まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

チャーリーブラウンは癌だった?

2013-09-30 | 小さきもの

手術をしてから、ちょうど一年。髪の毛も生えて、普通に暮らせる喜び。

9月13日に5歳になったばかりのkenに、「髪の毛が生えてかっこいいやろ」と、言うと「ばあば、癌の時、チャーリーブラウンみたいやったねぇ。1本だけひゅーんと髪の毛あったんね。」という。確かに、完全になくなってはいなかった。途中経過は落ち武者だったのである。

チャーリーブラウンと言われて良かった。下手をすると髪の毛一本残っている、磯野波平みたいと言われずに済んだ。

kenは付け加えた。「チャーリーブラウンは癌やったんかなあ。」 ちがうちがう・・


副作用の福作用

2013-09-29 | 暮らし

抗がん剤の副作用で、指先のしびれが残った。特に手の指は感覚が鈍い。しかし、病気になって副作用はあるものの、病気は治り、自分の時間を得ることができたことと、そのために娘たちの日常を支援できることが嬉しい。

特に、弓道と九谷焼と交流分析の勉強ができることは、福作用と言える。

 

 


祈願祭と弓道審査

2013-09-29 | 暮らし

今日は小松の弓道場で弓道の無指定審査があった。先週、高校生の講習会に出て指導したが、高校に格差があり、指導者がしっかりしているところとの差が出ている。しかし、どの高校生も緊張感の中で審査に臨んでいるので、こちらも真剣になる。

高校生の審査をしている頃、だんなは市議会議員候補の祈願祭と出陣式にでていた。いよいよ選挙戦の火ぶたが落とされた。

連日、事務所に詰めていて、町内がひとつになるべく日夜出入りしている役員は大変だ。市長選と市議会議員選が同時に行われるので、人も陣営の駆け引きもなかなかの人間模様が見られる。

そう思うと、ひたすら的前で弓を引き、自分自身に打ち勝とうとする姿は神聖な気がする。神聖といえば祈願祭は神様に勝利をお願いする。審査の前にも小松市の道場の神棚に神前礼拝をする。この頃は、学校では神棚を置かない。わたしたちの高校時代は道場に神棚があって、必ず礼拝したのだが、現在は教育上、宗教的なことは排除された。しかし、この神様に手を合わせ感謝することは、本来モラルを守るという意味をも持つと思う。それを封印したのではないか。

道場によっては神棚はなく、国旗だけのところもある。国旗に拝礼して会(試合や審査)を始める場合と、神棚に手を合わせて会を始める場合とではニュアンスが違う。

神頼みではなく、今日も無事会が始められますように、そして、無事、会が終了したことに感謝をすることが、精神衛生上よいと思う。


月見茶会の射会

2013-09-20 | 暮らし

協会の先輩〇野女史の発案で、中秋の名月にちなみ、弓道の稽古の合間に抹茶を頂くという茶会をした。

会社の弓道部の先輩で、茶道の先生を呼んで、お点前をしていただき、弓道と茶道の共通点を語り、道と名のつくものの深さを思った。

弦音を聞きながらの一服は格別で、この茶会は来年もしたいと思った。狭い審判席にしつらえた座敷は、昔の利休の庵のようで、なかなか趣があり、工夫で茶をたしなむというのは、「へうげもの」の世界のようだ。

〇野先輩と、午後ふたりでセッティングし、風呂敷に月を浮かべてみたら、夜はちょうど夜空の月のような感じになった。実際、外の月も素晴らしい満月で、久々に月見を満喫する。

〇野先輩の手作りの団子と、すべてのセットの発案はすばらしい。しかし、室内弓道場の3階までを、ふたりで行ったり来たりして息切れしたが、みんなの喜ぶ顔が嬉しかった。

道場へ入ってきたみんなが、口々に「わぁー」とか、「へぇー」とか口にして、いつもの弓道場で老若男女は、仲良く遊べるというのも、弓のお蔭と思えた。

 

 


糸瓜(へちま)忌

2013-09-20 | 暮らし

9月19日は、俳人、正岡子規が亡くなった日で「糸瓜忌」という。

昨年、入院した日が9月19日である。何故か入院するときに正岡子規が床に臥せっていたことを考えた。今では医療が発達し苦痛は殆どないようにはからってもらえるが、子規は自宅療養でせめて電動ベッドがあれば、起きるのが楽だっただろうと思ったりした。手術の前夜、やたら電動ベッドを上げたり、下げたり、起こしたり、その機能に心酔していた。ベッドの下にもぐり、会社のチェーンが使われていないか確認したが、残念にも使われていなかった。

正岡子規は亡くなるときに上根岸の子規の家の庭には、痰を切るというへちまを植えてあったそうだ。

「へちま咲て 痰のつまりし 仏かな」

「をとといの へちまの水も 取らざりき」

「痰一斗(18ℓ) へちまの水も 間にあはず」と、三首残して逝く。

同じ境遇にならなければ、なかなかその気持ちが分からなかったりする。しかし、その辛い境遇が、また人を励ますのだとも思える。死してなお、後世に大きく影響力を残す偉大なる正岡子規について、もっと学ばなくてはならないのかもしれない。

