まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

日曜金沢

2013-07-31 | 暮らし

交流分析の三回目の講座で、金沢に出かける。武蔵までなので駅から歩いても良いのだが、暑いのでバスを待っていると、赤い周遊バスに、やかんのモニュメントに腰かけていた外人さん達が乗り込んでいったので、わたしはそこに腰かけて、次のバスを待つことにした。

と、腰かけるところにカメラが置いてある。急いでカメラを持って、バスの入り口に走りより「どなたのカメラですか?」と、英語でとっさに出てこないし「whose?」と、言う前に「camera!camera!」と、叫んだら、男性の外人が取りに来た。持ち主に戻ってよかった。先日、友達が英会話を習っていると言う話の中で、日本語英語は全く通じないと言っていたので、今日の「カメラ」は、心なしか「キャメラ」と、言う感じで発音していた。

さて、言葉の通じない外人なら通じなくても仕方がない場面はあるが、ビジネスや、教育、家庭の中で、同じ日本語で話しているのにこじれるこじれる。

そんな交流の、交差をこの日に習った。そして、腹の中で何を考えているかという例題で、心の動きを分析していくので、だんだん難しくなってきたが同時に面白くなってきた。

 

 

 


ハワイアンなモーニング

2013-07-27 | 暮らし

家族8人で暮らすと、食事の支度は大変なものである。いつもは、年寄夫婦と4人なので、有り合わせでも文句は言わないが、働き盛り、育ち盛り、見た目も美味しそうでないといけない。

朝は、戦争のようである。「はやく。はやく。」と、言うなというが、全く動きをみせない子供たちに、どのような適当な言葉があるか。5時に起きて朝食を作っていると、娘が起きてきて、子供たちと自分の弁当を作り出す。6時にだんなとわたしが食事をした後、娘たちが食べ、出勤した後、子供がだらだらと食べていて、結局食事の片づけが終わるのは8時となる。3時間食事に費やするのだ。そのあと、ぐずぐずする孫を保育園へ送っていくのである。

夜は夜で、買い物をすませて5時から下ごしらえをするが、時として、ビシソワーズなどを作ろうとすれば、冷やさなくてはならないので、4時ころから始める。

幸いテーブルが広いので、8人座ることができるが、大宴会である。大皿盛りは3皿に分けないと届かない。

というわけで、せめて日曜日は、のんびりと外でハワイアンな食事にした。パンとサラダと牛乳で、目玉焼きは起きてきた順に焼いてあげることにして。しかし、これも食後のコーヒーだ、デザートだと続くのであった。

わたしは無報酬のシェフとなる。

 

 


男たちの大和

2013-07-25 | 暮らし

実家の父は本が好きなのだが、このところ細かい字が読めなくなり、単行本も高いので、難儀している。

父の言う「古本屋」(ブックオフ)が、なくなってしまったので、今読んでいる「男たちの大和」の下巻がないので残念がっていた。図書館へ行って聞いてみると、館内の別の書庫にあったので、さっそく持って行くと喜んで読み始めた。映画も好きで、御経塚まで観に行っていたが、今では駐車場から映画館までが歩けない。

友達は、7人中3人亡くなったというし、足も痛いし、孫の結婚式へはとても行けないと言われた。口が達者なので元気そうに見えてしまうが、確かに半年前よりずっとひどくなっている。こんなに、ひどい状態で、わたしが手術した後、金沢まで運転してきたと思うと、申し訳なく思う。

山の畑へ行くのも、登りより降りる方がきついようで、後ろ向きに降りるのだという。わたしが、会社を辞めてから、頻繁に顔を出すようになって、つくづく大変なのだということが分かってきた。何より、老夫婦で、家の賄をしていかなくてはならないことも、ボケ防止とは言うが、身体が動かないと大変だと思う。ちょっと銀行、ちょっと買い物と思うことが、「ちょっと」ではなく、おおごとなのだ。

戦争に行った父の大和への思いと、自身の人生に思いをはせている時間が、今の父にとっての楽しみなのかもしれない。

 


