まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

大掃除が終わらない

2014-12-31 | 暮らし

「大掃除がおわらない♪」というCMがあった。わたしも忙しない暮れに大掃除は終わりそうもないので、大掃除を始めるのをやめた。始めなければ終わらせなくてよい。いつもしている大掃除ではない、標準掃除にした。但し、正月に娘たちが来るので座敷の鴨居と、電灯は脚立を持ってきてきれいに拭いた。ここはチェックが必要だ。娘の婿殿は身長が183センチあるので、私の見えないところが見えるのだ。例えば、冷蔵庫の上などわたしには絶対見えないが、娘の話ではそういうところが見えすぎてかえって困るのだそうだ。

ひとりで門松を作った。ひとりでしめ飾りを下げた。これも脚立がいる。小掃除でもリビングの電気のカバーが小虫が入り込んだままで、外して拭いたがその上の電気がついているところに細かい虫がついているので外した。背が低いのは腹立たしい。脚立でもやっとなので首が痛い。神棚もしかり。椅子に乗ると少し届かない。背が低いことは人生の中で不都合なことが多い。それを、不利というのだ。

それにしても、殿は右足がむくんできて、歩くと息があがるというのでTVの番をしている。

かくして、大掃除を始めなければ終わらないという事態は避けられる。プチ掃除は終わった。心地よい。

良いお年を。


映画について

2014-12-30 | 映画

Y先輩はアクション系の洋画しか観ないと豪語している。わたしはそれ系はこの頃観ていない。たぶん先輩はエネルギッシュなのだろう。昔はシルベスタ・スタローンの「リーサルウェポン」も、楽しく観たが、最近は映画を選んでみるようになった。観た後「いい映画だった」と、つぶやける方がよい。たぶん、無駄にした時間も多かったからだろう。はずれも多い。でも、わたしがはずれと思っても、それを良しとする人もいるだろうから、同じ映画で感動できたり、共感を得たり出来ることは嬉しい。

小さいころ父は自転車にわたしを乗せて、配達の帰りにやくざ映画をよく観た。わたしは幼稚園の頃から、指を詰めるシーンなどを見せられていたのだ。「アウトレイジ」が出たとき、北野たけしにも興味があったが、観たいという気持ちもおおいにあった。旦那もこの手は好きなので。でも、他の人にはお勧めしない。

父は映画が好きで「ベンハー」とか「十戒」など、昔はCGではなく、それらをスペクタクルと言った。それはそれで迫力があった。また、長い映画があって映画館では2本立てもあり、休憩があった。

10年以上前、職場の人に勧められた「ドクトル・ジバゴ」は、ロシア革命に翻弄される医師と恋人ラ-ラの物語で、これも長い大河ドラマだ。その頃はビデオショップといい、ビデオ2巻に収められていた。ややこしくて、観る方も翻弄される。どんな映画も背後にその頃の歴史が映し出されるとはまっていく。この映画はロシアの作家が書いたのだが、ソ連国内では禁止されていて、イタリアで出版されたらしい。それをイタリアで映画化された。

我が家にはなぜかバラライカがある。余談だが、我が家のバラライカは、某もと総理大臣が初めて出馬した時に、爺さんの経営する焼肉屋によく立ち寄り馴染みとなり、バラライカをソ連土産と言われてもらったものである。このバラライカとは関係がないが「ドクトル・ジバゴ」に、バラライカが大きな役割を示し、つい引きこまれた。

エンディングで役者の名前が流れているときにバラライカが奏でられている時に、じわじわと涙が流れたことを今でも不思議に覚えている。映画が終わった後で泣けてきたあの感じはなんだろう。しかし、もう一回見るには相当の時間と覚悟がいりそうだ。

さて、お勧めは次回。

 


博士の愛した数式

2014-12-27 | 映画

BSでやっていた映画「博士の愛した数式」は、本も読んだし前にも一度観ているのに、忘れているところが多く、改めて楽しめた。忘れるということは、楽しい事や感動をもう一度味わえるという意味では悪くないものだ。

記憶が80分しかない数学博士を寺尾聡が演じるが、穏やかでいい。通いの家政婦の10歳の息子に、世界が驚きと喜びに満ちていることを数式で示した。10歳の息子が大きくなって数学の先生になるのだが、その先生が授業で教えるシーンで、数学をこんなに魅力的に語ってくれたらもっと興味をもっていたかもしれないが、どちらにしろ、わたしの記憶も集中力も80分とさして変わらないことがある。