 


柿の葉寿司

2013-09-20 | 料理

今年の秋祭りは台風の影響で雨に降られて子供みこしが中止になって、子供より大人の方が残念がっていた。獅子舞も雨の中で、青年団はぐっしょり濡れて、いつもと同じ金額を包んで渡してしまって、もっと奮発すればよかったと、これは後の祭り。

さて、恒例の柿の葉寿司を造るため実家の家の柿の木にはしごをかけて178枚採ってきた。

いろいろな地方に柿の葉寿司はあるが、ここ加賀市の柿の葉寿司は、寿司飯を包まず、人間と同じ、オープンな感じ。娘の県外の友達に言わせると、「おままごとみたいで面白い」とのこと。

わたしたちは、この柿の葉寿司は、小さい時から当たり前で、鮭としめサバを下に敷くのだが、我が家は鯖が人気だ。今年は旦那の親友から新米が届き、米7合で70枚ほどの柿の葉寿司を作ったら、やはり今年の寿司は米が旨いと言われた。持つべきものは新米の友。

ご飯を載せて、その上にいわゆるトッピングをする。えびやごま、青い色の海藻、レモンなどなど、押し寿司の木枠に並べて、ぎゅっと押して取り出す。柿の葉が不揃いで、上に乗せるご飯の量も不揃いだが、みんなこれを食べなくては、祭りではないという感じ。旦那に柿の葉を拭いてもらい、根元をはさみで切ってもらいながら、この作業を朝からもくもくとする。これは、なかなかひとりでは、はかどらないものだ。これは、強制的な共同作業だ。

かくして、おままごとみたいなオープンな柿の葉寿司は、みんなの口にやすやすと入るのである。なんの気取りもなく、吉永小百合が作っても田舎のかあちやんが作る寿司なのである。

 

 


のりこえる歌

2013-09-17 | 暮らし

「2355」は文字通り、Eテレの真夜中、23時55分にある。その中で、またまた癒される歌が出た。

「のりこえるの歌」 希望編   じんわり勇気がわいてくる。

昨日 いろいろありまして なんだか足が重いけど

ぐっとおへそに力をこめて 今日をのりこえる

昨日 もろもろありまして 気まずい空気をかんじます

そんなときこそ 勇気を出して おはようございます

きぼう(hope)という名の 喫茶店で 苦いコーヒーひと口のむ

あの日の 夢は今いずこ 今日をのりこえる

(この曲を聴くと、あの時の乗り越えられなかった自分を愛おしく思える。)

 


楽しい食事の準備

2013-09-17 | 料理

台所は、家族の薬局であると料理家が言われるように食は大切だ。しかし、楽しく料理を作るというのも大切だ。どこでも持ち歩けるテレビを買って、台所で料理番組を見ながら料理するのもよいが、録画してあった「池上彰&宮本隆治が懐かしの名曲でつづる昭和の大ニュース!」と、いう番組を観ながらもやしのひげをとる。もやしのひげとは、根のことだ。これをとると、シャキシャキ感があるという。

さて、地味な下ごしらえは楽しくしなくてはならない。おおっ、拓郎だ。青春だっ!そんな風に仕事をすると、8人分のもやしも美しく仕上がるのだ。


終わりが始まり

2013-09-14 | 暮らし

会社をか辞めてから、久しぶりに会社の夢を見た。会社へ行ったら、ロッカーがとんでもないところに移されていて、帰ろうとしたら家への道が分からなくなっていたという、情けない夢だった。わたしの青春から今まで、会社は人生の大部分を占めていた。なので、会社を辞めてから、暇になるかと思ったが、娘の仕事が替わって、保育園へ送ることや、新しい家を建てるために、8人暮らしになったことで、仕事が与えられた。

終わりは始まりと思えたのは、仕事を辞めてから、九谷焼や他のことに専念できるようになり、なかなか良いものである。とはいえ、収入がないので、少し貯めた預金と、亭主達者で留守が良いという亭主の稼ぎが基本である。なかなか忙しいと始められないが、立ち止まったり、何かを終えた時は、次に初めの一歩があるのだと思える。

また、弓道仲間と何かをするというのは、なかなか楽しい。先日も、十万石まつり弓道大会を無事終え、自分の中たりはさておいて、表彰状書きをしながら、書道もならわなくてはならんと、出来栄えの悪さに汗だくだった。


県体反省会

2013-09-13 | 弓道

片山津ホテルアローレで、今年の県民体育大会の反省会兼体育協会懇話会が行われた。まずは、市長、会長のご挨拶。口々に東京オリンピック招致の話で盛り上がる。目指すは、オリンピック選手を育てよう。

体育協会常任理事として出席し、隣の席に長年一緒に顔を合わせている高校の先生と話し込んだ。県体の総合成績は、4位と相変わらずだが、人口比から行くと妥当なのだと思える。金沢市、白山市、小松市の次なので仕方がないが、今回壮年女子が準優勝だったことが素晴らしい。

