まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

富士周遊旅行 その1

2009-09-29 | 旅行
前から行きたかった両親の思い出のお寺、身延山久遠寺。
わたしをおぶって両親がお参りしたのだ。
富士山も見たいというわけで、今回待ち遠しい旅行だ。
前から予約してあったが、前日に親戚の葬儀があり一時は行けないかもと諦めかけたが、なんとか行けることになった。9/20出発。

9月はゆっくり休みをとっていない。
悪いことが起きませんようにと、ここのところ引き続き入院騒ぎがあったので、厄払いがてらお参りを。



お寺に年回りのことが書いてあって、主人は厄年、わたしは八方塞の年とか。
いろいろあってもしょうがない。しかし、今年も残すこと2ヵ月だ、なんとか楽しく乗り切ろう。

早朝5時出発し、加賀温泉発のバスに主人と乗った。
わたしたちが始発で、次々と金沢まで人を拾っていく。
金沢で乗ってきた最後列の3人とその前の席の女性ふたりが仲間のようで、朝から呑めや騒げやで盛り上がっていた。
わたしたちの席はその女性の横だ。
後ろの男性ふたりと豹柄ファッションの大阪のおばちゃん風の人に圧倒されていた。
また、横の女性二人も、パッと見派手な感じで、水商売の仲間かと思えた。
後ろの大柄の男性がなかなかにぎやかで、きっぷのいいお客さんが飲み屋のママ連中を連れてきたのかなと思えた。一緒にいる気弱そうな若い男性は、このお客の部下かなあ。
大変な席に座ってしまった。

主人とわたしは、ぼそぼそとガイドの話についてのコメントをしながら、ふたりでつまらんギャグを飛ばして、静かに笑っていた。
昼食後に、仕入れた御柱のワンカップをちびちび飲みながら、相変わらずつまらん駄洒落を言い合いながら、ぼそぼそ笑っていた。

ツアーの夜の宴会は前は、みんなでカラオケをしたりして結構盛り上がったが、この頃はそれぞれのグループが声を交わすこともなく、食事を終えて退散する。
例のグループは勢力を増して、どこかの夫婦を引き入れて盛り上がりだした。
わたしたちは、盛り上がりの人たちに拍手を送って退場。

ホテルでの宴会も終わり、足湯で一服し、ホールでの太鼓を聞いた。
その後、カラオケでも行こうかと1階のカラオケルームを、主人とふたりで覗いたが静かで躊躇していたら、反対側の貸切のカラオケルームから、豹柄の姉さんに呼ばれた。
「こっちで一緒に歌わんか・・一緒なバスの人やろ」

あなおそろしや・・・続く

十万石まつり

2009-09-28 | 弓道
9/10 北海道から帰ってきた週に、またしても弓道大会。
「十万石祭り弓道大会」で、土曜は準備、日曜は人手不足でてんやわんやの大会だった。
約200名の人数をなんとか高校生の手も借りて運営した。

唯一、南加賀の中学生や高校生が出場できる大会だ。
十万石まつりに行うのは、もともと錦城山の下で、げんば祭り弓道大会というのをおこなっていたことからの名残りだが、山口げんばと十万石の前田の殿との関わりが分からない。
祭りの由来はともかく、この祭りの神輿は厄年の男の人が担ぐ。
そのことで、同窓会よ再び・・というかんじになる。

大会がとどこおりなくすみ、祭りの屋台を娘と回った。
わたしの弓道の後輩であり、弟の同級生でもある○岩君が、
「同級生でTシャツを作ったんや」と、見せてくれて「○也に1枚あげるわ」と、言ってくれたが、申し訳ないので、同級生がやっている屋台で買うよといって探した。
弟の幼馴染の○彦くんが描いたという絵柄だ。
辰年なので龍の絵が描かれている。
残念ながら、黒のほうがかっこいいのだが、Mサイズしかないので、彼の体格を思い出して、白のLにした。
「Tシャツお買い上げ」の声に拍手。

○彦君が「○也の姉ちゃん」と、紹介したら何人もが寄ってきた。
「おれ、○下・・遊びに行きました」とか、
「おれも・・・遊びに行きました・・」そういえば聞いたことあるなあ、あだ名も覚えがあるなあと思うのだが、弟と9才も歳が違うので、全く顔をみても同じ町内の○彦君しかわからない。
弟が人気者だったせいか、娘とわたしが美しいせいか定かではないが、久々に男性に取り囲まれ、缶ビールやチュウハイを何本か袋に入れてお土産にもらった。
考えてみたら、みんな大変酔っていたが。

わたしたちも、ちょっと前までは、ここで蕎麦屋を同窓生でやっていた。
祭りには同窓生が集まるというのはいいなあと思う。

弓道大会もあり、同窓会もある祭りは楽しい。



留辺蘂視察 最終

2009-09-17 | 弓道
女性は男性よりおしゃべりというが、ここでは違う。
皆が、よく視察し意見を交し合う。
視察員席に戻り、頂いたおやつのジャガイモやとうもろこしを頬張り、厳しい意見、加賀での会場の狭さなどをどう解決するか、熱い議論は続く。