さて、数学は苦手だが、わたしが宝物にしている「虚数の情緒」を時折読むと、面白いものに出会う。なぜこの本を宝物に思うかと言えば、わたしにとって「謎」と、非常に硬いダイヤモンドばりの内容で、咀嚼できないということが宝物なのだ。手が届かないのは魅力的だ。

しかし、この本の副題は「中学生からの全方位独学法」とのこと。相当に中学の時に学ばなかったのだ。殿にいろいろ尋ねると、あっさりと「わからん」と返ってきた。そうだった、彼は社会の先生系だった。わたしは美形と言いたいところだ。

前にひまわりを描いた時の「フィボナッチ数列」は、私の中では感動だった。複写用紙と黄金分割の比率は違う。もっとも美しい黄金分割の方程式の根が黄金数である。この分割に美を見る。ここから、フィボナッチが黄金数に近づいていく式がある。そして、段々数式をみていると気が遠くなる人と、美しいと感じる人の違いが数学を愛するか敬遠するかなのだと思う。

黄金数と、フィボナッチ数列と、パスカルの三角形と、これらの定義が全く異なった三つの数学的要素が、ここで一つに合流するのだそうだ。わたしの頭では合流する前に流され、おぼれてしまった。数式は分からないが、この本の良いところは数式の間にある文章だ。「美には論理があり、論理には美がある」と、このことに不思議を感じ、好奇心を刺激されたりしない人が、科学の道を志すことは、大いに危険を伴うとのこと。

さて、映画の話に戻ると、「オイラーの法則」や、「虚数」との出会いが愛に通じるという魅力的なお話。この映画を観ている間だけは「数学が好きになるかも」と勘違いするのである。

映画が終わって翌日、買い物に出かけると勘違いだったことに気づくのだ。財布を開けると、札の減っていることに気づき、数学どころか算数にも弱いことを自覚する。おおっ!もう年の瀬、落としても困らない財布の軽さに寒さが忍び寄る。「わたしが愛した札束」はどこへ。

 

 

 


超高速!参勤交代

2014-12-27 | 映画

楽しい映画をふたりで観たいと思い、前に「清州会議」が楽しかったので、それっぽいものを探した。歴史に即した時代劇系が殿の好みのようだ。

8日かかる参勤交代を5日で行うよう幕府から無理難題を押し付けられた。それも参勤交代で帰国したばかり。磐城国の貧乏な藩、金はない、人はいない、行列をどうするか。佐々木蔵之介、深田恭子、伊原剛志、寺脇康文、西村雅彦・・・・

ふんどし姿で走るのも笑えて、最後にちょろっと泣けて。

超高速は、超面白かった。我が家の殿もご満悦。


ジビエ

2014-12-26 | 料理

母の実家が鳥越村なので、時折叔父たちが猪の肉や熊の肉を持ってきてくれたので、小さい頃はよく食べた。今では叔父達も年をとり、口に入らなくなった。

ジビエとは猪や熊、鴨など狩猟によって捕獲された野生の肉だそうだ。

なぜフランス語なのか分からないが、「山の生き物の肉」というより「ジビエ」と言った方がおしゃれな感じがする。

雉やうさぎの肉も食べたことがある。遠い昔だ。それより、母の実家で生まれたわたしはジビエなのか。野生ではないが、田舎者ではある。田舎の小百合と言っておこう。

そんなことより、脂身の多い熊の肉を薄くスライスしてわさび醤油でいただく。獅肉は豚肉と似ていて鍋にすることが多かった。美味しい酒を呑みたくなった。少々酩酊したい。

 


年女

2014-12-26 | 暮らし

旦那の妹から木目込みの人形を贈られた。来年は年女なのでわたしの為に作ってくれたものだ。

なんとも愛らしく、この気高さが素敵だ。

双子の娘も羊で、実家の母親も羊だ。親子3代同じ干支は縁起が良いらしい。羊はやさしいが、紙を食うので紙幣が貯まらないと言った人もいるが、紙を食うのはヤギでは?それに、紙幣を食った人を見たことはない。

言葉のあやに突っ込むのは親譲りらしい。「膝が笑うっていうが、わしの膝は泣いとるわ」と、父がよく言っていた。

今日、父の見舞いに行くと元気そうで、歩くことが出来て用を足すことが出来たと喜んでいた。「手がしびれて、物がつかみにくい。目の前に札束を持ってきたら、いいリハビリになるんやが」と、言っていたので健在である。人騒がせな父である。

今年は我が家の漢字は「病」かなと思ったが、「気」ということにしよう。「病気」が「元気」に変るように。

 