子供の目線

2013-07-25 | 暮らし

線といえば、子供の判断力や感性というものに驚かされる。子供の目線というのがある。

今、娘家族が家が建つまで一緒にいるので、毎日が「おもしろ男の子たち観察記」みたいな状況だ。特に4歳kenは面白い。

「じいじ、いってらっしゃい。ばあばは、じいじで稼いどるんやね。」とか、言ったりする。また、保育園の道中の草の中に、お菓子の袋が捨ててあって、「ゴミは捨てたらいかんね。帰りにばあば拾っておくわ。」と、言いつつ帰りは暑くてすたすたと帰ってしまった。翌日、同じところで孫は袋を見つけた。ばあばは拾わなかったのであるが、「あっ。ばあば、また捨ててあるんね。せっかくばあばが拾ったのに。」と、言うので、この日の帰りは暑くても、道路のわきに落ちていた、汚い袋を拾って帰ったのだった。

いい加減なばぁばは、深く反省した。ゴミを拾わないのと、捨てるのは同じくらいのレベルだと子供に指摘されたような気がした。

また、わたしが病後、ウィッグをやめて、ベリーショートの髪に帽子という姿で、送り迎えをしていたが、ある日、帽子を忘れて行ってしまった。途中で気付いたが、「帽子忘れたけど、まあいいか・・けっこう伸びてきたし。」と、言うと「ばぁばの癌がばれるかなあ。」と、言う。わたしは、別に隠してもいないのだが。「大丈夫や。もう治ったし。」と、言って園に着くと、先生が「わぁ。ken君のおばあちゃん、思い切った頭にしましたねぇ。」と、言われた。その途端、わたしの足にしがみついて、なだめるようにとんとんするので、びっくりした。傷つくと思ったのか。嫌なことを言われて、我慢していると思ったのか。

おにいちゃんも、サンダルを波打ち際で濡らしたときに、「海に入ったんか?」と、言うと「オレは入らないよ。海が来たんだ。」って、言っていたっけ。


九谷焼の謎

2013-07-24 | 暮らし

先週木曜日に、山中町恩栄寺で、芭蕉の館の館長による「九谷焼の謎」についてということで、話を聞きに行った。わたし自身の予備知識が浅いせいか、謎に迫るところが謎になってしまった。しかし、伊万里焼と九谷焼のつながりや、芭蕉が隠密ではなかったかとか、色々な説を考えることは面白いと思う。何といっても、歴史は眼前で見たわけではないので、文献や残っている物で推理して行かなくてはならない。もっともっと学ぶと面白いのだろうなと思えた。

途中で、山海堂のお菓子「はなこおり」と、温泉水で入れた冷茶が美味しかった。山中温泉ならではのひとときだ。残念だったのは、友達ともう少し話をしたかったことである。

 


真っ直ぐな線

2013-07-23 | 暮らし

茶碗や皿に直線を引くことが、大変困難だということが分かった。

何気なく、九谷焼の茶碗などを見ていて、なんとなく描けそうな気になるが、いざ筆をとると、とんでもないことになる。おまけに、この暑さで下書きの呉須がすぐに乾くので、筆の流れが悪くな。また、エアコンを入れるともっと早く乾燥する。定規で描くわけにはいかないし、どうしたもんか。なかなか仕上がらなくて、午後も頑張ったが、その日はだんだん手がしびれてくるので、あきらめた。つくづく、自分の不器用さを知ることとなった。

直線というのは、絵や字だけではない、弓を引くときにも、真っ直ぐに引いているつもり、真っ直ぐに矢を飛ばしたい・・と、このまっすぐということが、いかに難しいか。真っ直ぐに離している筈なのに、何故に矢はあさっての方向へいくのか。こうしている筈というのが曲者だ。

だいたい身体が真っ直ぐではないかもしれない。弓道では縦横十文字を大切にいわれるが、ほっといてまっすぐであれば、改めて強調しないのである。なかなか真っ直ぐという訳にはいかない。

しかし、人生では真っ直ぐな人間は折れやすいと言うので、多少くねくねしていても、味があってよいかもしれない。

物事も、きっぱりとけじめをつけてしまうと生きにくいかもしれない。自分のアバウトさを弁護するようだが、昔から「柳に雪折れなし」とも言うではないか。二度と甘いケーキを食べないとか、二度と旦那に対してぞんざいな口をきかないとか、決めるとストレスになる。ほわっとしている方が良いのである。

しかし、きれいな線を引きたい。誤魔化して描いてしまうのはやりきれない。まだまだ修行の道は続く。なんで、今更修業の道ばかり。生きていること自体が修業だわ。


生き物との戦い

2013-07-21 | 暮らし

人参畑は、もぐらが穴を掘って畑の周りを防御したが、次に烏がくるだろうということで、糸を張り巡らせたら、自分が引っかかってしまった。

カボチャも、蔓を伸ばして見事に実をつけたはよいが、葉に隠れている小さな実まで烏がつつくのである。母は、「作物を作るのは生き物との戦いや。」と、いう。特に実家は、周りに家がないのと、車が来ないので、鳥や生き物にとっては、住み心地が良いのだろう。

