯葉が積もってふかふか絨毯のように気持ち良い。巨木、巨岩と変化に富んでいるので楽しい。変化に富んでいるついでに、マムシの日なたぼっこ。刺激を与えないように通り過ぎる。ギャーと思いながらシャッターを押している。

「剃刀窟」(かみそりいわや)がある。泰澄大師が剃髪した場所とのこと。

またまた岩をよじ登り、身体の小さいわたしはそろそろ疲労とお腹が減ってくる時間。なかなか休憩をとらない仲間に必死で着いて行く。

木道にホッとするのもつかの間。

梯子段をよじ登る。きつい・・

おまけに、明日はあの尾根を下るのだと思うと気が遠くなりそう。いや、まだ始まったばかりだ。

次々に現れる梯子段。さて、どうなるのか。