時をかける 裏の回

2014-12-24 | 暮らし

金大での診察のあと、おいしい昼食をとっていたらケータイがなる。母からの電話で、父の入院を知らせてきた。

入院の手続きには連帯保証人の署名がいるし、入院用の下着や生活用品を持っていかなくてはならないので、実家へ急ぐ。

腰の曲がった母が大きなカバンや毛布を荷造りし、書類の自分で書ける所を一生懸命書いていた。昨日運ばれた市民病院では、特に症状がみられない場合は入院はさせない。かかりつけのS病院で、めまいがすることを訴えると「暖かくなるまで入院しましょうか」とのこと。今年の4月に入院した時と同じだが、足は相当衰えている。旦那の入院している時を選んで入院しているように思える。7月の時は脳梗塞で、同じ病棟に入院していて通うのに助かったが、病院が違うと、実家の母も気兼ねして時折タクシーでかけている。

それにしても、荷物を持っていったらいきなり看護士に「おむつを向かいのところで買ってきて!」と、言われた。病院に在庫がないという。向かいに店なんてあったっけ?と、思っていたら介護ホームだった。そこへ行くと「おつりのないようにしてください」と、言われた。???父は歩くのは難しいが、歩けないのではない。「おむつでしなさい!」という看護士の言葉に、母と私はショックを受け、すぐにでも退院させたい気持ちだった。しかし、父は家へ帰ると母に迷惑をかけると思ってのこと。食欲はある。意識もしっかりしているのに、看護士の言葉は痴呆の人に言うような感じの話し方だった。父の言語障害は脳梗塞のためで、ぼけているのではない。

一緒に暮らしているのならすぐにでも連れて帰りたかった。とりあえず、母と一旦家へ帰り2,3日様子を見て、あんまりな状態だったら退院させようと話しあった。母は「可哀そうや・・」と、涙ぐんでいた。なかなか手厚い看護は受けられない。看護士も不足の感じがする。これでは、団塊世代が80歳に突入したらどうなるのだろう。

 

 


時をかけるおばはん

2014-12-24 | 暮らし

「時をかける少女」という映画があったっけ。ずいぶん前のドラマで、少女が飛んで過去へ行ったりするのだ。わたしたちは、飛び跳ねて時間を自由に行き来は出来ないが、心が過去へ返ることはある。また、進んでいく時間に乗り遅れている気がすることがある。

金沢大学医学部の建物は、1か月に一度診察に来る度に変化していくのが分かる。2年前は古い入口から入っていたが、いつの間にか新しい玄関から出入りするようになった。早いもので入院してから2年経ったのだ。ようやく1か月に1回の診察が2か月に1回で良いでしょうとのこと。

どんどん新しくなっていく病院。病院内も、看護士の男性を見かけるようになり、主治医はいつの間にか替わっている。小百合に挨拶もなしに担当医が替わるので、油断できない。PC画面を覗きながらの診察なので、こちらも主治医の横顔しか分からない。なので、二度と再発はなるものかと思う。

さて、世の中は変るが「弓道は変わらず待っていてくれるから、安心して治療に専念してね。」との、優しい弓仲間の言葉。確かに、弓道は多少の体配の変更はあるものの、基本は変わらない。変わらない基本に対して、自分が日々ふがいなく変っていくのではあるが。

そういえば、立射のたすき掛けや、繰り立ち射礼ってあったなあと、おばはんは時をかけるのであった。

注・妖怪ウオッチに「時をかけるばばぁ」というのがあるらしい。孫が言った。「トキヲ・ウバウネ」というらしく、美しい女が無実の罪でつかまって・・と、説明した。一瞬、「ばぁばのこと?」と、言うところだった。

 

 

 

 


弓納め 裏の回

2014-12-22 | 暮らし

宮藤官九郎の木更津キャッツアイで、話の展開に必ず過去へ遡り裏の回が繰り広げられたのを思い出した。

日曜の弓納めの時、祝射会での持的射礼を一番初めにすることになって準備をしている最中、控えのところに置いてあるわたしのカバンが鳴った。正確にはカバンの中のケータイが鳴った。旦那が入院中なので急変ということもありうるので急いで見ると「公衆電話」という履歴。公衆電話と言われても、公衆電話で電話をかけてくる知り合いはいない。幽霊が誰も来ない田舎の公衆電話からかけていたりして・・世にも奇妙な・・・。