ここで、育ったくせに、畑には全く興味もなくて、こんな苦労をしていたとは知らなかった。植えて肥しをやれば勝手に育つのかと思っていた。

わたしは、会社では現場の人と、お客様の間で闘っていたように思っていたが、今思えば、みんなに助けられていた。おまけに、戦闘的なお客にからまれたら営業の人に助けを求め、いろんなことに逃げていたかもしれない。その時は、自分がひどいめに遭ったなあとか、やっとられんとか怒って仕事をしていたが、どのくらい冷静に、どのくらい辛抱しただろうか。花も咲かず、実もつけなかったのだろうか。しかし、給料をもらっていたので、農作物よりも割のいい仕事ではなかろうか。

さて、烏にやられたので、少し早いがかぼちゃをひとつ収穫した。ほくほくと美味しい。これもなかなか良い仕事だ。

 

 


呪いの時代

2013-07-20 | 読書

内田樹氏の「呪いの時代」

「呪い」は、批判的な言葉づかいをするときの公用語となりつつある現代。と、始まるこの本のさわりの部分から入る。

「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども、彼らはそれらの言葉が他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していてることにあまりに無自覚のように思われます。

というところから、始まり呪いをとかすには、「祝福」が必要というところへつながっていく。では、祝福とは何か。自分の弱さ、愚かさ、邪悪さを含め自分を受け入れ、抱き愛すること。すなわち自分を愛すること。

この自分を愛することは、世の中で利己的で攻撃的ふるまいが増えたのは、人々が自分をあまりに愛するからではなく、そのことを忘れたからだという。

また、「賦」とという詩形が祝福の原型であるという。「賦」とは、目の前の風景を歌うことで、山が高い、森が深い、清流が澄んでいるなどの叙景の言葉をるる書き連ね、自然を歌うことによって自然に内在する荒々しいエネルギーを自分の中に取り込んでいくという。

分かりやすく言えば、震災の時にどんな歌が被災者を慰め、力になったかというところ。あの「うさぎ追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」なのだ。

呪いは祝福でとけるというところの後に、まだまだこの本の中身は、深く入っていく。


インドからのハガキ

2013-07-19 | 暮らし

以前インドにいる弟からのハガキが届かなかったことがあった。

今日、インドからAIR MAILが届いたので早速読むと「5月に帰ります」と、書いてある。「5月には会いましたよね。」というか、メールでやり取りするので支障はないが、こんなに郵便事情が悪いインドで、たくさんの会社が生産に従事しているが、大丈夫なのだろうか。

すでに、10月に弟の娘の結婚式の話でメールでやりとりしていたので、近況は分かるものの、AIR MAILが届かないとあれば悲しい。ずっと前に、両親が出した手紙は届いただろうか。わたしが封筒のあて名書きと朱書きで「AIR MAIL」と、書いて両親に「これで、届くからねっ!」という感じで、力んだが。あれは、木の葉のごとくどこかへ行ったのだろうか。だとすると、悲しい。老夫婦のたった一つの手段が立ち消えるとは。いや、そんなはずはない。毎年、インドの友達とのバースディカードと、新年の挨拶をやりとりしているが、途絶えたことはない。

そうだ、弟のAIR MAILは、朱書きしていないので、黙殺されたか。ハガキだと軽くみられるのか。不可解だ。

しかし、日本とはわけが違うぞと語っているようにも思えた。

向こうで、仕事をしている人たちは、さぞかし苦労があるだろう。


継ぎ矢

2013-07-17 | 弓道

稽古中に継ぎ矢をした。中たった矢に、つぎの矢がまた中たるのはかっこよいが、はずれた矢に当ててしまったようだ。単なる矢の損失である。今回は、筈がやられただけで助かった。

京都の審査の時に、カーボンの矢を買った。現在持っている竹矢にそっくりだが、mizunoのマークがあるので、それと分かる。上が竹矢。下がバンブーカーボン矢。

わたしの矢は、真っ直ぐに飛んでいなかったようだ。ついでに、いつものわたしに戻って、中たりはなくなった。かろうじて、びくは治ったようだ。しかし、的中が落ちると、先輩から「頬付が甘い、引き足らずだ。」と、指摘を受けた。自分では自分の姿が分かりにくいので指摘は有難いが、それだけではないような気がする。押手の角見の妥協と、妻手の手首の力が入っていることと、中指にやたら力が入っていることが気になった。ついでに、押手の押し方向も反時計回りというのが、なかなかうまくいかない。回内の入れ方も変だ。