おまけに居酒屋で値切った上に、イカリング揚げを店長からせしめ、秋刀魚の炭火焼きがめっぽう美味しくて、又来るよと言い残して(たぶん来れないと思う)去る。


最後の日には、熱い議論は、どこで何を食べるかという問題に直面したとたん、ぶっとんだ。
○井先生お勧めの地ビールの店で飲み放題となった。



男の人と行動していると、飲むも食べるも完全に割り勘負けになるので、負けずにワインを呑んだ。満足だっ。



酔いがまわりだし、ついに互いに、会長を「弓道馬鹿」呼ばわりし、会長は理事長と副理事長を「大バカ」と呼び、各自が「根性よし」と、「だら」であることを認識した。
考えてみれば、ボランティアでこの先のイベントをこなさなくてはならなのだ。
大バカ、小バカ、善人たちを多く集めて協力してもらわなくてはならない。

視察へ出向いた責任は重い。
帰ったら忘れないうちに報告書をメールしなくてはならないが、会社のことがちらりと頭によぎった。
それを振り払うために、もう一口ワインを呑んだ。



爺様 退院

2009-09-15 | 暮らし
父の怪我は、ことのほか軽くて良かった。
背骨のひびだけなので、入院中も元気で、愛想を振りまいていた。
リハビリの若いお姉さんに、動作が速すぎるので、ゆっくり動かしてくださいとたしなめられていたそうだ。
「あわてんぼう」と、自称していたが、屋根からの落下を含めて「粗忽者」という呼び名があることを、父に教えた。
父は肩を上下して笑いを抑えていた。

何より、母が大変だったのでほっとする。
母は、病院までの遠い道を自転車を持ってきた。
病院まで、タクシーか、誰かの車などできて、病院周辺で買い物をするときに自転車を使った。
80才に近くなったら、腰痛も苦しいので、自転車だと歩くより楽だとのこと。
幸い、父母には兄弟が近くにいるので、時々車で回ってもらえた。

ところが、退院が決まって、わたしが自転車を自宅まで持ち帰る話をしていたら、病院に置いてある自転車は、だれかにいたずらされて、チューブが抜かれたそうだ。
ひどいことをする人がいる。
年寄りが、自分の足代わりにしている自転車を。
せっかくの退院に残念な気持ち。

しかし、何はともあれ父の退院を喜びたい。

監督会議視察  雄大な大地

2009-09-11 | 弓道
宿泊している北見市から、弓道場のある留辺蘂まで、レンタカーで移動中、みんなの気を引いたのは、ダイナミックなじゃがいも畑と玉葱の収穫。
レンタカーのナビは、ただの真っ直ぐな線と、左右に四角い区切りがあるだけで、どこまで行っても目印らしいものがない。
走っても走っても畑が続くのだ。見える景色の話題となると畑の作物のこと。

わたしたちのところでは、春に収穫なのに、ここでは玉葱用のコンバインで、まさに収穫の最中。玉葱はコンテナにどんどん入れられて、畑のあちこちに居座っている。このコンバインは「Onion-Harvester」と、名づけられているらしい。

また、どうしても気になる緑の畑。後で聞いたら「ビート」ですと教えてもらえた。砂糖をとるのだ。

ようやく開会式会場に着いた。
アトラクションは、視察員の席が最後列なので見えなかったが、後の監督会議では、引き続きアトラクションかと思えるような質問が飛び出してくる。
質問の中に
「試合後、早く帰りたいので、弓道場と宿泊先の送迎バスを留辺蕊駅に止めて欲しい。」と言う。
「駅は、弓道場から皆様の宿泊までの送迎の間にはないのです。宿泊先より向こうですので、途中で止めて欲しいと言われても大変難しいです。」
それを受けて、不親切だとまで言われても、北海道の○井先生は穏やかだった。

お世話してもらって、不十分だ不親切だと、面と向かって言えるのは、年配の方の特権。若輩者には絶対吐けない台詞だ。

それに、答えていく○井先生の穏やかな対応。
これこそ、北海道の雄大な大地が育んだ雄大な心の持ち主と思われる。
すぐにファンになってしまったのは、言うまでもない。
北海道の大地にちなんで○井先生を「ビート清治」と、呼ぼう。
どこかで聞いたことのある名前。

来年加賀市での監督会議も、どんな質問にも柔軟に対応しなくてはならない。
先輩諸氏は、どんな質問が飛び出すかとわくわくしていた。
ねんりんぴっくのポイントは、「なんでもあり」大会。
メンバー変更有、特別賞品あり、特典あり。
こんな楽しい大会を、60歳の以上の方々が満喫しているわけだ。

ここに、否定はない。
そして、常連さんはさらにバージョンアップのもてなしを期待する。
サプライズを!!
ここで初めて、大会の恐ろしさを実感した。

帰りには、車を止めて畑のビートを間近に見た。
会長は道路から畑へ降りるときに芋虫のようにころがり落ちた。
会長の転がるのを見て、やはり、来年の加賀の大会が心配だった。