納射会は滞りなく行われ、昼の弁当タイムで味噌汁をすすって寒くなった体を温め、大掃除だ。

この日、会の前副会長松田さん(83)の訃報を知り、道場の大掃除の帰りに協会の香典を届けることとなった。急に心臓の具合が悪くなり玄関で倒れられたとのこと。大変お元気で、冗談を言って皆を和ませてくださった方だ。ほんの少し前に病院でお互いの身体を気遣って挨拶をかわしたばかり。

その後、ようやく「公衆電話」の主を突き止めた。もしやと実家へ電話したら、母が「じぃちゃん、また具合悪くなって救急車を呼んで、市民病院へ行ったんや。」目が回るといって大騒ぎだったらしい。母が病院からかけていたのだ。検査の結果は異状がないので帰された。夏に脳梗塞になったので心配になったのは無理もない。歩くのも、もともとの膝痛に加えて、左半身が少し麻痺しているので難儀している。

顔を見て声をかけ、その後は旦那の病院へ向かって家へ戻ったら夕方になっていた。

小百合はオファーが来たわけでもないのに忙しい。


弓道協会忘年会と弓納め

2014-12-22 | 暮らし

12月20日は、某居酒屋で忘年会をした。今年の功労賞と会長推薦の楽しいで賞のセレモニーをした。とはいえ、会長は入院中というのが残念であるが。

いつも弓道教室の指導をしてくれる中〇さん。後輩を連れてきて会員を増やしてくれる前〇君。若い人たちの日頃の活躍に感謝し今後も引き続き尽くしてくれることを鼓舞した。

楽しいのは「お願いしま賞」「お誕生日で賞」(本日の誕生日の人に)「予選通過で賞」(次回は全日予選通過を祈って)セレモニーの後は飲み放題だったが、最初のビールがなかなか来なくて、真面目なトークをしていた。12月の土曜の夜は満員で日頃の客あしらいでは追いつかないのだろう。おまけに、ノンアルコールは飲み放題にはないというので、仕方なく生ビールにした。仕方なく?

さて、翌日は弓納めと、今年の昇段の人たちの祝射会が行われた。

午後は、天井の埃まではらって鼻水をたらしそうな寒さの中での大掃除。

この頃、県の広報部は部会をして密かに面白いことをしていたのを、後でビデオを観て知り思わず顔がゆるんでしまった。なるほど、なるほど。しかし、みんな弓返りを難なくしているのに、わたしはなぜ出来ないのだろうかと今年も不本意な終了となった。


師走

2014-12-20 | 暮らし

久しぶりに会社の仲間から「飲み会」のお誘いが来た。殿の入院中で悪いが、ある意味一人で家にいるより安心ではある。調子も良さそうで顔色もよかった。食事も出るようになったしひと安心である。

わたしの友達との「女子会」では、アルコールがなくても何時間でも話せるが、お酒好きな仲間と飲むのもまた格別である。

朝から病院へ見舞いに姑も行きたいというので連れて行き、買い物をし、午後は歯医者へ行き、実家へ顔を出す。家での仕事も結構忙しいのである。父は夜中の3時まで眠れず辛かったというので、3時まで眠れなくてもその後眠れたのなら良いでしょうというと、そうするとまた夜眠れなくなるとぐずぐず言うので、「それはつらかろうねぇ。安らかに眠れるようになるといいね。」というと何故かひどく喜んでいた。きつい冗談に気付かなかったのか、麻痺が少し残っているのか。

夕方、旦那のパジャマの替えを取りに病院へ寄ったら、「今日が宝くじの最終日だ・・」と、いうので病院から飲み会の場所へ行くつもりだったのに、アビオまで戻ることになった。おまけに、30人くらい並んでいる。諦めようかと思ったが、並んでいると当たるような気がして最後列につく。何となく師走の風景だ。会社でも家でも貧乏性というか忙しく働かなくてはならない運命らしい。

何ケ月かぶりの居酒屋の中ジョッキにたどり着くまで忙しないことだった。格別の酒とワインで「ちゃんぽんと親の意見は後からきくけんね」と、博多華丸のセリフが浮かんだ。無口な小百合は六つの口になり、一番楽しんだのではないかと思い家に帰りお礼のメールを入れると、文の途中で送信してしまって、やはりちゃんぽんが効いてきたか・・・ぐふふふ。

会社のメンバーで飲む時、他の人は必ずつながりを探す。「ありえない組み合わせ」とかいう。同じ職場ではないのになぜ?とか、役職のついている人が混じっていると誤解されたり、たいした派閥抗争もないのに気になるのである。退職するとどうでもよくなる。気の合う仲間というくくりと、縁あって友達の輪が広がるのである。逆に「ありえない組み合わせ」は、とても楽しい。今度はそのありえない仲間に我が家へ来てもらうことをお願いした。旦那も娘も何回か一緒に飲んだ仲間なので、ありえない輪はまた広がる。