しかし、いつまでも初心者と同じ注意を受けているというのは、情けないことだ。

 


まちのデンキ屋さん

2013-07-15 | 暮らし

実家へ行ったら、デンキ店の売り出しで買ってきたという新式の掃除機があった。まちのデンキ屋さんは、高齢者にとって量販店での買い物より信頼とサービスの点でよい。価格より気軽に来てくれることの方を選ぶ。

吸い口が光ってセンサーとなっているので、ゴミのあるところへ誘導してくれる。ゴミの袋を取り付けなくても良い。

ちょっと動かしてみると、勝手に動くので軽い。ついでに、ずるずると父のところへ寄っていったらどうしようかと思った。

後日、吸い込みが悪くて、ゴミをまき散らすので、デンキ屋さんに来てもらったらしい。ゴミのたまるところが緩んでいたとのこと。それでは、吸い込まずにまき散らすだろうよ。デンキ屋さんはにこにこ笑って帰っていったそうだ。

我が家も、移動式のTVを買って持ってきてもらった日に、都合良くというか悪くというか、二階の部屋のエアコンが効かなくなっていた。追加の注文だ。暑い夏に、財布は寒くなる。


打ち上げ花火

2013-07-12 | 弓道

おおっ!山中での矢渡しは、甲矢を抜き、なんとか乙矢をいれることができたが、最後に退場のところで、視線が伏し目がちになってしまった。着物はぐしょぐしょ。しかし、緊張感をもって引くことができた。それというのも、介添えが初心者の人なので、月曜に一緒に稽古して、まだまだ細かいところが分からないと次の日も入退場を稽古し心配していたので、一所懸命の気持ちが伝わってきた。終わった後、心からお礼を述べた。

さて、この後、8射4中で、試合が終了し、昨日の皆中はどこへ行ったの?である。掴んだようでつかめない。中たり続けると「そろそろ外れるべ。」という鈴木三成先生の声が聞こえてくる。

打ち上げ花火だ。どかーんと上がり、しゅるしゅるとしぼんでいく。下手な弓を引くと、翌日の朝、手がむくんでいる。手首に力が入っていたのかもしれない。この繰り返しを、懲りもせずにやっていくことなのだろう。

手足のしびれは、医者がおっしゃるには「まあ、しばらくはそのままですね・・」治る保証はない。なので、ちょっと負荷をかけると翌朝むくんで動かないので分かる。ある意味、バロメータになっている。

手の内を考えていたら、引き足らずになっていた。そして、手の内は押手だけでなく、妻手の手の内も気にしなくてはならなかった。何か変。そして、また振り出しに戻る。登ったつもりが、ずるずる落ちる。原因は装備の不足(技術)、体力の不足(4㌔やせまして42㌔)、食糧不足(豆腐ばかりで肉不足か!)。時間はある。出直しましょう。弓道は賽の河原だ。とほほ・


弓道は破壊か創造か

2013-07-12 | 弓道

さて、弓は引いて離すだけのもので、こんなに単純な動作にどうして苦慮するのかと思っていた。理屈もなく引いて、調子のいい時や悪い時の波がある。おまけに、悪いときは、ひたすら練習不足を訴えたりする。弓道が的に穴をあけるだけの行為であれば破壊だ。

しかし、違う。弓道は創造ではないかと思った。破壊なら簡単なのだ。的を一瞬にして貫く行為は破壊だが、矢を放つまでの過程で、様々な配慮と技術があり、そこには膨大なエネルギーが必要だ。それを、緊張感の中で、平常心でいつもの射をひたすら行い、快感に変えるエネルギーのある人が熟練した射手なのだと思う。

要するに、下手をすると何もエネルギーを使わない、考えもしないで、お祭りの射的気分で弓を引けば、破壊に属するのではないか。創造の弓の中に、満を持すとか、残心とか、多くの言葉が溢れている。

そして、内田先生の言葉を借りるなら、「自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物に向かって差し出なければならない。逃げも隠れもできない。」これって、弓道八節の打越しの無防備な動作とかぶってくる。こんな、無防備な動作から始まる武道って他にないのではないか。日置流は戦闘的ではあるが。でも、その無防備とも思える態勢に隙を作ららないことが熟練。痺れてくるこの哲学。自分勝手に哲学しているが、そこに潜む覚悟とかエネルギーが、大きな大会でものをいうはず。