ねんりんぴっく 視察 留辺蘂

2009-09-10 | 弓道
9/4の夕方に小松を出発した。
北海道行きは4月から決まっていたのに、今までに婆様の怪我入院、爺様の怪我入院と続き、もしや行けないのではと思っていたが、婆様退院、爺様も歩けるようになったので出かけることができた。

だんなは、4泊5日の間娘に託した。
無理して行かなくてもというだんな様には、
「全員入院したんだから、わたしも入院したと思えばいいじゃん」
と、なんの説得力もない理由で説き伏せた。
迷惑をこうむったのは娘だろう。
まあ、花嫁修業ということで。

「どこ行くんだ?」「るべしべ」
なんか、網走の近くらしい。
羽田へ飛んで、東京一泊のため大森海岸駅へ向かう。
北海道は明朝出発。今晩のごはんは小松でビールとそばのみ。
全員、足らない分コンビニで買出し。
わたしは、缶ビールと枝豆。
質素なスタートですが、この後、太ることは予想されるのでこれで我慢。
5人の殿方とわたし。



翌朝、女満別空港到着9時45分。

出口では、歓迎の旗に迎えられたが、ことのほか静かな空港だった。




視察員には県の弓道連盟のお歴々が選ばれ、若手の有能者が選ばれた。
わたしは、行くべき人が行けなくなって、替わりに行けることになった。
○田さんは男性なので、その代わりに男装して行かなくてはならないかねーとか冗談を言っていたが、のちのちこれが事件を呼んだ。
しかし、これは語るにはややこしいので、とにかく留辺蘂へ行こう。

来年は、加賀市で弓道のねんりんぴっくを引き受けるため、しっかり視察を。
副理事長からのメールに、各自が何を主に見るかの課題が与えられた。




爺様の入院生活

2009-09-03 | 事件簿
今回の怪我で、いちばん被害をこうむっているのは母だと思う。

父は初日から、ペンキを被って真っ黒になって、部屋の人たちに笑いを提供するのみならず、毎日見舞いに来る人にも、なんだかんだと笑わせる。

見舞いに行くと必ず父の声が廊下に漏れてくる。
自分は寝たまま、病室の人たちが父のベットを囲んで談笑している。
寝落語かい。
顔を出すと、「しゃべりすぎるな。しゃべり過ぎると品がなくなるぞ」と、上品なわたしに向かって、しゃべりっぱなしの父は言う。

おまけに、今日は血圧があがったことを人のせいにしていた。
「友達が来て2時間もつまらん話をしていったので血圧があがった」
といい、自分の素行に対して反省もない。
父のせいでみんなの血圧があがったり、母の疲労が溜まったりしていることを説明すると、聞こえないふりをする。
おしゃべりで、耳の遠い年寄りは難儀する。
自分のことを大声でしゃべり、自身で受けて笑い、人の話には耳を傾けない。
聞こえないので、傾ける努力はしているが、たいがい自分勝手な解釈をしている。

母は、病院までの足がなく私が会社へ行くときに送っていくと、今度は帰りに買い物をするために腰が痛いため歩くのが辛いらしい。
自転車だと身体を支えて引いたり、ゆっくり乗ったりしていると楽だと言う。
しかし、自転車も心配だ。

自力で起きてトイレへ行けるようになったので、母もしばらく行くのを控えてもよいのではというが、母も通うことが義務のようで、頑張っている。
やはり、どちらかというと母のほうが心配だ。


赤目四十八滝ウォーキング

2009-09-01 | 暮らし
会社の行事で、娘と前から予定していたウォーキングに参加した。
申し込みの時点では、姑も退院するかもしれないという期待のもとに。
案の定退院が決まり、ほっとして出かける。
しかし、この行程で自身が事故に遭わないよう注意しなければならない。



三重県までのバスの中は、落語家のようなガイドがついて、非常に楽しく、
「赤目四十八滝で遭難した場合、はじめから来ていなかったことにして、置き去りにします」と、言う。
そのガイドは、社内の安全衛生課の津○氏。

滝がたくさんあることを表すのに、四十八と言うらしい。
4キロほどの道のりで、川に沿って歩くのだが、階段を登ったり降りたり、
足を滑らせると川に落ちそうな狭い道などで、全行程を歩くには120分かかる。

怪我をしないようにと言いつつ、後ろの娘に振りむきながら話をしたら、道に出っ張っていた木の幹にごおーんと頭をぶつけた。
「すごい音したよー」と、娘は心配するが、わたしはそれほどではなかった。
もともと壊れているか、がらんどうのような作りだから、鐘のように響くのか。
「何か事故があったら、適切な対応は○君へ、やくざに囲まれたら○課長へ、
いい加減な対応はわたくしへ」という津○氏。
「何かあっても、ここで怪我をしたとは言わないでください。」
という注意事項を忠実に守った。
もう定年を迎える彼の、綾小路節もこれで終わりかと思うと寂しい。



帰りに雨が降り出し、木々に守られてさほど濡れなかったが、帰りには先に歩いていた娘が振り返りざまに、ぬかるみに足を沈めていた。

帰りには温泉につかって、快い一日を終了。
津○さん曰く
「42名、奇蹟的な全員の帰還に感謝します。」