さて、この後、大聖寺の先輩を車で送って帰ることになった。ここで、じぇじぇじぇ・・・なことになった。

片山津から大聖寺にかかる春日町のあたりで、ガソリンが無くなった。ガソリンが無くなってきていたが、50キロはいけるだろうとたかをくくっていた。途中で車の馬力が無くなってきたので、やばいと思った。で、とうとう切れてしまったのが交差点を通過したところだった。

道のわきに止めて、とにかく先輩は迎えを呼び、わたしはだんなに電話し、結局、娘がタンクに10L買ってきてくれて、何とか帰ることができた。今まで、ガス欠になる人を不思議に思っていたが、まさか今ここでなるとは。おまけに、先輩を自ら送っていくと申し出て、なんたること。

市内なので大丈夫と思って油断していたことが悪い。県体の反省どころではない。自身の反省をしなくてはならないはめに。これぞほんとの油断。

 


矢羽

2013-09-05 | 暮らし

日頃から、ガラクタを増やさないように気をつけて作品に取り組んでいる。遊び半分というと、半分本気かと恐れられたり、趣味というものは、伴侶には理解できないものなのかもしれない。ましてや、稚拙なものでは、受け入れがたいであろう。

今回、先生よりコーヒーカップがたくさんあるので、練習がてら描いてはと言われ、考えたデザインは、共通の趣味の弓にちなんで、矢羽にした。これなら、排除されずにすむのではないか。実用的なところも良い。このカップのシリーズで、もう一組焼き上がりを待っている状態。

実家の両親に見せると、父は「お前は、こんなことをしてさえいれば、ご機嫌なんやろ。」と、笑った。チョーご機嫌。小さい時から、絵を描いて泣かんと遊んでいたというので、今も泣かんと遊ばせてもらおう。

 


女子会 バーベキュー

2013-09-04 | 料理

先日行われた、えせ女子会バーベキューの日、台風とは言え、よりによって、こんな大雨になるとは、というような中、だんなのひんしゅくを背に出かけた。

室内バーベキューに変更されたが、予想通り楽しかった。そして、虎ちゃんのお手製の、ほうれん草のごまあえ、春雨のサラダ、なすのピリ辛炒めは、絶品であった。彼は独身であり、マーケットのお惣菜は口に合わないので自分で作るしかないという。確かに、冷めていてまずいか、少し濃い味付けであったりして、時折利用するにはよいが、毎日食べると飽きるのだと思う。

キャベツ、たまねぎ、ピーマン、人参、カボチャの野菜焼きは、肉ガッツリの年齢ではないわたしたちには、有難かった。

 洗い物を済ませた後、虎ちゃん行きつけのカラオケスナックは、歩いて5分。Aちゃんは長靴のままで、わたしちたはほろ酔いで、ママは女子4人を引き連れた彼に賞賛のことばを浴びせていた。たぶん、土曜の夜は閑だと言うので、ママには鴨葱に見えたに違いない。

同級生の良さは、何を歌ってもなつかしく、共通の感性で捉えることが出来ることである。ああ、あの頃、あれは思い出の歌。新しい歌も、それほど新しくなく。かくして、存分に歌った後、次回は鍋パーティということで、解散。


同級生

2013-09-01 | 暮らし

同級生というのはありがたい。金曜日はcocosで、高校の友達と2時間ほど話をして、来るべき50周年記念行事の報告と称して、その報告は10分ほどで終わり、その後はガス抜きだ。紅茶を3杯も飲んでしまった。

昨年、オリンピックの年に同窓会をする中学の仲間たちと、役員として一緒に仕事をしていた。出欠の返事をまとめ、入金の振込用紙と旅館案内を同封し、最後のあて名書きをしながら、同窓会の日に手術が重なって出席できないことを打ち明けると、女子のみんなが夜遅くなるまで、あれこれと心配してくれた。時々、近況報告していて、元気になったら女子会をしようと言ってくれた仲間が、土曜日バーベキューに誘ってくれた。快気祝いを兼ねてとのこと。

しかし、不思議なのは、虎ちゃんの家でするということだ。虎ちゃんは男で独身。同窓会の事務局でなくてはならない人材。なぜか、執行役員が集まるときは虎ちゃんちなのだ。彼の家は新しく快適だ。女子ばかりが集まると、彼がお茶とお菓子を用意してくれる。そして、女子ばかりの場合、本題に入る前に必ず女子会もどきのどうでもいい話で盛り上がる。しかし、ここが女子が長生きする所以だ。うまく日頃のうっぷんを掃出し、元気倍増するのだ。

その虎ちゃんがバーベキュー段取りを全部する。女子会をしますよーと連絡が来る。もうひとつ、失礼ながら付け加えると、彼は男前がいいわけでも、話が面白いわけでもない。面倒見がよく人がいい。

かくして、不思議な女子会は始まるのである。