全日本で、どうか石川県勢が活躍できますように。そして、ものをいう射をしてほしい。彼らの活躍は、わたしたちの道標となる。これは、断言できる。

ただ安穏と弓を楽しんでいてはいけないと言われた意味がようやく分かってきた。よい射をしていれば、そのうち中たりが来るなんて、とんでもない話だと気づいた。ほんのこの前まで、弓が引けるだけで有難いと思っていたが、それだけでは、弓道という道に失礼なのでは。遊び半分に射的をするなら、射的をしていればいいのであって・・と、なんか自分でもこの変わりように呆れている。しかし、なんか開眼したかも。

まあ、だんなに言わすと「お前の開眼など、少し度の強い眼鏡をはめた程度だ」で、あるが。

 


創造はエネルギー

2013-07-11 | 暮らし

komeさんの個展でいちばん気に入ったものを、我が家に飾ることができた。わたしの作品などは及びもつかない。緻密で、想像力と根気が伺われる。作品はエネルギーの表現だと思う。

「現物を人々の目の前に差し出して、その視線にさらし評価の下るのを待つ。自分の柔らかい脇腹を鋭利な刃物に向かって差し出なければならない。逃げも隠れもできない。自分の作り出し物がそこにあり、どの程度の人間であるかをまるごと示してしまう。」というのが、思想家であり武道家である内田樹先生の著書「呪いの時代」の中にあった。

自身が作ろうとするときに躊躇するのはその部分なのだ。作る前から、自分で大したものが出来ると思えないと評価してしまう。要するに、身の丈に合わない自尊感情を持つものは、創造的な仕事を嫌い、破壊する生き方を選ぶという。

破壊は、創造に要したエネルギーの数百分の一、あるいは、数百万分の一ですむ。要するに、創造にはとんでもないエネルギーが必要ということ。なので、作品には価値がある。

わたしも、エネルギッシュな作品を造り鯛。違った、これでは鯛のお造りになってしまう。


忙しい若者たち

2013-07-10 | 暮らし

今、若いお父さんやお母さんは忙しい。会社では業績アップ、経費削減、早い対応を求められる。とりもなおさず、娘たちも忙しい。

仕事をしていたとき、去年の今頃は全く余裕もなく、日々注文書と見積もりと、即納の催促と、不良の窓口だった。そんな時も、なるべく弓は引いていたが、学んでいなかった。忙しい時ほど勉強しろ、その時にいかに勉強したかーだ。ということを聞いたことがある。しかし、へろへろになっていた。

疲れやすいのは年のせいかと思ったりした。ふんばりが効かないのも年のせいにしようとした。しかし、年のせいにしてはいけない。忙しくても、学ぶ力があるときは大丈夫。その力がなく、何事にも興味がなくなってきたら、身体のことを心配するべきだ。疲れていたら休めばいい。

今の世の中が当たり前の速さで進んでいるとは思えない。

サービス残業も当たり前、出来ないのは自分の能力不足だと思っていた。すべては自分の責任と思わないほうがよい。これは、わたしが振り返って思うことだ。体や心を壊してからでは遅い。

もちろろん、世の中が悪いわけではない。それは、自分も加担していて世の中というものに含まれているからだ。まるで、今は幽体離脱したようにあの頃のことを思う。よくやっていたと思う。でも、ある意味、力もなかったのだろうとも思う。それでも、自分のベストを尽くしていたのだと思う。別に誰に認められなくても不器用でも誠実に働いていたのだと思う。

何より素晴らしいのは、仲間のみんなが、本当によく働いていた。誰一人としてゆったりしている人はいなかった。戦々恐々といている職場だった。お互いに、ほんとによく頑張っているねと言い合っていた。分からないのは上の人だった。皆の気持ちを分かっていなかった。けれど、分かったことは、他人の心は変えられない。自分を分かってもらえないと思う前に、相手のことも分かろうとしなかった。

少しずつ遠ざかっても、若い人たちが、ストレスに負けずに頑張れるよう祈っている。少しでも、自分の時間を増やせることを祈っている。もう少しゆったりと時間が流れるとよいだろうけれど。世の中はそれを許さない。空飛ぶ飛行機は休んだら落ちてしまう。

どうか御身大切に。