寒波の日々

2014-12-19 | 暮らし

一度作った雪だるまが溶けたと思ったら、再び寒波。寒い夜に口を開けて寝ているせいか、のどが痛い。

鼻で息が出来ないタイプらしい。間抜けな小百合である。しかし、今ではわたしの寝顔を見る者はいない。旦那は先に寝るし、車でも助手席で眠ることはなくなったし、あられもないところを人に見られてはいけない。小百合のイメージが壊れるではないか。

鶴の恩返しで、鶴が機を織るところを「絶対に見てはいけません」と、言ったのは、あられもない姿で織っていたのだろうというと、娘に「鶴やってことがばれないようにってことやろ。」と、当たり前の答えが返ってきた。

ところで、STAP細胞はありませんでしたというニュース。今年はこのニュースで始まり、年が暮れていく。1年は早く、人の関心というのは日々薄れていく。寒い。

この前の、保育園での発表会に「うらしまたろう」が、演じられ、園長が「諸般の事情で、うらしまたろうと、乙姫様が3人ずついます」と、紹介された。可愛い子供たちの演技の最後に乙姫様は「絶対開けてはいけません」と、恒例の玉手箱を渡す。絶対開けてはいけないものをお土産にすなーー。と、心でつっかかる小百合であった。寒い。

寒波に負けず、大口を開けて寝ようが、朝目覚めて0655「朝がきた・・・」を、聞いて幸せと感謝に浸る。無事に年が越せますように。無職でも餅が買えますように。

 


パジャマアート

2014-12-18 | 暮らし

日々、アートに励んでいる。孫が保育園へ行く前、朝食を取っている間に作業に入る。

既に、学校へ出かけて行ってしまうお兄ちゃんが喜ぶというkenに、「これでどうだ!」と、毎回自慢げに作っているわたしに、「昨日の、お兄ちゃん、笑っとったよ」と、嬉しそう。

朝の頭の体操、創作編。用意するもの、たたんだパジャマ。又は、脱ぎ捨ててあるパジャマ。


どたきゃん

2014-12-15 | 弓道

久しぶりに講習会へ行くつもりだったが、旦那が再度入院となりドタキャンした。

お世話している方には申し訳ないと思う。こうなると、これから先も行きたいと意思表示するのは良くないかなあと消極的になる。予定を決めるのは、自分に未来があると信じているわけだけれど、その予定が叶わないのはわたしには未来がないのかという暗い気持ちになるので、やはり迷惑をかけるかもしれないが行きますと意思表示しよう。弓道関係の人は、心の広い人ばかりだと信じているので、ごめんごめんと予定を入れる。

医者は時折さらっと重要なことをいう。余命であったり、転移であったり。それをしっかり受け止めると深刻になるので、まるで聞かなかったふりをする。そして、知らん顔をする。一緒に聞いていながら、互いにそのことを口に出さない。それは、臆病だからか、やさしさか、互いに受け入れていないことは確かだ。先のことなどノストラダムスでもいい加減なのだ。誰にも分からないと疑っている。

ドタキャンは悪いけど、そちらの方へ行こうという希望がないと生きていくのは辛いことの連続になる。たまたま、今回はダメだったけど、この次は行くからね。と、ふたりで言う。そう、1月の講習会はふたりで顔を出そうと思っている。

 


スパクロくん

2014-12-14 | 暮らし

加賀ふるさと検定結果がネットで合格と分かったが、成績が改めて市から送られてきた。

281名中25番で60問中54点だった。ということは足らなかった6点に24名が詰まっていたのだ。それでも、苦手科目をクリアした。大判の紙に必死で表を作った努力が認められた。しかし、すでに忘却は始まっている。ちなみに旦那は41番だった。旦那の名誉の為に言うと、点数は53点で1点差である。弓道の大会でも1本の差は大きいが、テストでも1点差は大きい。

ずっと前に弓道ことわざを作った中に「おまえ100中、わしゃ99中」というのを作った。夫婦円満のこつだ。旦那は奥方より1本少ないというところに、家庭の平和があると勝手に思った。

わたしのように、小さいところで有頂天になり、朝鏡を見るまでは小百合でいられる能天気な人間にとって、1点は大きい。しかし、ここに旦那のやさしさがある。

ふるさと検定の問題の中に、ご当地キャラで山代温泉の「スパクロくん」というのがあった。旦那は、ここで妻に1点譲った。「ユゲクロくん」を、選んだらしい。